第40話
かつて冷たい雨と毒に沈んでいた不毛の荒野は、たった数時間で、心地よい風が吹き抜ける『絶対防衛・天候制御ドッグリゾート』へと変貌を遂げていた。
総帥アルベルトが投じた白金貨三億五千万枚により、広大な平原は透明な超巨大結界ですっぽりと覆われ、気温と湿度は常に「犬が最も快適に昼寝できる数値」に完全管理されている。
足元には肉球に吸い付くような特級魔導芝が敷き詰められ、その中央で、一頭の巨大な神獣が気持ちよさそうに大の字になって寝転がっていた。
「素晴らしい……。特級の温泉とシャンプーで泥と血を洗い流せば、これほどまでに神々しい黄金の被毛が隠れていたのですね。まるで太陽の光をそのまま織り込んだような、極上のフワフワです……!」
『ワッフゥ……(そこ、きもちいい……)』
芝生の上で、ロイド・グランヴェルは恍惚とした表情で、巨犬の黄金の喉元を特注のブラシで優しく梳かしていた。
呪具の鎖が外れ、本来の美しさと無邪気な心を取り戻した巨犬は、ロイドのブラッシングに目を細め、太い尻尾を「パタン、パタン」とご機嫌に芝生に打ち付けている。
その横では、秘書官のクラウスが無表情のまま、ロイドの新しいスーツに付着した黄金の抜け毛を『超大型・犬毛専用コロコロ』で「ズバァッ、シュルルッ」と豪快な音を立てて掃除していた。
そこに、泥だらけで拘束された男たちの呻き声が響いた。
「ぐ、ふざけんな……! たかが金持ちの道楽で、俺たち『黒の鎖』に手を出してタダで済むと思ってんのか!?」
戦闘特科によって芝生の上に転がされているのは、巨犬を回収しに来た密猟シンジケートのリーダー格だった。
彼は血走った目でロイドを睨みつけ、悪態をつく。
「俺たちのバックにはな、国家の軍上層部や貴族のパトロンが腐るほどいるんだよ! お前らみたいなポッと出の不動産屋が何を喚こうが、すぐに揉み消して――」
「……なるほど。国家権力との癒着と、組織的な兵器密売ですか」
ロイドは溜息を一つ吐くと、巨犬の黄金の被毛からゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、絶対零度の氷のように冷たく、彼らを見下ろしていた。
「クラウス」
「はい、ロイド様。――不法投棄物の解体作業を始めます」
クラウスがタブレットを操作した瞬間、空中に巨大なホログラムウィンドウが展開された。
そこに映し出されたのは、威厳ある軍服を着た国家防衛大臣と、法を司る最高裁判事の姿だった。
「防衛大臣、ならびに判事閣下。お疲れ様です」
『はっ! ロイド様! 例のシンジケートの隠し口座の凍結、および裏で癒着していた一部の軍上層部と腐敗貴族の『一斉摘発』、すべて完了いたしました!』
リーダーの男は、その顔ぶれと報告を聞いて、絶望に顔を青ざめさせた。
自分たちの絶対的な後ろ盾だったはずの国家のトップたちが、なぜ、目の前の優雅な青年に最敬礼しているのか。
「リーダーさん。あなたが数年間、不法に魔獣を捕らえ、呪具で痛めつけて売り捌いていた顧客リストと裏帳簿……我が社の『更地にする(裏の繋がりを暴く)技術』ですべて洗い出しましたよ。これは立派な国家反逆罪、および魔獣保護条約の重篤な違反に当たります」
「な、ななな……そんな馬鹿な! 俺たちの完璧な隠蔽工作が、たった数時間で……!?」
「我がグランヴェル財閥の情報網を甘く見ないでいただきたい。……大臣。この男たちが築き上げた不正な資産の全容を、直ちに国王陛下へ報告してください」
ロイドは、極上の微笑みを浮かべて、悪党を社会から完全に消去する完璧なビジネスの提案を進言した。
「没収したシンジケートの全資産と、癒着していた貴族たちの財産は、まず法に則り、彼らが傷つけたこの子のような『保護魔獣たちのための医療施設とサンクチュアリの建設費』に充てるよう国王陛下へ進言してください。そして残りの莫大な資産は、国の『正規の魔獣保護局の設立資金』として国庫から還元するのです」
大臣と判事が、感銘を受けたように深く頷く。
『素晴らしいご提案です! これにより長年裏社会を牛耳っていた闇組織が壊滅し、魔獣との正しい共存の道が開かれます! 悪を根絶やしにした国王陛下の支持率は、永遠のものとなるでしょう! 直ちに実行に移します!』
「ま、待ってくれ! 俺たちの、俺たちが命懸けで築き上げた財産と組織を、魔獣の保護施設なんぞに全額突っ込むというのか!? 頼む、命だけは――」
「命まで奪うような野蛮な真似はしませんよ。ですが、一つ教えてあげましょう」
ロイドはゆっくりと立ち上がり、泥に塗れた男を見下ろした。
「人生には、深い谷も高い山もあります。ですが、どれほど波乱万丈であろうと、最後には必ず帳尻が合い、穏やかで『平坦』な場所に落ち着くようにできているのです」
ロイドは背後で無邪気に尻尾を振る、美しい黄金の巨犬を優しく撫でた。
「彼に不当な絶望の谷を歩かせた分の帳尻は、我が財閥の徹底的な愛情(莫大な投資)で極上の『平地』へと均しました。……さあ、次はあなた方が、今まで他者を犠牲にして築き上げてきた不当な利益(山)の帳尻を合わせる番ですよ」
ロイドの冷徹な宣告に、男は言葉を失い、へたり込んだ。
「一生をかけて、冷たい牢獄の中で罪を償いなさい。……お引き取りを。あなたの下品な恐怖の匂いでは、この子の美しい黄金の毛並みが台無しになってしまいますので」
ロイドが優雅に指を鳴らした直後。
男たちの醜い命乞いは、財閥法務部(回収班)によって物理的に塞がれ、そのまま護送用の魔導艦の暗い船底へと引きずり込まれていった。
ほんの数分。
一滴の血も流さず、巨大な闇のシンジケートが社会から完全に消去され、同時に多くの傷ついた魔獣たちが救い出されたのである。
「……ふぅ。まったく、せっかくのブラッシングタイムを邪魔されるとは」
ロイドが視線を落とすと、巨犬が「ワフゥ!」と嬉しそうに鳴きながら、黄金の巨大な前足をロイドの肩に乗せ、その頬をザリッと勢いよく舐め上げた。
「ああ、くすぐったいですよ。待たせてごめんなさいね。さあ、特大の魔力フリスビーで遊びましょうか」
先ほどまでの冷徹なビジネスマンの顔は幻であったかのように、ロイドは目を細め、愛しい黄金の魔獣のふかふかの胸元に顔を埋めた。
「……ロイド様。シンジケートの解体、およびこの平原の『特級ドッグリゾート・完全私有権』の取得が完了しました。我が社が結界を張ったことで、この土地の地価は軽く数百倍に跳ね上がっております」
クラウスが手元のタブレットを確認しながら、無表情で『超大型コロコロ』をロイドの背中に転がす。
「素晴らしい。これで、この子たちのためにさらに極上の平坦な日々を整えられますね」
強欲な者を経済と権力で轢き潰し、傷ついた心を救いながら、浄化された土地から莫大な富を生み出す。
世界一理不尽で、世界一優雅なワケアリ不動産の快進撃は、とどまることを知らない。




