45話 紫の花と、春の鍋
その日の午前中、クズノハのお使いはかつてないほどの速度で完了した。
ガラムの元へ届け物をし、ゲルハルトに斧を渡し、ベルナデッタの家の軒先に薪を並べる。
その所作には一切の無駄がなく、教会に戻る道中も彼女の視線が逸れることはなかった。最短ルートを正確に刻むとてとてした足取りは、昨日よりも心持ち速い。
昼食を終えるや否や、クズノハはテレーズの元へ駆け寄った。彼女は自分からテレーズの修道服の裾をぎゅっと握り、雑貨屋のある方向へとぐいぐいと引き寄せる。
「ふふ、そんなに慌てなくても、カレンさんの店は逃げませんよ」
テレーズが苦笑しながら歩き出すと、クズノハの鼻からふんふん、ふすふすと、期待を隠しきれない荒い鼻息が漏れていた。
雑貨屋の扉を開ける際も、彼女はテレーズの前に回り込み、自ら体当たりするようにして扉を押し開けた。
「あら、いらっしゃい。珍しいわね、今日はシスターと一緒なのね」
カウンターの奥でカレンが顔を上げる。
クズノハは無言のまま、カウンターへとにじり寄った。そして虚空から、昨日採取した紫色の花――紫金草を一本だけ取り出し、丁寧に、しかし誇らしげにそっと置いた。
クズノハは胸を張り、カレンをじっと見つめたまま反応を待っていた。
ピンと立った耳、そしてカウンターの前でふぁさふぁさと振れる白銀の尻尾。その瞳には、期待の光が宿っている。
カレンは花を手に取り、眼鏡をかけ直してじっくりと観察した。
「……ええ、間違いなく本物の紫金草ね。なかなか質のいいものを見つけたわね、クズノハちゃん」
カレンの言葉に、クズノハの尻尾の動きが一段と激しくなる。勝利の確信。
だが、カレンはそのまま、帳簿をめくりながら言葉を続けた。
「でもね……残念だけど、今はこれ、そんなに高くは買い取れないのよ」
クズノハの尻尾が、ぴたりと止まった。
カレンは申し訳なさそうに、クズノハが手に持っていた古い図鑑を指さした。
「その図鑑、かなり古いでしょ? 何十年か前なら金と同じ価値があったかもしれないけれど、今はある程度まとまって収穫できる場所が見つかって、流通量が安定しちゃったの。特にこの村には、毎年この時期にこれを山ほど持ち込んでくる名手が二人もいるからね。……今はこれぐらいしか出せないわね」
銀貨が数枚、カウンターに置かれた。その時、カウベルの音が軽やかに響く。
「ただいま戻りましたよ、カレンさん。今年も大漁ですよ」
聞き覚えのある声と共に、ハルとベルナデッタが店に入ってきた。
「おや、クズノハちゃん、ふふ……ただいまですよ。神父様のところで良い子にしてたかい?……あら、どうしたんだい? そんなに耳を伏せちゃって……」
二人がカウンターに置いた籠の中には、クズノハが昨日必死に掘り起こしたのと同じ紫色の花が、籠から溢れんばかりに、文字通り山のように盛られていた。他にも、貴重そうな植物の根や、芳醇な香りの木の皮が溢れんばかりに詰め込まれている。
クズノハの耳が、ゆっくりと、左右に力なく倒れていく。
目の前には、自分が幸運に恵まれて見つけ出した希少な宝が、ハルの足元で例年の収穫として、圧倒的な物量で積み上げられていた。
「……クズノハ様」
テレーズが思わず声をかけようとしたが、それより先にハルが不思議そうに歩み寄る。
クズノハは、自分のカウンターに置いた一輪の花と、ハルが持ち込んだ大量の収穫物を交互に見つめた。
白銀の尻尾が一度だけ、ふぁさりと力なく床を叩き、そのまま根元から垂直に垂れ下がった。
ハルは、カウンターに置かれた一輪の花と、力なく垂れ下がったクズノハの尻尾を見て、すべてを察したように目尻を下げた。
「おやまあ……クズノハちゃんも、これを見つけたのかい? 上手に見つけられて良かったねぇ、こんな立派なものを……。預かってくれた神父様たちも喜んでくれますよ。あとでお礼を言いに行きましょうねぇ」
ハルが優しく抱き上げようと手を伸ばしたが、クズノハはそれを僅かに身をよじって避けた。そして、カウンターの銀貨を感情の読み取れない所作で一つずつ拾い上げ、インベントリへと放り込む。カレンに小さく会釈をしたクズノハは、ハルと手を繋ぎ、伏せられた耳を寝かせたまま出口へと歩き出した。
教会に戻ると、クズノハは神父ヴィンセントとテレーズに対し、深々と頭を下げた。
それは愛嬌ある挨拶というより、事務的な謝辞を述べるかのような、潔い引き際だった。
「本当にお利口さんでしたよ。またいつでもいらしてくださいね」
テレーズが見送る中、クズノハは一度も振り返ることなくハルの後を追って教会を後にした。その背中を見送りながら、テレーズは、あれが期待を裏切られたことへの精一杯の意地と落胆なのだと気づいていた。
その日の夜、ハルの家ではベルナデッタと共に遠征の成功を祝う夕食の準備が進められていた。
土間に置かれた大きな鍋には、ハルたちが山から持ち帰ったばかりの瑞々しい山菜と、道中で狩られた新鮮な野兎の肉がふんだんに放り込まれている。立ち上る湯気と共に、滋味深い香りが部屋いっぱいに広がった。
「クズノハちゃん。たくさん食べてちょうだいねぇ。お肉も沢山あるからねぇ」
ハルが取り分けた椀が、クズノハの前に置かれる。
クズノハは木匙を手に取り、ゆっくりと口へ運んだ。肉は柔らかく、山菜の苦味が春の訪れを感じさせる、文句の付けようのない絶品だ。だが、クズノハの表情は晴れない。
咀嚼するたびに、白銀の尻尾が床の上を掃くようにゆさ……ゆさ……と力なく揺れる。
ハルとベルナデッタが「今年も沢山採れて良かったねぇ」「一昨年は雨が降って大変だったねぇ」と、遠征の話で盛り上がっていた。それがクズノハと耳に届くたびに耳は下がり、視線も俯いて行く。
彼女は自分に言い聞かせるように、黙々と鍋をつつき続ける。
時折、ハルが美味しいかい?と顔を覗き込むと、クズノハはぷいと視線を逸らし、わざとらしく肉の塊を口に放り込んだ。
それは、情報不足と身内による供給過多への、彼女なりの静かな抵抗だった。
窓の外では、春の夜風が芽吹いたばかりの木々を揺らしている。ハルの家に響く笑い声の中、クズノハは最後の一口を飲み込み、もう一度だけ、すんっと短く鼻を鳴らして、小さく拗ねたように視線を逸らしていた。




