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第36話

 



「――ロイド様。今回は『いわくつき』のレベルが少々違います。完全に不毛の地と化した、呪われた荒野です」


 ワケアリ不動産本社、社長室。


 秘書官のクラウスが空中に展開したホログラムマップには、大陸の辺境に位置する広大な荒野が赤く染まって表示されていた。


「依頼主は辺境の開拓村の村長です。数ヶ月前から、この荒野に『近づく者をすべて引き裂く、黒い瘴気を纏った凶暴な魔獣』が住み着き、誰も足を踏み入れられなくなったと。……格安で土地を譲るから、どうか魔獣を追い払ってほしいとのことです」


「ふむ。黒い瘴気を纏う凶暴な魔獣、ですか」


 ロイド・グランヴェルは、最高級のティーカップを置き、興味深そうに目を細めた。


「瘴気で土地が枯れるほどの魔素量……。きっと、凄まじく雄大で、力強いモフモフに違いありません。さあ、新たなる家族のお迎えに行きましょうか」


 いつものように、R&D特製の【完全抗呪(かんぜんこうじゅ)・環境適応スーツ】を着込み、二人は転送魔法で冷たい雨が降り頻る荒野へと降り立った。


 ザァァァ……。


 灰色の雨が打ち付ける荒野は、草木一本生えない文字通りの不毛の地だった。

 だが、ロイドの足取りは、まるで王宮のレッドカーペットを歩くように優雅で揺るぎない。


「……ロイド様、前方を。強い生体反応と、異常なまでの『殺意』です」


 クラウスの声と同時だった。

 雨のベールを切り裂き、岩陰から巨大な影が姿を現した。


『グルルルルル……ッ!!』


 それは、見上げるほど巨大な犬の幻獣――かつては神の使いとも呼ばれた『神獣・ガーディアン・ドッグ』だった。


 しかし、その姿はあまりにも痛々しい。

 本来なら黄金に輝くはずの美しい被毛は泥と血に塗れ、ガリガリに痩せ細っている。何より痛ましいのは、その首と四肢に、皮膚に食い込むほどきつく締め付けられた『禍々しい黒い鉄の首輪と鎖』が嵌められていたことだ。


 人間への深い憎悪と恐怖。それが黒い瘴気となって、巨犬の全身から立ち上っていた。


「なんと……。神獣を無理やり縛り付け、兵器として酷使するための呪具(じゅぐ)(拘束具)ですか」


「はい。……ロイド様、この鎖の術式をご覧ください」


 クラウスがタブレットで鎖の魔力波形を解析し、無表情の奥に微かな警戒の色を浮かべた。


「これは、ただの密猟者や野盗が作れる代物ではありません。術式の複雑さと使われている魔導金属の純度……背後に、国家クラスの資金力と技術力を持つ『真の黒幕』が糸を引いている痕跡がします」


「……なるほど。どこかの愚か者が、組織的に魔獣を兵器化して市場に流そうとしていると」


 ロイドの声音から、いつもの温かい響きが消えた。

 だが、まずは目の前で震え、牙を剥く傷だらけの家族モフモフを救うことが先決だ。


「さあ、まずはこれを。こんな冷たい雨の中で、お腹が空いているでしょう」


 ロイドは懐から、R&Dが神獣の栄養素を完全解析して作り上げた『極上・魔力ビーフジャーキー』を取り出した。これまでどんな凶悪な魔獣も、開始三秒で陥落させてきた究極の逸品である。


 極上の肉の香りが、冷たい雨の匂いを上書きして広がった。


 ――しかし。


『ガァァァァァッ!!』


 巨犬の瞳に宿る憎悪は、微塵も揺るがなかった。

 それどころか、差し出されたジャーキーを巨大な前足で泥の中へ弾き飛ばし、ロイドに向かって鋭い爪を振り下ろしてきたのだ。


 ガキンッ!!


 特注スーツの結界が激しい火花を散らし、巨犬の爪を弾き返す。


「……おや」


「ロイド様。これほどのトラウマを抱えた個体には、食べ物や表面上の心地よさは通用しません。彼らの心にあるのは、人間という種族そのものへの絶対的な『拒絶』です」


 泥にまみれた極上のジャーキーを見つめ、ロイドは静かに息を吐いた。


 お金でも、財閥の究極の技術でも、この子の心は開けない。鎖を無理やり破壊したところで、人間への恐怖は消えないのだ。


「ええ、クラウスの言う通りですね。……ただ甘やかすだけでは、この深い傷は癒やせません」


 ロイドは、雨に打たれながら警戒を解かない巨犬の目を、真っ直ぐに見つめ返した。

 その瞳は、冷徹なビジネスマンのもでも、モフモフに狂う変態的なものでもなく――ただ底知れぬ慈愛に満ちていた。


「今まで、人間の勝手で傷つけられ、辛いことばかりだったでしょう。……でもね、人生というのは不思議なもので、どれほど深い絶望の谷を歩かされても、最後にはちゃんとならされて、平坦で穏やかな場所に落ち着くようにできているんですよ」


 ロイドはゆっくりと、結界を張ったままの手を下げた。


「だから、もう大丈夫です。私が必ず、あなたの人生の帳尻を合わせ、極上の平坦な日々(しあわせ)を取り戻してあげましょう」


 ロイドは、スーツの襟元に手をかけた。


「ロイド様、何を……っ!?」


「機能で守られているうちは、私の覚悟は伝わりませんからね」


 バサッ、と。


 ロイドは、あらゆる攻撃を弾き返す【完全抗呪・環境適応スーツ】の上着を脱ぎ捨て、冷たい泥の地面へと放り投げた。


 防御を完全に解き、ワイシャツ一枚の無防備な姿となった世界屈指の御曹司は、威嚇する巨犬に向かって、静かに一歩を踏み出した。




いつもの無敵スーツを自ら脱ぎ捨てたロイド。

お金でも技術でもない、「心」で傷ついた魔獣と向き合う次回へ続きます!


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