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狐狂いのVRMMO  作者: かきのたね
三章 春の訪れ

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29話 嵐の孤児院と、抜け殻の幼女

「では、クズノハ様。少しの間だけですよ。……決して、一人で外に出てはいけませんからね」


 ヴィンセント神父の声は、どこか言い聞かせるような、あるいは自分自身を納得させるような響きを帯びていた。

 手を引かれて辿り着いたのは、教会に併設された孤児院だ。石造りの質素な建物の扉を開けた瞬間、子供たちの制御不能な熱気が、廊下まで津波のように溢れ出してきた。


 神父がシスターと短く言葉を交わす間、クズノハは一歩、また一歩と、そのカオスの只中へと足を踏み入れる。


 彼女は視線をきょろきょろと動かした後、部屋の隅を捉えていた。

 騒ぎから最も遠く、背後に壁があり、かつ日差しが十分に入り込む場所。彼女はそこまで辿り着くと、ふすーと言う鼻息と共にスカートの裾を整えて、ちょこんと腰を下ろした。


 膝の上には、先ほどから肌身離さず抱えている植物図鑑。

 明日の薬草採取を、ただのお遊びではなく効率の良い資金稼ぎへと変える為のツール。

 クズノハの小さな指が、図鑑の表紙にかかった。その瞳は、外界の騒音をシャットアウトし、文字の羅列へとダイブする準備を整えている。


 だが、ページがめくられるその寸前。

 彼女の視界に、複数の影が落ちた。


「……あ! 新しい子だ!」

「お耳、ぴんってしてるよ!」

「かわいい! ねぇ、なにしてるの?」


 気がつけば、クズノハの周囲には、自分よりも頭一つ、あるいは二つ分ほど大きな子供たちが、壁のように立ち塞がっていた。


 クズノハの耳が、苛立ちを示すようにピクリと震えた。  彼女は膝の上の図鑑を一度強く握りしめ、それから、ゆっくりと立ち上がった。


 無言のまま、周囲を取り囲む子供たちを見上げる。

 その視線は鋭く、冷淡だ。彼女にとって、この時間は情報収集に充てるべきリソースであり、無意味な交流は望むものではなかった。


 一歩、子供たちが踏み込んでくる。

 クズノハは決断した。このままでは図鑑をもぎ取られ、貴重な時間が失われる。


 彼女は大きく息を吸い込み、図鑑を収納。そして次の瞬間、両手を真上に向かって勢いよく突き出した。

 小さな掌を最大限に開き、精一杯背筋を伸ばし、己の存在を大きく見せようとする渾身の威嚇。

 これ以上近づけば容赦はしない──動物的な本能に基づいた、彼女なりの拒絶のポーズだった。


 子供たちが、一瞬、呆然と固まる。

 クズノハは内心で頷いた。これで、自分のパーソナルスペースは確保された、と。


「…………あ!!」


 一番近くにいた少年が、顔をパッと輝かせて叫んだ。


「捕まえてごらんだ! 鬼ごっこだよ!!」

「わぁ、遊ぼう遊ぼう!」

「こっちだよー!」


 クズノハの威嚇は、刹那の間に追いかけっこの開始合図へと書き換えられてしまった。

 一斉にわらわらと駆け寄ってくる子供たち。


「……っ!?」


 声にならない驚愕が、クズノハの瞳に走る。

 彼女が逃げようとする動きすら、逃げる役としての名演技にしか見えない。

「まてまてー!」「つかまえたー!」と、四方八方から伸びてくる手。


 一人に袖を引かれれば、もう一人が背中から抱きついてくる。抵抗しようと丸まれば、それが隠れんぼのポーズだと誤解され、さらに上から子供たちが重なり合ってくる。

 クズノハは、理論や合理性が一切通用しない子供の論理という荒波の中で、図鑑を開くことすら叶わないまま、荒れ狂うカオスの中に呑み込まれていった。


 そして夕暮れ時……。カレンが孤児院の扉を叩いたとき、そこには奇妙な光景が広がっていた。


 遊び疲れ、シスターに促されて雑魚寝を始めた子供たちの中心で、クズノハも疲れ果てたかのように倒れ込んでいた。

 髪はボサボサに乱れ、服の裾には泥がつき、耳には誰のものか分からないよだれの跡──おそらくは、はしゃぎすぎた他の子のものだろう──までついている。魂が抜けたかのような虚無を映す瞳。力なく横たわる尻尾。力なく少し開いた小さな口。そこには生気というものを感じさせられなかった。

 逃げ出すことは叶わなかったのであろうが、必死の抵抗の後は見て取れた。


「……あらら。これは、相当激しく遊んでもらったみたいだね」


 カレンは苦笑しながら歩み寄り、クズノハの顔を覗き込んだ。

 クズノハは焦点の定まらない目で、じーっとカレンを見つめている。その表情からは何も読み取れないが、彼女はカレンの方に助けを求めるかのように手を伸ばした。


「お疲れ様、クズノハちゃん。よっぽど楽しかったんだね。あんなに両手を上げてはしゃいでたって、シスターから聞いたよ?」


 カレンが抱き上げようと手を伸ばすと、クズノハは力なく、ふんっ、と鼻息を吐いた。


 結局、彼女は一文字も図鑑を読むことはなかった。

 本来なら明日までに頭に叩き込んでおくはずだった、薬草と毒草の判別法、薬草の生息域、気をつけるべき毒草の種類……。そのすべてが、子供たちの「まてまてー!」という喚声にかき消されてしまった。


「はいはい、分かったから……お疲れ様。明日は元気に薬草摘みに行こうね。さあ、宿に帰ってご飯にしよう」


 カレンにひょいと担がれたクズノハは、力なく揺られながら、夕焼けに染まる街並みを眺めていた……。

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