第10話
かつて猛吹雪のゴーストタウンだったその場所は、たった一晩で『世界最高峰の温泉リゾート要塞』へと変貌を遂げていた。
グランヴェル財閥・総帥アルベルトの過剰な資金投下により、広大な露天風呂はすべて最高級の【月光大理石】で造られ、源泉から溢れる純度百パーセントの『神の温泉』が惜しげもなく掛け流されている。
「素晴らしい……。お湯の中でブラッシングをすると、冬毛の滑らかさがさらに際立ちますね。しかも九本分。ここは天国でしょうか」
『きゅぅぅ……極楽なのじゃ。お兄ちゃん、そこ、もっと強く梳かしてほしいのじゃ……』
湯気立ち込める露天風呂の浅瀬。
超高級スーツのズボンの裾をまくっただけのロイド・グランヴェルが、九尾の狐の巨大な尻尾を一本ずつ、恍惚とした表情で丁寧にブラッシングしていた。魔法の湯のおかげで、極上の冬毛は濡れても一切へたらず、むしろ真珠のような輝きを放っている。
そこに、けたたましい足音と怒声が踏み込んできた。
「おい、そこな不動産屋!! 勝手にわしの領地の水を使いおって!」
百人近い完全武装の私兵を引き連れ、大理石の風呂場に土足で踏み込んできたのは、恰幅の良い中年男――この温泉街の上流を治める悪徳領主だった。
彼は、かつて『冷却の魔導廃棄物』を不法投棄してこの街を氷漬けにした張本人である。
「な、なんだこの尋常ではない魔力を含んだ湯は!? あの不吉な氷の街が、これほどの宝の山に化けていたとは……!」
領主は、黄金色に輝く『神の温泉』を見て、貪欲に目を血走らせた。
「おい若造! この温泉の水脈は、わしの領地の川と繋がっておる! すなわち、この源泉の『水利権』はすべてわしにある! 今すぐこのリゾートの権利書と、その魔獣を置いて立ち去れ! さもなくば――」
領主が合図をすると、私兵たち一斉に武器を構え、ロイドを取り囲んだ。
「……なるほど。不法投棄による環境破壊の次は、武力による水利権の強奪と不法侵入ですか」
ロイドは溜息を一つ吐くと、最高級の獣毛ブラシをそっと置き、立ち上がった。
その顔には、先ほどまで九尾に向けられていた温もりなど微塵もない。世界を裏から支配する、冷徹な特命代理としての貌だった。
「クラウス」
「はい、ロイド様」
控えていたクラウスが一歩前に出た。彼から放たれた、三大財閥の一つグランヴェル財閥に仕える者としての只者ではない底知れぬ殺気。ただそれだけで、歴戦の兵士であるはずの私兵たちが「ひっ」と悲鳴を上げ、後ずさった。
「領主殿。我々は、この土地の権利を前組合長から合法的に買い取りました。……ですが、どうしても水利権をご主張なさるというなら、然るべき機関を通して解決いたしましょう」
ロイドは空中にホログラムの通信ウィンドウを展開した。
「国家水資源管理省、大臣。繋がっていますね?」
『はっ! ロイド様、スタンバイ完了しております!』
ウィンドウに映し出されたのは、この国のすべての水と河川を管理するトップ、水資源管理大臣その人であった。領主にとっても、絶対に逆らえない国家の中枢である。
「だ、大臣閣下!? な、なぜ一介の不動産屋の通信にあなたが……!」
「彼だけではありませんよ。この国の主要な大臣も、魔導工場の監査役も、すべて我が財閥からの『出向社員』ですから」
ロイドの言葉に、領主の顔から一瞬で血の気が引いた。
「……大臣。この領主は、我が財閥の新規事業に対し、不当な水利権の主張と武力行使を行いました。彼が過去に行った『不法投棄』の調査結果は?」
『はい! 上流の魔導工場から冷却廃棄物を意図的に流出させていた決定的な証拠、ならびに賄賂の裏帳簿を完全に確保いたしました! 直ちに彼の領主権限を剥奪し、一族の全資産を没収します』
「手際が良いですね。それと、彼が水利権にこだわっていたようですから――」
ロイドは、極上の微笑みを浮かべて冷酷な宣告を下した。
「――彼の領地へと繋がるすべての水道と水利権を『完全停止』しなさい。物理的に干上がらせてあげましょう」
『御意! ただちに領地周辺の水門をすべて物理封鎖いたします!』
「なっ……ま、待ってくれ! 水が止められたら、わしの領地の農作物も工場も、すべて一日で壊滅してしまう! 権利は諦める、だから水だけは――」
「お引き取りを。湯船にゴミが浮いては、九尾ちゃんが不快に思いますので」
ロイドが優雅に指を鳴らした直後。
領主の背後に空間の歪みが生じ、黒ずくめの財閥法務部(回収班)が音もなく現れた。
「ひぃぃぃっ!?」
領主の醜い命乞いは、回収班によって物理的に塞がれ、そのまま闇の中へと引きずり込まれていった。雇われていた私兵たちも、暗殺部隊の殺気に恐れをなし、すでにクモの子を散らすように逃げ去っている。
ほんの数分。
一滴の血も流さず、一つの強欲な領主家が、文字通り「完全に干上がって」社会から消去された。
「……ふぅ。まったく、せっかくのブラッシングタイムを邪魔されるとは」
ロイドが視線を落とすと、九尾の狐が「きゅぅん」と甘い声を出しながら、巨大な九本の尻尾をロイドに擦り付けていた。
「ああ、ごめんなさいね。待たせてしまいました。さあ、ブラッシングの続きをしましょう」
先ほどまでの冷徹なビジネスマンの顔は幻であったかのように、ロイドは目を細め、愛しい魔獣の冬毛に顔を埋めた。
「……ロイド様。領主の全資産の接収、およびこの温泉リゾートの一般向け販売準備が完了しました。利益率は軽く一万パーセントを超えます」
「素晴らしい。これで、この子たちのためにさらに極上のおやつを開発(R&Dに徹夜)させられますね」
強欲な者を経済と権力で轢き潰し、浄化された土地から莫大な富を生み出す。
世界一理不尽で、世界一優雅なワケアリ不動産の快進撃は、とどまることを知らない。
面白いと思っていただけましたら、評価・ブクマいただけると嬉しいです!




