16話 鉄と雪の物流
樵の拠点から預かった修理代を、クズノハは一度立ち止まり半透明のウィンドウで確かめた。一筋の風が流れる。冬の静寂に、彼女は微かに身をすくめた。自分が歩いてきた雪かきが済んだ道を一度だけ視線で確認し、再び鍛冶屋の工房へと足を向けた。
工房内では、ガラムが巨大な槌を振るっていた。クズノハが入り口の厚い木戸を叩くと、熱気と共に重厚な金属音が漏れ出し、ガラムが煤けた顔をこちらに向けた。
「おう、お嬢ちゃん。樵のところへは行ってくれたか」
クズノハは無言で首肯し、修理代の入った袋を作業台の端に置いた。ガラムは金額を確認し、満足げに鼻を鳴らす。
「助かった。……そうだ、雑貨屋のねぇちゃんから頼まれてた品も、ついでに運んでおいてくれるか。この雪じゃあ、いつ取りに来れるかわからねぇからな」
ガラムは作業台の隅から、研ぎ澄まされた数本の包丁、補修された大鍋、そして建材用の太い釘が詰まった重そうな木箱を、クズノハの目の前に並べた。
「これと、この鍋だ。忘れないようにしっかり持っていきな」
ガラムが促すと同時、クズノハは淀みのない所作で手を伸ばした。
指先が鋼の冷たさに触れる。刹那、卓上の包丁が、大鍋が、そして指一本分も動かすのが困難なはずの重い木箱が、彼女の指先のウィンドウへと滑らかに吸い込まれて消えた。
作業台の上には、先ほどまでそこにあった重量の気配だけが取り残される。
「よし、頼んだぞ。滑らねぇように気をつけてな」
ガラムは太い指で、耳を伏せたクズノハの小さな頭を軽く撫で、再び槌を握った。
クズノハは無表情のまま、一つ、二つと小さく首を傾けた。そして、重心の移動に合わせて左右にゆったりと揺れる尻尾を連れ、工房を後にする。
外は再び、細かい雪が舞い始めていた。
クズノハは一歩、雪を踏みしめる。彼女の瞳は、真っ白に染まった村の景色を右へ、左へと。そして、それにつられて背後では白銀の尻尾も右へ、左へとふりふり揺れていた。
とて、とて、とて。
一定のリズムで雪を蹴り、銀髪をなびかせて歩く。
道端で雪かきをしていた若者が「お、クズノハちゃん、お使いか?」と声をかけるが、彼女は止まらない。相手の顔を視界の端で捉えると、耳をぴくりと動かし、尻尾を一度だけ大きく振って、そのまま通り過ぎていく。
曲がり角に差し掛かるたび、彼女は足を止め、数秒間だけ周囲を見渡した。
建物の配置、積雪による道の細り、そして風の向き。
きょろきょろと動くその首筋と、冬の陽光を弾く白銀の髪は、好奇心に溢れた幼子の散歩そのものであった。
やがて、古びた看板が半分雪に埋もれた雑貨屋の前にたどり着く。
クズノハは防寒着の裾に付いた雪を丁寧に払い、小さな手で、その重い木扉を力いっぱい押し開けた。
カウベルの乾いた音が店内に響き、暖炉の爆ぜる音がクズノハを迎え入れる。
雑貨屋の店内は、乾燥したハーブと古びた羊皮紙、そして微かに灯油の匂いが混じり合っている。カウンターの奥で帳簿をつけていた若い女性——店主のカレンは、扉の鈴の音に顔を上げ、即座に表情を華やがせた。
「あら、クズノハちゃん! この雪の中、本当によく来てくれたわね」
クズノハは無言でカウンターへ歩み寄り、その小さな掌を天板にそっと滑らせた。
一瞬、空気が僅かに歪んだかと思うと、カタコトと音を立て、次々と品々が天板の上に現れる。研ぎ澄まされた包丁の束が柔らかい布の上に横たわり、続いて鈍い光を放つ大鍋、そして最後にずっしりとした釘の木箱が、カウンターの板を僅かに軋ませて鎮座した。
「はい、確かに受け取ったわ。さすがガラムさんね、完璧。……そしてクズノハちゃん、大変だったでしょう? 持ってきてくれてありがとうね」
カレンは手慣れた手つきで品数を検分し、小さな皮袋を二つ差し出した。
