第24話
ロイド・グランヴェルが優雅に指を鳴らした直後。
遥か上空の雲海に待機していた、グランヴェル財閥が誇る超弩級魔導艦『アルティメット・エステート号』から、海という概念そのものを物理的に両断する極大の『超広域・モーゼの海割り』が放たれた。
――ゴ、ゴ、ゴ、ゴガァァァァァァァァァンッ!!
空を、海を、世界を真っ二つに引き裂くような、聞いたこともない轟音が響き渡る。
天高くそびえる水の壁。荒れ狂っていた波は、見えない巨大な力によって左右へと強引に押し退けられ、その間に、誰も見たことのない『道』が誕生した。
「お見事。今回は超広域・空間位相干渉による海水の物理排除でしたが、我が一族のお家芸はいつ見ても圧倒的ですね」
特注スーツの結界で衝撃波と水飛沫をふわりと弾きながら、ロイドは満足げに微笑んだ。
数年間、近づく船をすべて呑み込んできた『魔の海域』。その忌まわしい大渦巻は掻き消え、そこに現れたのは、太陽の光を浴びてキラキラと輝く『海底の更地(平地)』であった。
海底の泥は、神獣エンペラー・シーオッターが数年間、遊び半分でお腹の上で魔導装甲をコンコンと叩き続けた振動によって完璧に踏み固められ、寸分の狂いもない平坦な大地へと進化していたのだ。
「おおおお……! 海が、海が割れた……!? それに、足元に転がっているのはすべて……!」
上空の輸送艦へ避難していた元・海軍の調査員たちが、窓に張り付いて叫んだ。
干上がった海底の表面には、悪徳海運ギルドが不法に沈めた過積載船の残骸が無数に転がっていた。そして、砕け散った船倉からは、金銀財宝、最高級の魔石、さらには大陸中で禁止されている違法薬物や密輸品の数々が、砂利のように無数に露出していたのだ。
「素晴らしい。これだけの『証拠品』と『隠し資産』が、スコップ一つで掘り出し放題の『超特級・海底宝物庫』へと生まれ変わりました」
邪魔な海水(荒波)が消え去ったことで、命懸けで潜る必要はなくなった。
ここは今や、白金貨数万枚でも下らない『超優良な曰くつき海域(更地)』へと化けたのである。
「さて……。この素晴らしい更地(海底)の活用法について、本省に報告を入れましょうか」
ロイドが空中にホログラムの通信ウィンドウを展開すると、今回もコール音は一回すら鳴らなかった。
『おおおおお! ロイド! 私の愛する弟よ! 極寒の嵐の海へ向かったと聞いたが、全身の毛穴は無事か!? 今すぐ最高級の保湿オイルを送らせるぞ!』
ウィンドウの向こう側に現れたのは、書類の山を投げ捨てて身を乗り出してきた財閥総帥――アルベルト・グランヴェルだった。
「お疲れ様です、総帥閣下。ええ、R&Dのスーツのおかげで、磯の香りを満喫する余裕すらありました。……ところで、後ろで縛られているのは?」
『ああ、こいつら我が財閥の航路に不当な関税をかけようとしたマヌケどもだ。今ちょうど、彼らの個人資産をすべて物理的に『拿捕』しているところだ。気にしなくていい』
拿捕の意味が物理的(鎖)であることには突っ込まず、アルベルトは秒で極上の笑顔に戻る。
『それよりロイドよ! 見事な海割りだった! ……だが、待て。その足元は何だ?』
「何だと言われましても、耕された……いえ、踏み固められたばかりの素晴らしい海底の更地ですが」
『何ということだ……! 塩だ! 塩と泥ではないか!』
アルベルトが、悲劇のヒロインのような仕草で額を押さえた。
『愛する弟と、おててをぎゅっと繋ぐ世界一愛らしい神獣ラッコちゃんが、そんな不浄な塩の泥の上を歩いているだと!? お前の靴に塩分がつくなど、宇宙の法則が許してもこのアルベルトが許さん!!』
「兄さん、海底ですから塩と泥があるのは当然なのですが」
『黙れ! おい経理! ロイドの口座に【ワケアリ海域・温水プールリゾート建設費】として白金貨八千万枚を叩き込んでおけ!』
「……八千万!? 兄さん、それは一国の国家予算を数年分合わせた額ですよ!?」
『海底などという生ぬるい場所ではない! 海域全域を【最高級・魔導温水プールリゾート】に作り替えろ! 水はすべて聖水に差し替え、温度はラッコちゃんが一番快適な摂氏十五度に完全管理しろ! 汚れなき天空に、弟とラッコちゃんのための【天空の浮遊温水プール】を建造しろ! 海底に沈んだ宝はすべてプールサイドの装飾に使え! 害虫の一匹でも侵入したら、上空から衛星レーザーで焼き払うシステムも完備するんだ!』
涼しい顔で、海域全域を「超絶豪華なラッコの庭(天空プール)」に作り替えようとする総帥。
『キュィ! お兄ちゃん、あのおっきい声の人、だぁれ?』
その時、ロイドとクラウスの脳内に、無邪気で幼児のような巨大ラッコの念話が響いた。
「ああ、あれは私の兄で、少し声の大きいスポンサー(ATM)ですよ、ラッコちゃん」
ロイドが足元でぷかぷかと浮かびながら自分の手を握りしめている巨大な毛玉に向かって優しく微笑みかけた瞬間、通信の向こうのアルベルトがピタリと動きを止めた。
『……ロイド。お前、今、また私に聞こえない声で誰かと会話した? なぜ私には何も聞こえないのだ』
「ああ、申し訳ありません、総帥閣下」
秘書官が無表情のまま、手元のタブレットを操作しながら答えた。
「社長(ロイド様)が魔法契約書を修正したため、ラッコちゃんの【無邪気な幼児ボイス】は、私とロイド様の脳内にのみ響いております。……今回も無事に、世界中の出向社員の業務に支障は出ておりません」
『……なんだと? ふざけるな!! 愛する弟の事業の最大スポンサーである私が、ラッコちゃんの「お兄ちゃん」を聞けないなどあってたまるか!! 今すぐ私を役員名簿に入れろ! 私だってお兄ちゃんと呼ばれたい!!』
「兄さん、少し落ち着――」
プチッ。
『愛する弟のラッコちゃんのためなら海の一つや二つ!』と涼しげに言い残し、一方的に通信は切られてしまった。
「……はぁ。また兄さんの悪い癖が出ました。あれでは海底調査が立派になりすぎて、海軍たちが緊張して仕事にならないんですが」
「ロイド様。白金貨九千万枚の入金(一千万枚の追加)、確認いたしました」
秘書官が一切の表情を変えることなく、手元のタブレットに入力を始める。
「総帥閣下の仰る通り、これはもはや温水プールではなく『絶対防衛・天空浮遊プール要塞』となります。重力制御魔法の維持のために、私直属の戦闘特科から『部下』を百名ほど湯守りとして派遣しておきます。あ、ラッコちゃん専用の『黄金魔力ウニ(特大サイズ)』も追加発注しておきました」
「クラウス、君まで兄さんに毒されないでくれ……」
数分後。
海が真っ二つに割れた海底の平地に、財閥本省から転送されてきた数千人規模の「超一流・魔導工兵建築部隊」が飛来し、夜通しで凄まじいクリスタル浮遊プール(ラッコ小屋)の建設を始めた。
最強の権力と莫大な資金をバックに持つ、世界一理不尽なワケアリ不動産屋による「魔の海域」の再開発が、圧倒的な輝きと共に幕を開けたのであった。
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