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推し(アヌビス)が不幸になる神話だったので、王殺しだけは回避しようと思います――ネフティスに転生して、みんなを救済します  作者: 海月


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第4話「神殿という名の政治」

 

 神殿は、静かだった。

 王宮の廊下にある緊張とは違う。 音がないのではない。 音が整理されている――そんな感じだ。

 足音は吸い込まれ、 声は反響せず、 祈りの言葉だけが壁に染みついている。

 ここは、力で抑え込めない場所。 剣が役に立たない場所。 言葉と記録で首を絞めてくる場所。

 私は深く息を吸った。

 隣を歩くセトは無言だった。 外套の下で拳を握っているのが、 歩調からわかる。

 ――この人、ここが一番苦手だ。

「……緊張してる?」

 小さく声をかけると、 セトは鼻で笑った。

「お前もだろう」

「ええ」

 正直に答える。

「吐きそうなくらい」

 セトが、わずかに目を細めた。

「……素直だな」

「嘘ついても、 あの二人には通じないもの」

 ラーとトト。

 神殿長と記録官。

 この国の「記憶」を司る二人。

 彼らに認められなければ、 どれほど完璧な計画も、 「なかったこと」にされる。

 逆に言えば―― 彼らが記録すれば、 それが「事実」になる。

 私たちは今、 歴史の書き手に会いに行く。

 ⸻

「王弟妃殿下」

 奥から、ゆったりした声が響いた。

「そんな顔をしなさんな。 神殿は人を食わんよ。 ……今のところはの」

 現れたのは、 白い衣をまとった老人だった。

 背は低く、 腰は少し曲がっている。 髭は長く、 目尻に深い皺。

 ――神殿長ラー。

 太陽信仰の最高責任者。 王権を"認める"立場にある男。

 第一印象は、 完全に「好々爺」。

 でも。

 その目は、笑っていなかった。

「よう来たのう、セト。 ……それから、 王弟妃殿下」

 視線が、私に向く。

 その瞬間、 ぞくりと背中が粟立った。

 ――見てる。

 顔色でも、姿勢でもない。 変化そのものを、 見ている目。

「お久しぶりです、神殿長」

 セトが頭を下げる。

 その動きは、 王宮で見せるものより、 ずっと慎重だった。

「うむうむ。 最近は神殿に来る頻度が高いのう」

 ラーは笑った。

 けれど、 その言葉は冗談じゃない。

 ――ちゃんと数えてる。

 私は、 内心で背筋を正した。

「こちらへどうぞ。 立ち話もなんじゃし、 腰がの」

 案内された部屋は、 豪奢ではなかった。

 装飾は少なく、 中央に机が一つ。

 壁一面に並ぶのは―― 石板と巻物。

 記録。 記録。 記録。

 この国の「歴史」が、 すべてここにある。

 そして、 その机の脇に、 すでに一人、 男が立っていた。

 黒衣。 痩せた体躯。 表情が、ない。

「……記録官トトです」

 ラーが軽く紹介する。

 私は、 喉が鳴るのを感じた。

 ――来た。

 この男は、怖い。 ラーより、ずっと。

 なぜなら。

 彼は、 決して嘘をつかない。 ただ、書くだけ。

 書かれたことは、 消せない。

 書かれなかったことは、 「なかった」ことになる。

「お初にお目にかかります、 王弟妃殿下」

 トトは、 淡々と頭を下げた。

 その動作に、 感情は一切含まれていない。

「……初めまして」

 私も頭を下げる。

 その間、 トトの視線が、 私の喉元から指先まで、 静かに走った。

 ――評価されてる。

「さてさて」

 ラーが、 どっかりと椅子に座った。

「今日は何の用じゃ? 二人揃って、 朝から神殿とは」

 セトが口を開こうとした瞬間、 私は一歩前に出た。

「神殿長。 今日は、 私からお話があります」

 セトがこちらを見る。 驚きと警戒が混ざった目。

 ラーは、 少しだけ目を細めた。

「ほう…… 王弟妃殿下が、の」

 私は、 深く一礼した。

「今後、 王宮で起こる"変化"について、 神殿として、 どのように扱われるのかを 伺いたく」

 ラーは、 すぐには答えなかった。

 代わりに、 隣のトトを見る。

「……記録官。 今、 この場で話されたことは?」

 トトは即答した。

「記録されます。 真偽の判断は後日でも、 "発言があった事実"は残ります」

 私は、 喉の奥が冷たくなるのを感じた。

 ――これだ。

 この男の恐ろしさ。

 何を言ったか。 何を言わなかったか。

 それだけで、 未来が分岐する。

「……それを理解した上で、 話すのじゃな?」

 ラーの声は、 穏やかだった。

 でも、 その裏にあるのは―― 逃げ場はない、 という宣告。

 私は、 はっきりと頷いた。

「承知しています」

 そして、言った。

「近く、 王宮に大きな"事件"が起こります。 王権に関わる、 重大な変化です」

