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狐狂いのVRMMO  作者: かきのたね
三章 春の訪れ

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28話 銀の算定、裏路地の天秤

 石造りの事務局の廊下で、ヴィンセント神父は深く、重い溜息をついた。


「クズノハ様。……村で、大人しくお留守番をしていてくださいと。約束したはずですよ」


 眼鏡の奥の瞳には、困惑と、それを上回るほどの深い心配が滲んでいる。

 対するクズノハは、逃げも隠れもしなかった。ただヴィンセントの目を真っ直ぐに見つめ、耳を除き彫像のように静止している。言い訳も、子供らしい泣き真似もしないが、耳だけは緊張している様にピンとしている。そのあまりに静かな肯定に、ヴィンセントは毒気を抜かれたように肩の力を落とした。


「はぁ……。無事だったから良かったのですが……。……お腹、空きましたね。少し休みましょう」


 彼は事務局で配給された簡素なパンを半分に割って差し出した。クズノハはそれを両手で受け取ると、小さな口で、はむはむと咀嚼し始めた。パンを齧りながらきょろきょろと周囲を見回す姿は、どこか落ち着きが無くてポロポロとパンくずを落としていた。


 昼食を終えた二人は、カレンとの合流時間までの合間を縫って、裏路地にある個人商店へと向かった。

 道中には香ばしい匂いを漂わせるパン屋、色とりどりの雑貨屋、果ては謎の粉や液体を置いた何を売っているのかよくわからない店までがあり、村の光景とは大きく異なるものであった。

 目的の店に到着すると、ヴィンセントは店主と短く挨拶を交わし、掌に出した数枚の硬貨をそっと確かめ慎重に品物を選び始めた。


 神父は棚にある上質な茶葉を一度手に取ったが、しばらく見つめた後、静かに元の場所へ戻した。代わりに手に取ったのは、村の子供たちのための安価な飴玉と、教会の書類を綴じるための簡素な紐だった。カウンターに置かれた数枚の銅貨が、乾いた、けれどどこか寂しげな音を立てる。


 彼が慎ましく買い物を終えたとき、クズノハが神父の顔を見ながら法衣の裾をくいっ、くいっと引いた。


「おや、どうしました?」


 彼女が指し示したのは、店先の、鍵のかかった厚い硝子のショーケースだった。そこには、魔力で保護された上質な装丁の本が、たった一冊だけ鎮座している。


 クズノハは興味を示したのか、その本の隅に貼られた値札を瞬きもせずに見つめていた。

 ヴィンセントは、その視線の鋭さに少しだけ驚き、それから悟ったように微笑んで、彼女の頭を優しく撫でた。


「ふふ……。それを買うなら、あと百回はお手伝いしないといけませんね」


 冗談めかした神父の言葉に、クズノハは反応しなかった。

 ただ、一秒、二秒。

 本の背表紙をじっと見つめてはふんっと一つ鼻息を吐き、それから自分からヴィンセントの手を握り直した。


 広場へ向かう道すがら、彼らはギルドの換金窓口を横切った。

 鉄の匂いをさせた男たちが、巨大な獲物の角を窓口に放り投げる。鑑定が終わるや否や、職員の手によって、重々しい金色の輝きが数枚、音を立てて机に並べられた。それは先ほどの銅貨とは違う、胃の底に響くような重厚な音だった。


 ヴィンセントはその眩しすぎる光景に、少しだけ眉をひそめて目を逸らした。

 だが、クズノハの瞳は逸れなかった。


 飴玉と紐を選ぶ神父の、慎ましい掌。穏やかな日常。

 それとは別の理で、荒々しく、一瞬にして大金を稼ぎ出す、剥き出しの富。

 クズノハは神父の手を、これまでより少しだけ強く握っていた。


 指定の広場に辿り着くと、そこには馬車の横で、晴れやかな顔をして汗を拭うカレンの姿があった。


「おーい! こっちこっち!」


 カレンはこちらを見つけるなり、パッと顔を輝かせて大きく手を振った。その表情には、やるべきことをすべて完璧に片付けた者だけが持つ、独特の熱気と充足感が溢れている。


 クズノハは神父の手を離し、迷いのない足取りでカレンへと歩み寄った。

 カレンが何かを口にするより早く、クズノハはその服の裾をぐいっと強く引く。


「ん? どうしたの、クズノハちゃん。もう帰る準備はできてるわよ?」


 クズノハは答えず、ただ小さな指を、先ほど通り過ぎてきたギルドの掲示板の方向へと真っ直ぐに向けた。

 神父の飴玉では届かず、冒険者の金貨なら届く場所。


 幼子の無邪気な指差しとは違う、獲物を定めたかのようなその指先を、カレンは目を丸くして見つめていた。


 冒険者ギルドの喧騒は、昼時を過ぎてもなお、獣の吐息のような熱を帯びていた。

 汗と鉄、そして安酒の匂いが混じり合う床に、小さな影が落ちる。クズノハは、その喧騒を裂くようにして、中央の掲示板の前で立ち尽くしていた。


 首が痛くなるほど反らされた視線の先にあるのは、金縁の枠で囲われた特別依頼のコーナーだ。

 そこには、一攫千金を狙うならず者たちですら二の足を踏むような、凶悪な魔獣の部位納品や、未踏の深森での採取依頼が並んでいる。


 クズノハの指が、すっ、と動いた。

 指し示したのは、猛々しいグリフォンの羽が描かれた、最高報酬ランクの羊皮紙だ。


「あはは! それはちょっと、背伸びが過ぎるかな」


 頭上から降ってきたのは、カレンの朗らかな笑い声だった。

 クズノハの指は、カレンの大きな掌によって、優しく、しかし有無を言わさぬ力で下ろされた。カレンはクズノハの視線を遮るように掲示板の最下段──初心者や引退した老人たちが暇つぶしに眺めるエリア──へと手を伸ばす。


「こっち。明日の午前中、門のすぐ外の平原で『薬草採取』。これなら神父さんも許してくれるでしょ。ピクニックがてら、ね?」


 カレンが剥ぎ取ったのは、日焼けして縁が丸まった、どこにでもある常設依頼の紙だった。

 クズノハは、その安っぽい紙を、瞬きもせずに見つめている。

 一秒、二秒。そして、カレンの顔をじっと見つめた後、彼女はゆっくりと……いつの間にか取り出していた、胸元に抱えた植物図鑑をぎり、と強く抱き直した。


「お、やる気満々だね。じゃあ決まり。明日の朝出発だから、午後はいい子でお留守番しててね」


 カレンはクズノハの小さな肩をぽんぽんと叩き、事務局で待つヴィンセントのもとへと歩き出した。クズノハはその後ろ姿を、無機質な瞳で見つめたまま、ふんっ、と短く鼻息を吐いていた。

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