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狐狂いのVRMMO  作者: かきのたね
三章 春の訪れ

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22/22

20話 銀の計算、春の門出

 村の境界へと続く道は、雪解け水でたっぷりと湿り、歩くたびにぴちゃりと小さな音を立てる泥濘ぬかるみとなっていた。

 その轍の入り口に、教会の紋章を冠した一台の馬車が停まっている。


「……では、行ってまいります。クズノハ様、どうかお元気で」


 神父が馬車の窓から身を乗り出し、名残惜しそうに何度も手を振る。その瞳には、春の陽光のような優しげな光が宿っている。

 クズノハは、ハルの古びたスカートの裾を小さな手でぎゅっと握りしめ、じっと馬車を見つめていた。

 やがて馬車がゆっくりと動き出すと、彼は窓の外へ身を乗り出し続け手を振り、彼女は一歩、また一歩と、泥に汚れるのも構わず馬車を追うように歩み寄った。そして、小さく振られる神父の手に合わせて、自分の手も胸元で控えめに、ぱたぱたと振り返し続けていた。


 馬車が丘の向こうへ消え、その姿が完全に見えなくなっても、クズノハはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 銀色の尻尾は力なく地面に垂れ、時折、寂しさを紛らわすかのように、ぴくりと小さく震える。


「寂しいねぇ、クズノハちゃん。でも、神父様はちゃんとすぐに帰ってくるからねぇ……新しい本、どんなお話か楽しみだねぇ」


 隣で微笑むハルの言葉に、クズノハは小さく、消え入りそうな声ですんっと鼻を鳴らした。そして、神父の消えた道をもう一度だけ見つめると、今度は力強くハルの手を握り返し、自分から村の方へと歩き出した。その背中は、大好きな存在との別れを懸命に耐える、健気な幼子そのものであった。


 神父を見送った足で、クズノハはカレンの雑貨屋へと向かった。店内は、街への出荷を控えた荷物で溢れ、活気に満ちている。

 入り口に立つと、彼女はきょろきょろと、神父の面影を探すかのように店内を見渡した。


 彼女がとことこと店内を歩き回り、棚から選び取ったのは小さな茶色の袋。堅焼きのビスケットである。続いて、ドライフルーツの袋。この村で、よく食べられているおやつである。

 カレンの前にそれを置くと、クズノハはこれまでのお使いで貯めた数枚の銅貨を、宝物でも扱うような手つきで一枚ずつ、丁寧にカウンターへ並べた。


「あら、クズノハちゃん。神父様がいなくなって、心細くなっちゃった?」


 帳簿をつけていたカレンが、眼鏡を直しながら微笑みかけると、クズノハはこてん、と大きく首を傾げた。

 そして、カウンターに身を乗り出すようにして、背後に積まれた馬車に入れる予定であるふかふかとした毛布の山を、憧れでも抱くような眼差しでじっと見つめる。


「これだけでいいの? 寂しい時は、甘いものに限るわよ。ほら、これは私からのサービスね」


 カレンが乾燥果実の袋にナッツを加え、さらに丈夫な小袋に入れて手渡すと、クズノハは両手でそれを大切そうに受け取った。

 そして、袋を収納するとぺこりと小さく頭を下げた。


 店を出る間際、クズノハはもう一度だけ神父の馬車が消えていった街への道を振り返った。

 耳をぺたんと伏せ、寂しげに揺れる尻尾を隠すようにしてトテトテと去っていくその姿に、カレンは「あんなに慕っていたのねぇ」と、微笑ましく思いながらその背中を追っていた。

 クズノハは振り返らず、ゆっくりと尻尾を揺らしながらハルの家へと歩き出したのだった。


 翌日。カレンの馬車が街まで出発する早朝、村はまだ夜の帳に包まれており、冷気を孕んだ深い霧が漂っていた。

 カレンは馬車の周囲を一周し、車輪の軸受けや馬具の締まりを一つずつ丁寧に確認していく。インベントリのおかげで、重い荷物を積み上げる重労働とは無縁だ。その分、荷台の内部は彼女が数日間を過ごすための、毛布やクッションを多めに配置したゆとりのある居住空間が整えられていた。休憩する時にごろごろと寝転びながら、おやつを食べるスペースまで確保されている。


「ふぅ……。よし、こんなところかしら」


 カレンはぐいっと両腕を上に伸ばし、大きな背伸びをした。まだ眠気が残る体に気合を入れるように、パンパンと自分の頬を叩く。

 霧の向こうでは、ハルの家がまだ静かに眠っている。それを見つめ、カレンはふっと目を細めた。


「さて、行ってきますかね。……ハルさんもクズノハちゃんも、今朝はまだ夢の中かな」


 昨夜、寂しげに道を眺めていた銀髪の幼子の姿を思い出し、カレンは起こさないように静かに出発しようと決めていた。見送りに現れたのは、早起きの近所の女一人のみである。


「カレン、忘れ物はない? 気をつけてね」

「ええ、ありがとう。戻ったらまたお土産話を聞かせるわ」


 カレンは軽やかな動作で御者台に上がり、手綱を握り直した。

 「ハイッ!」という鋭くも、どこか弾んだ掛け声とともに、馬が重い脚を上げ、泥濘ぬかるみを蹴る。

 居住性を重視して整えられた荷台は、カレンの動きに合わせてゆったりと揺れ、霧の向こうへと滑り出した。


 残された女が冷えた体を温めるように肩をすくめて家へ戻ると、後には湿った土の匂いと、村のあちこちから聞こえ始めた鶏の声だけが残された。

 春の陽光が少しずつ霧を透かし始め、静かな村の朝が、いつも通りに始まろうとしていた。

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