42話 午後の協力者
朝の光が食卓を白く照らし、ハルが淹れた茶の湯気が静かに立ち上っている。
ハルは、質素な朝食を口に運ぶクズノハの姿を、目を細めて見守っていた。ハルの胸元には、あの日以来、銀色のブローチが絶えずその光を宿している。
「クズノハちゃん。今日は午前中にお使いを済ませたら、午後から一緒に教会へ行きましょうか。神父様にも、街での様子を詳しく伺いたいからねぇ」
ハルの穏やかな提案に、クズノハは咀嚼の手を止めて視線を向けた。しばしの沈黙の後、彼女は一度だけ、深く首を縦に振る。
朝食を終えると、彼女の午前中の業務が始まった。まずは隣の家へと足を向ける。その光景は、もはや村の景色の欠片として定着していた。
「はい、クズノハちゃん、今日もお願いできるかい?ハルさん、この前は野草のおすそ分けありがとうねぇ」
ベルナデッタから手渡されたずっしりと重い弁当の包みを、クズノハは両手で受け取る。それらは彼女の指が触れた刹那、吸い込まれるように虚空へと消えた。彼女はハルの指先を握り直すと、てこてこと一定の歩調で鍛冶場へと向かう。
鍛冶場では、ガラムが既に鉄を打つ手を止めて待っていた。
クズノハはガラムに弁当を手渡すと、その視線を一度、作業場の隅々へと走らせる。だが、ガラムはクズノハと視線を合わせると、その白銀の頭を大きな手でわしゃわしゃと撫でながら声をかけた。
「わりぃな……今日は配達はねぇから、ここはもういいぜ。次のお使いに行ってきな」
ガラムの言葉に、クズノハは耳を一度だけぴこりと動かし、踵を返した。
続いてカレンの店で数件の小包を受領し、村を巡る。ハルの後ろを歩きながら、クズノハは淀みなく荷を捌いていった。一軒、また一軒と用事を完了させるたびに、彼女の白銀の尻尾はふりふりと一定のリズムで左右に揺れ、村の日常をなぞっていく。
そして午後になり、午前中の業務をすべて完遂した二人は、一度家に戻って昼食を済ませると、教会の重い石造りの扉を押し開けた。
祭壇の脇では、神父とシスターが街からの書類と思われる紙束を整理していた。
「おや、ハルさんに、クズノハ様。……よく来てくださいましたね」
神父が穏やかに微笑む。ハルが胸元のブローチに手を添え、街での無事に対する礼を述べる間、クズノハはハルの半歩後ろ、その斜影に重なる位置で直立不動の姿勢を維持していた。
神父とハルが挨拶を交わす間、クズノハは教会の壁際でじっと待機していた。
三歳児であれば、椅子を叩いたり、ハルの裾を引っ張ったりして注意を引くところだが、彼女はただ静かに、ハルの斜影の中に溶け込むように佇んでいた。
「クズノハちゃん、ハルさんとお話をする間、退屈でしょう。よければ、シスターのお手伝いをしてくれませんか?」
神父が腰を落とし、クズノハと視線を合わせた。
「聖堂の椅子を拭く仕事です。もちろん、これは正式なお仕事ですから……終わったら、御駄賃を差し上げますよ」
クズノハの瞳が、僅かに色を変えたように見えた。
彼女はハルを見上げ、許可を得るように一度だけ首を傾げる。ハルが微笑むと、クズノハはシスターの方へと、迷いのない足取りで歩み寄った。
手渡されたのは、使い込まれた清潔な布だ。
テレーズは、隣で掃除を始めた幼子の手元を、それとなく見守っていた。
クズノハの動きは、テレーズのように手早くはない。腕が短いため、椅子の背もたれを拭くのにも一苦労している。だが、その拭き方は奇妙に丁寧だった。
(……遊びがないのね)
普通、子供に掃除を頼めば、水に濡れた布の感触を楽しみ、あちこちをべたべたと触り、結局はやり直しになるものだ。しかし、クズノハは一度拭いた場所をじっと見つめ、汚れが残っていればもう一度、なければ次の箇所へと、事務的に手を進めていく。
三歳児の体で低い脚を拭く際、彼女は尻尾を床に突っ張るようにして、転倒を防ぎながら重心を制御していた。尻尾を支えにする姿が、どこか不器用ながらも必死に背伸びをしているように見える。テレーズの作業スピードには到底及ばないものの、クズノハが通り過ぎた後の椅子は、丁寧に磨き上げられていた。
テレーズが全体の半分以上を終える頃、クズノハもようやく、割り振られた一列を拭き終えた。
彼女は布を丁寧に四角く畳むと、それをテレーズの目の前へ差し出した。検収を待つような、その静かな仕草。
「ありがとう、助かったわ。……とても丁寧な仕事ね?」
テレーズが礼を言うと、クズノハは短くふすっと鼻息を鳴らし、神父の元へと戻った。
テレーズはその小さな背中を見送りながら、拭き清められた椅子と彼女の奇妙な落ち着きを思い返し、ふと小さく独りごちた。
(真面目で悪い子では無さそうなのですが……)
その視線の先で、神父の掌から三枚の銅貨がクズノハの小さな手に移った。彼女はそれを一枚ずつ指先で確認するように掴むと、それらは彼女の手の内で、吸い込まれるように虚空へと消えた。
その受領の仕方は、喜びを爆発させる子供のそれではなく、まるで正当な報酬を受理する労働者のそれであった。
神父はそれを見届け、満足そうに一つ頷く。クズノハもまた、視線を一度だけ神父の瞳に固定し、無言のまま短く頭を下げた。ハルが「まあ、よかったねぇ、クズノハちゃん」と優しくその頭を撫でると、クズノハは満足したように一度だけ鼻を鳴らし、自らハルの手を引いて教会の出口へと向かう。
帰り道、ハルに手を引かれながら、夕暮れの道を歩くクズノハの白銀の尻尾。ハルの歩調に合わせて、規則正しく、しかしどこか満足げに左右へとゆらゆらと揺れていた。




