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狐狂いのVRMMO ~理想の狐を作ったら最弱の幼狐になりました~  作者: かきのたね
四章 穏やかな暮らし

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38話 春の陽だまりと、ヘラ使い

 ことり、と硬い表紙が木のテーブルを叩く音がした。

 ハルが台所でサンドイッチの準備をしている横で、クズノハは例の植物図鑑を広げ、一点を凝視していた。彼女の小さな指が、ページの一角にある紫色の小さな花の挿絵をなぞる。何度も、同じ場所をなぞり続ける。

 ハルが油紙に包まれたサンドイッチを籠に収めると、クズノハは弾かれたように図鑑を閉じ、インベントリへと仕舞い込んだ。


「さあ、お待たせ。クズノハちゃん、準備はいいかい?」


 ハルが声をかけると、クズノハは無言で立ち上がり、棚から自分の小さな手籠を掴み取った。ハルが差し出した採取用のヘラを受け取ると、彼女はその刃先をじっと見つめ、指先で感触を確かめる。そして、満足げに一度だけ、ふすっと鼻息を鳴らした。

 玄関へ向かう足取りは軽く、その背中には先ほどまでの静けさとは異なる熱が帯びているようであった。


 村の境界を越えると、冬の間に積もっていた雪はすっかり姿を消し、代わりに水分を含んだ黒い土が顔を出していた。

 平原に足を踏み入れた瞬間、クズノハの歩調が緩む。彼女の首は小刻みに左右へと動き、地表の僅かな緑の芽を一つ一つ拾い上げるように見渡していく。


 ふと、クズノハの足が止まった。

 鋭い動きで膝をつき、生え立ての草に顔を近づける。数秒の静止。

 ……だが、クズノハはすぐに、ふんっと短く鼻を鳴らして立ち上がった。その草には二度と視線を向けず、再び先へと歩み出す。


「おや、それはナズナだよ。もう少し大きくなれば、お浸しにすると美味しいんだけどねぇ」


 背後から歩いてくるハルの言葉に、クズノハは耳をピクリと動かすがそれ以上は反応しない。彼女の視線は、より限定的な何かを追い求めているようだった。


 しばらく歩くと、クズノハが再び立ち止まった。今度は図鑑を取り出し、ページと目の前の草とを交互に見比べる。彼女の尻尾が、ピンと垂直に立った。

 慎重にヘラを土に差し込み、根を傷つけないよう掘り起こす。

 ……現れたのは、ひょろりと長い、何の変哲もない草の根だった。

 クズノハはそれを指先でつまみ上げ、光に透かしてじっと見つめる。やがて、彼女の肩からふっと力が抜け、尻尾が力なく地面をなぞった。彼女は少し考えるそぶりを見せて、その根を無造作に収納すると、今度は少し乱暴な足取りで別の場所へ向かった。


「クズノハちゃん、こっちを見てごらん。いいノビルがたくさん生えてるよ」


 ハルが手招きした場所には、艶やかな緑の葉が群生していた。

 クズノハはゆっくりと歩み寄り、ハルの手元を覗き込む。


「こうやって、根元の膨らんでる部分を傷つけないように掘るんだよ。ほら、やってごらん」


 ハルの手本を一度見届けると、クズノハは無駄のない動きでヘラを動かした。次々と掘り起こされる立派なノビル。ハルが喜んでそれを籠に入れていくが、クズノハの表情に変化はない。

 彼女の手は動き続けながらも、その視線は常に、より遠く、より深い場所へと向けられていた。


 昼時、陽だまりの中に布を広げ、二人は腰を下ろした。

 ハルがサンドイッチを差し出すと、クズノハはそれを受け取り、小さな口でハムッ、と食らいついた。

 咀嚼するたびに、少しずつ彼女の尖った耳が柔らかく垂れていった。ハルが水筒のお茶を湯呑みに注ぎ、自分も一口啜る。


「今日は暖かいねぇ。こうして一緒に外へ出られるなんて……暖かくなってよかったねぇ」


 ハルが穏やかに笑い、クズノハの白銀の頭を撫でる。

 クズノハは撫でられるまま、じっと遠くの森の境界線を見つめていた。その瞳には、自分の手元の籠に溜まった大量の晩御飯の材料と、図鑑に載っていた紫色の花との、等価には映っていないようであった。


 帰り道、クズノハの足取りは出発時よりも重い。

 彼女のインベントリの中の籠は、ハルが喜んで収穫したノビルとヨモギでいっぱいになっていた。そこにあるのは何処にでもある野草のみ。どうやらクズノハが意気込んで探していたあの紫色の花が籠の中に混じることはなかったようだった。


 家に戻り、夕食の支度が始まる。

 キッチンからは、ノビルの酢味噌和えの香りと、春の野草を揚げた香ばしい匂いが漂ってきた。

 食卓に並んだ春の味。クズノハは一粒のノビルを口に運んだ。

 ツンとした辛味と、その奥にある僅かな甘み。

 彼女は一瞬だけ咀嚼を止め、それから再び無心に食べ進めた。その背後で、彼女の白銀の尻尾が、一度だけ左右に大きくぱたん、ぱたんと揺れた。


 食後。ハルが茶を淹れている隙に、クズノハは部屋の隅で再び図鑑を開いた。

 彼女の指は、あの紫色の花のページではなく、さらにその先――より奥地、より深い場所に生息するという、別の植物のページへと移っていた。

 彼女は一度だけ、窓の外の暗い森をじっと見つめると一つため息をつき、パタンと図鑑を閉じて自分から布団の中へと潜り込んだのだった。

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