聖域:シェルター・アンカー
退職から数日後。佐藤は、都会の喧騒から遠く離れた山中の地下三層にいた。
そこは、彼が人間社会から最も遠い場所として作り替えたプライベート・シェルターだ。最深部の静寂の中に、数億円の私財を投じて独自改修を施したフルダイブ筐体「ソウル・アンカー」が鎮座している。
佐藤はカプセルの横で、最後の手続きを終えた。
点滴による栄養補給ラインの正常稼働。ドローンによる物資補充の自動ループ。それらすべてを監視する自作AIの最終チェック。
「……準備は、すべて整った」
もはや、ここには彼を呼び止める電話も、意味のない会議も存在しない。あるのは、彼が二十年かけて積み上げたコードと、それによって再現される白銀の真実だけだ。
佐藤は全身を丁寧に清めた。不自由な肉体を脱ぎ捨て、魂を電子の海へ移住させるための儀式だ。
彼は柔らかなゲルのシートに横たわり、頭部にセンサーを密着させる。
「――ログイン・シークエンス、開始」
重厚なハッチが、プシュリと空気を排して静かに閉じた。
視界が暗転し、体感温度が消失する。
心拍数が落ち着き、意識が末梢神経から切り離され、代わりに膨大なバイナリデータが脳幹に流れ込んでくる。
現実の肉体が深い眠りへと落ちるのと引き換えに、佐藤の意識は再構築される世界の胎動――次世代フルダイブRPG『エテニウム』のキャラメイク空間へと、音もなく滑り込んだ。
……なお、彼はこれほどまでに徹底した準備をしておきながら、オンラインゲームにはサービス終了という終わりが必ず訪れるという、あまりに初歩的なリスクを一切考慮していなかった。
自らが設計した物理エンジンの不滅の美しさを信じるあまり、それを支えるサーバーという運営側の都合もまた、永遠であると盲信していたのである。




