第39話
「撃て、撃てェッ!! その化け物犬ごと、蜂の巣にしてやれ!!」
シンジケートの男たちが、絶叫と共に魔導銃の引き金を引く。
無数の凶悪な魔力弾が、泥だらけのロイドと、その後ろで震える巨犬へと降り注いだ。
――しかし。
「……遅い」
ロイドたちの前に、いつの間にか壁のように立ち塞がっていたクラウスが、一切の感情を排した声で呟いた。
彼が手にした特注のアタッシュケースを展開すると、中から漆黒の『絶対防壁・展開シールド』が現れる。
パキィィィンッ!! という甲高い音と共に、すべての魔力弾が空中で弾け飛び、ロイドたちの髪の毛一本揺らすことなく霧散した。
「な、なんだと……!?」
「不法投棄されたゴミ(あなた方)の回収作業を開始します。……一部隊、制圧しろ」
クラウスが無表情のままインカムで短く命じた瞬間。
荒野に降っていた冷たい雨のベールを切り裂き、光学迷彩を解いた黒ずくめの『戦闘特科』の部下たちが、数十人規模で一斉に降下した。
「ひぃっ!?」
「ぐぁぁっ!」
銃声すら鳴らなかった。
一流の清掃員(暗殺者)たちは、瞬きする間に男たちの武装を解除し、関節を的確に外し、一滴の血も流させないまま全員を泥の中へと縫い留めた。
圧倒的でエレガントな、完全なる蹂躙である。
「……さて。ゴミの分別が終わったところで、この忌まわしい荒野を『更地』にしましょうか」
ロイドは、泥だらけのシャツの袖を優雅に捲り上げながら、空を見上げた。
「クラウス。シンジケートの連中と、巨犬を包む『呪具の魔力波形』のデータは上空へ送りましたか?」
「はい、ロイド様。すでに魔導艦の照準システムとリンク済みです」
「では――我が一族のお家芸を披露しましょう。この不毛な荒野の毒と、彼を縛る忌まわしい鎖だけを綺麗に消し去り、美しい『平地(芝生)』にします」
ロイドが静かに指を鳴らした、その直後。
遥か上空の厚い雨雲を突き抜け、極大の『超広域・毒素浄化と呪具解体』の光が、荒野全体へと降り注いだ。
――サァァァァ……。
爆音はない。ただ、暖かく優しい光が荒野を撫でただけだった。
しかし次の瞬間、巨犬の首と四肢に食い込んでいた禍々しい黒い鎖が、音もなくサラサラと砂のように崩れ落ちていく。
それと同時に、毒に侵され草木一本生えなかった荒野の泥が浄化され、見渡す限りの「極上のふかふかな緑の芝生」へと一瞬にして生まれ変わったのだ。
『……ワフッ?』
何年もの間、自分を縛り付けていた激痛と重さが消え去ったことに気づき、巨犬が信じられないというように首を振る。
そして、足元に広がる柔らかい芝生の感触に、丸い瞳をぱちぱちと瞬かせた。
どれほどの絶望の谷を歩かされても、最後にはちゃんと均されて、温かく平坦な場所に落ち着く。ロイドの言葉通り、痛みのない平穏が戻ってきたのだ。
「素晴らしい……。呪具が外れたことで、本来の美しい黄金の被毛が少しずつ輝きを取り戻していますね。これぞ神の使いのフォルム……!」
ロイドが歓喜の声を上げようとした、その時。
『ロォォォォォイドォォォォォ!! 私の愛する弟よ!!』
空中に展開されたホログラム通信から、いつものように兄・アルベルトの鼓膜を破るような絶叫が響き渡った。
『その泥だらけのシャツは何だ!! 私の弟と、愛らしい巨犬ちゃんが、冷たい雨の中で一晩中震えていたと!? 万死! 万死に値する!!』
「お疲れ様です、総帥閣下。ええ、少し泥遊びが過ぎましたが、無事に心の壁は越えられ――」
『黙れ!! 今すぐ経理に【ワケアリ荒野・完全天候制御ドッグラン建設費】として白金貨三億枚を叩き込ませた!!』
「……さ、三億!? 兄さん、また国家予算の限界を突破しましたよ!?」
『冷たい雨など二度と降らせるな! この広大な平原全域を、絶対に快適な気温と湿度を保つ【超巨大・天候制御結界】で覆え! 芝生は巨犬ちゃんの肉球に最も優しい特級魔導芝(クッション仕様)に張り替えろ! ドッグランの隅には、最高級のシャンプー設備と温泉を完備するんだ!!』
愛する弟と犬が雨に濡れたという事実に対し、天候そのものを札束でねじ伏せようとする狂気の総帥。
『ウォゥ!』
その声に反応したのか、拘束から解放されて元気を取り戻しつつある巨犬が、嬉しそうに太い尻尾をブンブンと振った。
「ええ、もうすぐこの広大な平原が、あなた専用の極上の遊び場になりますからね」
ロイドが微笑むと、通信の向こうでアルベルトが机を粉砕した。
『ロイド!! なぜ私にその尻尾を振ってくれないのだ!! 今すぐ私を役員名簿の筆頭に入れろ!! 私も巨犬ちゃんと一緒にドッグランを走り回りたい!! 追加で五千万枚だ!!』
「……はぁ。クラウス、今日も絶好調ですね」
「ロイド様。白金貨三億五千万枚の入金、確認いたしました」
クラウスが無表情のまま、拘束した悪党たちを輸送艦へ蹴り飛ばしながら、淡々とタブレットを操作する。
「総帥閣下の仰る通り、これはもはやドッグランではなく『絶対防衛・天候制御ドッグリゾート』となります。芝生の維持とシャンプー係として、戦闘特科から『部下』を二百名ほど派遣しておきます。あ、特大の『魔力フリスビー』も追加発注済みです」
数分後。
美しい平地となった荒野に、財閥本省から緊急転送された数万人の魔導建築部隊が飛来し、空を覆う巨大結界と温泉施設の建造を凄まじい速度で開始した。
世界一理不尽な不動産屋の手により、悲劇の荒野は、巨犬が無邪気に走り回るための「究極の楽園」へと作り変えられたのである。




