第17話
かつては大陸中に最高級の果実を出荷し、豊かな実りをもたらしていた大農園。
しかし現在、その広大な土地は、天を衝くほど巨大化した『人食い毒植物(プラント魔獣)』が鬱蒼と生い茂る、緑の魔境と化していた。大気にはツンとした刺激臭が漂い、空からはジュージューと音を立てて『強酸の雨』が絶え間なく降り注いでいる。
「……ひどい有様ですね。大気中の水分が、完全に致死性の酸に置き換わっています」
「ええ。人食い植物たちが放つ消化液のガスが、雨雲を作り出しているようです。一般の冒険者であれば、足を踏み入れた瞬間に装備ごとドロドロに溶かされ、植物たちの養分にされてしまうでしょう」
強酸の雨が降り注ぎ、巨大な食虫花が牙を剥く死のジャングル。
そんな歩くことすら困難な極限環境の中を、ロイド・グランヴェルと秘書官のクラウスは、王宮の温室でも散歩するかのような優雅な足取りで進んでいた。
二人が着ているのは、グランヴェル財閥『研究開発部(R&D)』が最新技術と国家予算レベルの素材で仕立て上げた、特注の【|完全耐酸・防刃ガーデニング用《かんぜんたいさん・ぼうじんがーでにんぐよう》スリーピーススーツ】である。
いかに強酸の雨が降り注ごうと、人食い植物の鋭い蔦が襲い掛かろうと、スーツの表面に施された『超撥水・不可視コーティング』によって、水滴一つ、傷一つ残さずにすべてを弾き落としていた。
「ですがロイド様。これほどの密林では、視界が悪すぎますね」
「問題ありませんよ、クラウス。魔獣が絡む事故物件は、すなわち『最も魔素が濃い場所』に原因があるのです。……あそこです」
ロイドが指差した先。
それはジャングルの最深部、かつて『大果樹園の中心地』と呼ばれていた広場だった。
そこだけが不自然なほどぽっかりと開けており、周囲を取り囲む人食い植物たちは、中央にいる「何か」を恐れるように距離を取っていた。
「……ロイド様。あの中央の広場に、巨大な生体反応があります」
「ええ。出迎えてくれたようですね」
クラウスがタブレットを操作した直後。
ジュゥゥッ、と強酸の雨を弾きながら、酸の霧の中から『それ』は姿を現した。
『メェェェェェッ……!!』
空気を震わせる、少し間の抜けた、しかし圧倒的な威圧感を伴う鳴き声。
現れたのは、見上げるほど巨大な――純白のアルパカの姿をした幻獣だった。
額には天を突くような一本の角(ユニコーンの角)を戴き、足元までを覆い尽くすのは、まるで空の雲をそのまま丸めて持ってきたかのような、信じられないほど分厚く真っ白な毛並みである。
「伝説の神獣……『アルパコーン』ですか。これほど巨大で、純白の個体が存在していたとは」
「おお……おおおお……!!」
冷静に分析するクラウスの横で、ロイドは目をカッと見開き、感嘆の声を漏らしていた。
その瞳に宿っているのは、恐怖などではない。極限まで高まった、純粋な『モフモフ(弾力)への愛』である。
「見なさい、クラウス! 数年間、このジャングルに降り注ぐ強酸の雨と猛毒をたった一匹で吸い上げ、浄化し、己の毛並みで完全に弾き落としているあの姿を!!」
ロイドは、うっとりとした表情で巨大アルパカを見上げた。
「大自然のフィルター機能が生み出した奇跡……一切の汚れを寄せ付けない、究極の防汚性能! そして、あの雲のように膨らんだ純白の被毛! なんと圧倒的な『反発力(弾力モフモフ)』ですか!!」
「ロイド様。感極まっているところ申し訳ありませんが、魔獣が威嚇態勢に入りました。口の中に、致死レベルの強酸溶解液を溜め込んでいます」
見知らぬ侵入者の熱すぎる視線に対し、巨大アルパカが警戒して耳を伏せ、口をモゴモゴと動かし始めた。
アルパカ特有の威嚇攻撃――強烈な臭いと、触れたものを一瞬で溶かす『強酸のツバ(溶解液)』である。
『ペェッ!!』
巨大な口から放たれた、大砲のような強酸の塊が、ロイドを真っ向から飲み込む。
――しかし。
「素晴らしい……! なんという見事な肺活量! その生命力あふれるツバ吐きが、さらに野生の魅力を引き立てていますね!」
致死の溶解液を、特注スーツの『超撥水コーティング』でジュワッと霧散(というより完璧に弾き落とし)させながら、ロイドは無傷のまま、歓喜に震える声で叫んだ。
「あの絶対に汚れない、反発力に満ちた究極の毛玉! 顔を埋めた時の『沈み込み』と『跳ね返り』の感触が、これまでの比ではありません! ああ、なんて贅沢な魔獣なのでしょうか!」
「……ええ。おっしゃる通り、私のカバンに用意した『強力粘着ローラー(超弾力・反発毛対応版)』の出番ですね。後で私のスーツに溶解液が跳ねた場合のクリーニング代も、経理に請求しておきます」
強酸の雨と致死のツバが飛び交う中で一人熱狂するロイドと、無表情でコロコロの準備をするクラウス。
そんな規格外の人間たちを前に、巨大な神獣アルパコーンは「……えっ? なんで溶けないの?」という顔でツバ吐きを止め、長い首を傾げて戸惑った。
「怖がらなくて大丈夫ですよ。……さあ、私が極上のマッサージと、甘い果実を与えて差し上げましょう」
ロイドは一切の警戒もなく、世界で最も優雅な足取りで、巨大な雲のアルパカへと歩み寄り始めた。
強酸の雨が降る死のジャングルで、冷徹な御曹司による『最高に弾力のある買収劇』が、今、幕を開ける。




