第27話
かつては風流な竹林庭園を誇り、夜会が絶えなかったという豪奢な古城。
しかし現在、その城門は固く閉ざされ、敷地全体が日の光を遮るような『どす黒い呪いの霧』に包まれていた。そして、霧の奥からは――。
『バキィィッ! メシャアァッ……! ゴリッ、バキバキバキッ!!』
まるで巨人が太い骨をへし折り、貪り食っているかのような、身の毛もよだつ恐ろしい怪奇音が城中に響き渡っていた。
「……ひどい有様ですね。大気中の魔素が淀み、完全な呪詛の霧と化しています」
「ええ。何らかの強力な魔獣の気配が、周囲の魔力を変質させているようです。一般の騎士団であれば、この霧を吸っただけで発狂し、あの咀嚼音の恐怖で心臓が止まってしまうでしょう」
怨霊が彷徨うような不気味な霧と、骨を砕く音が響く死の廃城。
そんな正気を保つことすら困難な極限環境の中を、ロイド・グランヴェルと秘書官のクラウスは、王宮の美術館でも歩くかのような優雅な足取りで進んでいた。
二人が着ているのは、グランヴェル財閥『研究開発部(R&D)』が最新技術と国家予算レベルの素材で仕立て上げた、特注の【|完全抗呪・音響調整用《かんぜんこうじゅ・おんきょうちょうせいよう》スリーピーススーツ】である。
いかに強烈な呪いの霧が立ち込めようと、スーツの表面に展開された『神聖結界』がすべてを浄化する。さらに、周囲の恐ろしい怪奇音は、スーツの襟元に仕込まれた音響フィルターによって、ロイドの耳には「最高に心地よいASMR(咀嚼音)」へと自動変換されて届いていた。
「ですがロイド様。これほどの霧の中では、視界が悪すぎますね」
「問題ありませんよ、クラウス。魔獣が絡む事故物件は、すなわち『最も魔素が濃い場所』に原因があるのです。……あそこです」
ロイドが指差した先。
それは城の中庭、かつて美しい景観を誇った広大な『竹林』だった。
そこには、鋼鉄をもしのぐ硬度を持つとされる最高級の魔導素材――『魔鋼竹』が鬱蒼と生い茂っていたが、その中央部分だけが、何者かによって無残になぎ倒されていた。
「……ロイド様。あの竹林の中心に、巨大な生体反応があります」
「ええ。出迎えてくれたようですね」
クラウスがタブレットを操作した直後。
バキィィッ! と、大砲の弾でも弾けたような音を立てて、太い魔鋼竹の束がへし折られ、霧の中から『それ』が姿を現した。
『グォォォォォッ……!!』
地響きのような、太く低い唸り声。
現れたのは、見上げるほど巨大な――丸みを帯びた白と黒の被毛を持つ、クマの姿をした幻獣だった。
伝説の神獣『陰陽熊猫』である。
その体躯は小山のように巨大でありながら、どこかのんびりとした愛嬌がある。幻獣は、分厚い前足で鋼鉄並みの硬さを持つ魔鋼竹を何本もまとめて握りしめ、強靭な顎で「バキバキバキッ!」と豪快に噛み砕いていたのだ。
「なるほど、悪霊が骨を砕く怪奇音の正体は、『パンダが魔鋼竹を食べている咀嚼音』でしたか。これほど巨大な白黒の個体が存在していたとは」
「おお……おおおお……!!」
冷静に分析するクラウスの横で、ロイドは目をカッと見開き、感嘆の声を漏らしていた。
その瞳に宿っているのは、恐怖などではない。極限まで高まった、純粋な『モフモフ(色彩とフォルム)への愛』である。
「見なさい、クラウス! あの見事なまでのカラーリング! 耳と目の周り、そして四肢だけが漆黒に染まり、胴体は純白という、自然界が生み出した奇跡の配色を!!」
ロイドは、うっとりとした表情で巨大パンダを見上げた。
「大自然のデザイン機能が生み出した究極のアート……一切の無駄がない『白と黒の黄金比』! そして、笹の葉を食べるために進化した丸みのあるフォルムと、ぽってりとしたお腹! なんと愛らしい『モノクロのモフモフ』ですか!!」
「ロイド様。感極まっているところ申し訳ありませんが、魔獣が威嚇態勢に入りました。丸太のような魔鋼竹を、棍棒代わりに振り被っています」
見知らぬ侵入者の熱すぎる視線に対し、巨大パンダが食事を邪魔されたと勘違いして警戒し、太さ数十センチはある魔鋼竹を両手で握りしめた。
直撃すれば、城の城壁すら一撃で粉砕する、神獣のフルスイング攻撃。
『グォォォッ!!』
放たれた必殺の竹棍棒が、空気を裂き、ロイドの頭上へ真っ向から振り下ろされる。
――しかし。
「素晴らしい……! なんというダイナミックな竹遊び! あのずんぐりとした体型から放たれるパワフルな一撃が、さらに野生のギャップ萌えを引き立てていますね!」
城を砕く竹の猛撃を、特注スーツの『物理衝撃・完全反射コーティング』でパァンッ! と軽やかに弾き返しながら、ロイドは無傷のまま、歓喜に震える声で叫んだ。
「あの絶対に色移りしない、完璧な境界線を持つ白と黒の毛並み! 白い部分はふかふかに、黒い部分は艶やかに磨き上げる『カラー別ブラッシング』のやりがいが、これまでの比ではありません! ああ、なんて贅沢な魔獣なのでしょうか!」
「……ええ。おっしゃる通り、私のカバンに用意した『強力粘着ローラー(白黒毛・自動分別対応版)』の出番ですね。後で私のスーツに笹の葉のカスが飛んできた場合のクリーニング代も、経理に請求しておきます」
呪いの霧と必殺の丸太が飛び交う中庭で一人熱狂するロイドと、無表情で特製コロコロの準備をするクラウス。
そんな規格外の人間たちを前に、巨大な神獣パンダは「……クルル? なんで竹が弾かれるの?」という顔でスイングを止め、丸い耳をピクピクと動かして戸惑った。
「怖がらなくて大丈夫ですよ。……さあ、私が極上のマッサージと、最高に美味しい若竹を与えて差し上げましょう」
ロイドは一切の警戒もなく、世界で最も優雅な足取りで、不気味な城の庭を滑るように巨大なパンダへと歩み寄り始めた。




