39話 春光と鉄の重み
春の柔らかな日差しが、残雪をきらきらと輝かせている。
ハルに連れられてクズノハがやってきたのは、村の外れに位置するガラムの鍛冶場だった。まだ早い時間だというのに、中からは火床の爆ぜる音と、重厚な鉄を叩く鈍い音が響いてきている。
クズノハが重厚な木製の扉をコンコンと叩くと、煤で汚れた前掛けをしたドワーフの男、ガラムが顔を出した。クズノハは無言でベルナデッタの弁当の包みを渡す。ガラムは太い腕で額の汗を拭い、作業場の片隅に置かれた木箱を顎で指し示した。
「ああ、いつも悪いな。これは雑貨屋に卸す予定の釘と、補強用の鉄の楔なんだが……。すまねぇが今回も頼めるか?」
箱の中には、打ち出し終わった無骨な鉄の塊がぎっしりと詰まっている。大人が両手で抱えてようやく運べるほどの重量であることは、湿り気を帯びた土間へ、木箱が底を深く沈ませている様子からもうかがえた。
クズノハは無表情のまま一歩前に出ると、小さな指先で木箱の縁にそっと触れた。
次の瞬間、土間に深く根を張ったかのように置かれていた木箱は、音もなくその場から消え失せた。
……ふすっ
短く鼻息を一つ。
クズノハは箱があった空間を一瞥することもなく、すぐさま踵を返した。
ハルが並ぶのを待つために一度だけ足を止め、それから再び、メトロノームのように正確なピッチで歩き出す。ハルに比べて圧倒的に狭いその歩幅は、一切の揺らぎがなく、常に一定のリズムでとてとてとことこと地面を捉え続けていた。
「よし、今回も頼んだぞ。取り出すときには気をつけてな」
ガラムが背後で声をかける。
クズノハはその言葉に振り返ることはなかったが、歩きながら白銀の尻尾が一度だけ、ふぁさっと小気味よく揺れた。
二人はそのまま、カレンの雑貨屋へと向かった。
ズノハはハルの斜め後ろ、半歩下がった位置を違わず維持し続けている。その姿は、周囲の村人たちの目には、お婆ちゃんの手伝いを懸命にこなす、健気に頑張る幼子のように映っていた。
カレンの雑貨屋の軒先には、春の陽気に誘われてか、いくつかの乾物や農具の予備が並べられていた。クズノハは店の入り口で一度足を止め、ハルが扉を開けるのを待ってから中へ滑り込む。
「カレンさん、ガラムさんからの預かりものだよ」
ハルの声に、奥から帳簿を片手にしたカレンが顔を出した。
クズノハは店内のスペースを一度見渡すと、カウンターの奥へと歩を進める。次の瞬間、先ほどまで鍛冶場の土間にあったはずの重厚な木箱が、バックヤードの空白へ寸分の狂いもなく出現した。
ゴトッ……と、鉄の質量を物語る重い音が室内に響き渡る。
「はい、確かに。クズノハちゃん、いつも助かるわー。今の時期、入ってもすぐに売れちゃうのよねー」
手際よく検品を済ませるカレンの横で、クズノハは棚のラベルや街から届いたばかりの荷の山へと、ただ静かに視線を走らせていた。カレンが差し出した干し果物を受け取る際も、その瞳に色の変化はない。
「あ、そうだ。クズノハちゃん。ついでにこれ、ゲルハルトさんの家へ届けてもらえる? 注文されていたランプ用の油と、新しい芯の予備。ちょうど今、準備が終わったところなの」
クズノハは一度だけ頷くと、用意された油の瓶と包みを手に取る。それらは彼女の手が触れた刹那、吸い込まれるように虚空へと消えた。
三歳児の体躯には似合わぬ、淀みのない一連の所作。
彼女は再びとてとてと、しかし一切の迷いがない軌跡を描いてゲルハルトの家へと向かう。道すがら、庭掃除をしていた村人が声をかけたが、彼女は視線を向けて耳を一度だけぴこりと動かしたのみで、その歩調を乱すことはなかった。
そして、ゲルハルトの家での届け物を終え、家路へと続く大通りに戻った、その時であった。
村を囲む柵の出入り口、街道の方角から低く、重厚な馬蹄の音が響いてきた。
雪解けの泥を跳ね上げながら、見覚えのある紋様の馬車がゆっくりと広場へ入ってくる。
「神父様の馬車だねぇ。どうやら帰ってきたみたいだねぇ」
ハルが目を細めて呟くのとほぼ同時に、教会の扉が勢いよく開いた。中から飛び出してきたシスターは、誰よりも早く馬車へと駆け寄り、その到着を待ちわびるように立ち尽くした。
クズノハはハルの隣で足を止め、その光景をじっと見つめていた。
泥に汚れた車輪の回転、引き連れている馬の激しい呼気、そして御者台から降りようとする人物の細かな挙動。
広場に集まり始めた村人たちが歓迎の声を上げる中、クズノハだけは、その喧騒に混じることなく、ただレンズのような無機質な瞳で馬車の姿を捉え続けていた。