「これはガラムさんへの代金。こっちはあなたへのお駄賃よ。それから、こちらはハル婆さんへのお手紙ね? 『今朝届いた油、質が良いから少し多めに分けておいたわよ』ってね。それも、今あなたの袋に入れておくわ」
クズノハはそれらを一つずつ、まるで検品するかのような手つきで丁寧にインベントリへと仕舞い込んだ。
しかし、彼女はそのまま店を出ることはなかった。
きしり。
小さな足音が板張りの床を鳴らす。
彼女は、乱雑に積まれた棚をきょろきょろ見渡しながら、店の奥へと分け入っていった。揺れる尻尾の動きにあわせ、埃がふわりと舞い上がる。
まず足を止めたのは、木箱に山盛りになった冬の木の実の前だった。乾燥し、皮が強固に固まったそれらを、彼女は一つ手に取り、顔に近づける。
鼻先をぴくりと動かし、匂いをくんくんと嗅ぎ分けるる。その瞳は角度を変えた木の実を見つめており、興味を示しているようだった。
次に彼女が向かったのは、薄暗い隅にある数冊の古い本が並んだ棚だった。
背表紙の文字は掠れ、羊皮紙は茶色く変色している。クズノハはその一冊、分厚い革表紙の図鑑を背を懸命にのばして触れた。
開くことはない。ただ、指先でその革の質感をなぞり、文字の羅列を瞳に焼き付けるように、じっと見つめ続ける。そして、その視線はカレンへと向けられた。
「あらあら、本が気になるの? 難しいことが書いてあるけれど、クズノハちゃんは賢いからね。もし今度、街に仕入れに行くことがあったら、もっと綺麗な絵本でも探してきてあげようか?」
カレンが微笑ましげに声をかけると、クズノハは即座に本から手を離した。
そして、尻尾を左右にゆったりと揺らしながら、店主に向かって機械的な正確さで一礼する。
店を出ると、冷気が再び彼女を包み込んだ。
クズノハは一度足を止め、視線を虚空へ向けた。その焦点は、何もない空間を何かを見ているかのように、瞳が揺れ動いて見えた。
彼女は再び顔を上げ、空を仰いだ。雪雲の厚み、屋根から垂れる氷柱の長さ。
一歩一歩、雪の中に確かな足跡を刻み込みながら、彼女は鍛冶屋への道を引き返した。
帰り道、彼女は行きとは異なるルートを選び、家々の並びや裏道の積雪量を左右に首を振って確認しながら進んだ。その動作に合わせて、白銀の尻尾もまた、規則的にふりふりと揺れる。その姿を見かけた村人たちは、誰もが目を細め、その小さな背中が雪の向こうへ消えるまで見守り続けた。
そして、たまたま近くを歩いていた、今日も幼女が訪れる事が無かった教会の神父が、物寂しげに視線を送っていた。
鍛冶屋で代金を渡し、日が暮れかけた頃。
ハルお婆さんの家の前に着くと、クズノハは戸口で丁寧に雪を払い、中へと入った。
暖炉の火が爆ぜる音が、凍えた頬を叩く。
「おかえり、クズノハ。寒かっただろう、こっちへおいで」
ハルが広げた膝の上へと、クズノハは迷わず潜り込んだ。
彼女は預かってきた油の瓶と、そしてカレンからの伝言が書かれた手紙。帰る途中におすそ分けで貰った野菜と、次々とテーブルの上に並べていく。
ハルは驚いたように目を見開き、それから愛おしそうにクズノハの頭を撫でた。
「まあ、こんなにたくさん。お前さんは本当に、この家を支えてくれる立派な家族だねぇ」
クズノハはハルの腕の中で、耳をぴくりと動かした。
無表情なまま、ただハルの衣服の繊維を指先で弄び、じっとその暖かさに身を委ねる。
窓の外では、さらに激しくなった雪が村の景色を白く塗り潰していた。
夜が更ける頃、クズノハはハルの傍らで深い眠りについていた。
その呼吸は静かで、一定の周期を刻んでいる。
窓を叩く風の音が響く中、眠る彼女の尻尾の先だけが、時折、何かの計算を終えたかのように、小さくぴくりと跳ねていた。