 セトが、 息を呑む。

 トトのペンが、 紙の上で止まった。

「……ほう?」

 ラーは、 少し楽しそうに笑った。

「予言かの?」

「いいえ。 人為です」

 その瞬間、 空気が変わった。

 ラーの笑みが、 消える。

 トトのペンが、 再び動き出す。

「王権は、 人が動かすものです。

 神の名を借りても、 実行するのは人」

 私は、 視線を逸らさなかった。

「神殿がそれを "どう解釈するか"で、 この国は、 救われも、 壊れもします」

 ラーは、 じっと私を見つめた。

「……ずいぶん、 踏み込んだことを言う」

「踏み込まなければ、 手遅れになります」

 沈黙。

 やがて、 ラーは大きく息を吐いた。

「若いのに…… いや、 若いからこそ、かの」

 彼は、 セトを見る。

「お前、 随分と焦っておるな」

 セトが、 肩を強張らせる。

「……」

「まあよい」

 ラーは、 ゆっくりと首を振った。

「儂も長く生きておる。 何度も、こういう"空気"を見てきた」

 視線が、私に戻る。

「大きな変化の前は、 いつも、こうじゃ。

 誰もが焦り、 誰もが何かを隠し、 そして――」

 彼は、ゆっくりと続けた。

「誰かが、犠牲になる」

 沈黙。

 その言葉が、 部屋の空気を凍らせた。

「だが」

 ラーは、 穏やかに続ける。

「その犠牲が、 無駄にならぬようにするのが、 儂らの仕事じゃ」

 彼は、トトを見る。

「記録官。 今日のことを、 忘れずに残せ」

「はい」

 トトは、 淡々と頷いた。

 ラーは、 私に視線を戻した。

「王弟妃殿下。 そなたは、 何を望む?」

 私は答えた。

「混沌を、 退けたいだけです」

 ラーは、 目を細めた。

「……アペプ、か」

 その言葉に、 セトが反応する。

 ラーは、 続けた。

「この国は、 何度も混沌に呑まれかけた。

 その度に、 力ある者が 退けてきた」

 彼は、 セトを見る。

「お前も、 その一人じゃ」

 セトは、 黙っている。

「だがの」

 ラーは、 指を一本立てた。

「力は、 永遠ではない。

 いつかは、 次へ渡さねばならん」

 視線が、 私に向く。

「その"次"を、 そなたは、 用意しておるのか?」

 私は、 一瞬だけ迷い、 答えた。

「……はい」

 嘘ではない。

 まだ確定ではないが、 可能性はある。

 そして、もし宿っていれば、 必ず守る。

 ラーは、 ふっと笑った。

「ならば、 よい」

 その一言で、 場の緊張が、 少しだけ緩んだ。

 だが。

「記録官」

 ラーが言う。

「今日の会話は、 "神殿が王宮の変化を認識していた" という形で、 残しておきなさい」

 トトは、 無言で頷いた。

 ――認識していた。

 それだけで、 意味が違う。

 後に何が起きても、 神殿は "知らなかった" とは言えない。

 私は、 背中に冷たい汗を感じながら、 頭を下げた。

「ありがとうございます」

 ラーは、 のほほんと笑った。

「いやいや。 儂はただ、 若い者が壊れるのを、 あまり見たくないだけじゃ」

 その言葉は、 優しさなのか、 それとも、 長い年月が生んだ諦観なのか。

 ⸻

 部屋を出るとき、 トトが、 ちらりとこちらを見た。

「王弟妃殿下」

 足を止める。

「――あなたが今、 ここで話したことは、 "まだ事実ではありません"」

 淡々とした声。

「ですが」

 ペンを軽く振る。

「事実になる可能性として、 すでに記録されています」

 私は、 喉が鳴るのを感じた。

「お気をつけて。 記録は、 書き直せませんから」

 それだけ言って、 トトは踵を返した。

 ――この男。

 敵に回したら、 終わりだ。

 ⸻

 神殿を後にしながら、 セトが低く言った。

「……お前、やるな」

 少し、笑っている。

「あの二人を、 ここまで引き込むとは」

「……共闘、と言ったから」

 私は、答えた。

「嘘はつかない。 隠さない」

「ああ」

 セトは、前を向いた。

「そういう奴は、 信用できる」

 その言葉が、 温かかった。

 私は強く思った。

 混沌を退けるのは、 剣でも、 力でもない。

 言葉と、 記録と、 それを扱う人間の意思だ。

 そして今、 私はその渦の、 ど真ん中に立っている。

 逃げる気は、 なかった。

(……ありがとう)

 心の中で、 まだ見ぬ我が子に語りかける。

 あなたのために、 母は今日、 歴史の中に足跡を残した。

 消されない足跡を。

 王宮への道を歩きながら、 私は無意識に腹部に手を当てた。

 次に来るのは―― 計画の具体化。

 棺桶パーティー。

 オシリスの"死"。

 そして、 アヌビスの誕生。

 すべてが、 動き始める。


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