第2話 ゼロイン廃屋敷
「――以上が契約内容となります。ゼイロン男爵、こちらにサインと、『物件引き取り手数料』の領収書に捺印を」
隣国ゼイロン。そのうらぶれた男爵邸の応接室で、ロイド・グランヴェルは優雅に書類を差し出した。
彼が立ち上げた新規事業『ワケアリ不動産』の、記念すべき転売第一号案件である。
「ほ、本当にこの呪われた廃屋敷の権利を、現状のまま引き取ってくれるのか!? たった『白金貨一枚』の引き取り手数料を支払うだけで!?」
ゼイロン男爵は、ロイドが提示した契約書を見て目を剥いた。
男爵が所有する森の奥の旧邸宅は、数年前から凶悪な幻獣『雷獣グリフォン』が住み着き、完全にダンジョン化していた。
討伐に向かった冒険者パーティー三組が誰一人として帰還しておらず、現在、男爵は冒険者ギルドから「管理責任」を問われ、白金貨数十枚にも及ぶ莫大な賠償金を請求されて首が回らなくなっている、正真正銘の『特級の事故物件(負動産)』である。
「ええ。我がワケアリ不動産は、そうしたお荷物物件を専門に引き取っておりますので。手数料と引き換えに土地の所有権を譲渡いただけるなら、魔獣の処理も、ギルドへの賠償責任も、今後の固定資産税も、すべて我が社が被ります」
「や、やる! 喜んで譲ろう! あんな気味の悪い土地、持っているだけで破産寸前だったのだ!」
男爵は引ったくるようにペンを取り、サインを書き殴った。
(くくくっ! どこぞの世間知らずな御曹司か知らんが、あの凶悪な魔獣と莫大な賠償責任を、たった白金貨一枚で押し付けられるとは! あんな土地、討伐して更地に戻すだけで白金貨百枚は下らんわ! いいカモを見つけた!)
下卑た笑いを必死に噛み殺す男爵の浅ましい計算など、ロイドはとうに察している。
「……契約成立ですね。では、我々はこれで」
涼しい顔で契約書と白金貨の小切手を受け取ると、ロイドは背後に控えるクラウスと共に部屋を後にした。
***
「ロイド様。あの男爵はすべての負債を押し付けられたと喜んでおりましたが、よろしいのですか」
男爵邸を出て、目的の『事故物件』へと向かう馬車の中。
クラウスの問いに、ロイドは超高級な『幻蜘蛛の糸』で仕立てられたスリーピース・スーツの袖口を整えながら、優雅に微笑んだ。
「ええ。ギルドへの賠償金など、我が財閥の資金力からすれば小銭以下の端数です。あの強欲な男爵は、自分がどれほどの宝の山を手放したか理解していません。……魔獣を退去させ、お家芸で建物を『更地』にすれば、極上の魔素だけが残った肥沃な大地になりますからね」
やがて馬車は、鬱蒼とした森の入り口で停車した。
ここから先は『死の森』。馬が本能的な恐怖で泡を吹いて倒れてしまうため、徒歩で進むしかないのだ。
「……ひどい有様ですね。大気が紫色に淀んでいます」
馬車を降りたクラウスが無表情で呟く。
森の中は、肌を刺すような高濃度の魔素と、バチバチという雷の魔力が空気を震わせ、異様な瘴気を放っていた。一般の冒険者であれば、数分間この空気を吸い込んだだけで精神に異常をきたし、発狂してしまうほどの死の領域である。
しかし、世界を裏から支配する財閥のトップエリートである二人にとって、この程度の魔素はそよ風にも等しかった。
「素晴らしい。これほど濃密な魔素が充満しているということは、最奥にいる雷獣が、何年もの間この森の不浄な空気をフィルターとして吸い上げ、体内で浄化し続けている証拠です」
ロイドは深く深呼吸をし、うっとりと目を細めた。
「最高級の美容液の立ち込めるサウナのようですね。肌ツヤにとても良さそうだ」
「はい、ロイド様。マイナスイオンすら感じますね」
猛毒の瘴気を浴びながら「スパークリング・エステのようだ」と優雅に笑い合う主従の姿は、完全に常軌を逸していた。
どんな極限環境であろうと、彼らの歩みは王宮のカーペットの上を歩くかのように洗練されている。
「これほどの魔素を蓄え、結晶化させた魔獣の羽毛……。ああ、いったいどれほど極上の『モフモフ』に仕上がっているのでしょうか。想像しただけで胸が高鳴ります」
「ロイド様。お気持ちは分かりますが、歩調が早くなっております。あまり急ぐと、スーツの裾が汚れてしまいますので」
「おっと、いけませんね。未来の家族との初対面なのですから、身だしなみは完璧にしておかなくては」
クラウスにたしなめられ、ロイドは咳払いを一つして歩調を緩めた。
そうして雑談を交えながら死の森をピクニック感覚で歩くこと数十分。やがて視界が開け、不気味な雷雲に包まれた豪奢な廃屋敷――ゼイロン男爵家の旧邸宅が姿を現した。
「到着しましたね。……む?」
ロイドが目を細めたのと同時に、クラウスが手元のタブレットを確認する。
「ロイド様。屋敷の最奥から、雷獣とは別の……複数の人間の生体反応があります」
「おや。全滅したはずの冒険者たちですね。やはり生きていましたか」
ロイドは一切の動揺を見せず、洗練された足取りで、死の気配が漂う大広間の重厚な扉に手をかけた。




