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狐狂いのVRMMO  作者: かきのたね
二章 村での生活

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10話 マッピングと鉄の境界線

 仕様を認めた翌朝。クズノハは、ハルの家の玄関先で思考の走査スキャンを開始した。


(……クエスト完了に伴う、経験値リソースの蓄積を確認。……レベル(閾値)到達までのラグはあるが、計算には入れられる。それよりも、まずはこの村の全容把握が先決だな。これより、【獣化】スキル習得のためのメソッドを組み立てる。住民の配置、各ノードの機能、セーフゾーンの境界の確認。足元を固めない行動は致命的なエラーを招く)


 彼女は三歳児の小さな足を、一歩外へと踏み出した。

 無意識の平衡感覚が、銀色の尻尾を左右に揺らし重心を制御する。クズノハはその感覚を無視し、足裏から伝わる土の硬度や大気の粘性を、脳内の仮想メモリにデータとして蓄積していく。


(……接地判定良好。最短移動経路を確立し、生存確率を最大化させる。まずは北西外縁部までを走査する)


 その道中、隣家の老婆ベルナデッタが庭先にいた。彼女は銀色の小さな影を見つけると、柔和な笑みを浮かべて駆け寄ってくる。


「おや、クズノハちゃん。ちょうどよかった。これ、村の外れにある鍛冶場の息子に届けておくれ。あの子、仕事に夢中になると食事を忘れるからね」


 差し出されたのは、布で包まれた木製の弁当箱だ。


(……依頼受理。僅かだが経験値も期待できる。目的地は『鍛冶場』。ルート・ナビゲートを伴う必然性の高いタスクだ。移動効率を優先する)


 クズノハは無言で肯き、それを受け取った。

 彼女は弁当箱を、迷いなくインベントリへと放り込んだ。


(……質量消失。座標の仮想化を確認。合理的だ。移動効率を優先する)


 背後でベルナデッタが「まあまあ、もう使いこなすだなんて賢い子だねぇ……」と微笑ましく見ていたが、クズノハは振り返らない。意識はすでに、村の北西へと伸びる未舗装路の起伏に向いていた。


 村の中心部を抜け、民家がまばらになっていく。

 クズノハの瞳は、精密な測量機のように周囲を走査し続けた。建物の配置、井戸の数、住民の歩行ルーチン。それらすべてを「箱庭の設計図」として再構築していく。


(……外縁部まで約一千二百歩。遮蔽が少ない。退避用の迂回ルート確保を優先事項に加える)


 とてとてと歩き続けると、風景は荒々しく変化した。

 道は細くなり、空気には焦げた炭の匂いと、金属を打つ重厚な打撃音が混じり始める。村の外縁、剥き出しの岩壁を背にした石造りの建物が見えてきた。


(……ターゲット、鍛冶場。熱効率を重視した密閉構造だ。内部は高温プロセスの進行中と推測する。作業中の住民への干渉を避けるため、正規のアクセス手順(ノック)を実行する)


 クズノハは、重厚な木製の扉の前に立ち、三歳児の小さな拳を握った。

 覚悟や緊張等は彼女の中にはない。あるのは、目的遂行のための最短の手順だけだ。


 トントン。


静かな、だが確実な意思を込めた音が響く。直後、内側の熱気を孕んだ怒号と共に、重厚な扉が乱暴に引き開けられた。


「何の用だ! ここはガキの遊び場じゃねえ、あぶねえと言われなかったか!」


 重厚な扉が内側から乱暴に引き開けられた。

 溢れ出したのは、大気を歪ませるほどの熱気と、煤の匂い。そこには、赤く火照った肌を晒し、巨大な槌を片手に持つ、背は低いががっしりした体格であるドワーフの中年男性――ガラムが立っていた。


 対するクズノハは、微動だにせずその顔を見上げていた。だが、その呼吸は僅かに速い。


(……約四百八十メートルの歩行。下肢への負荷を確認。スペック不足だ。想定以上のスタミナ消費を、次回のルート構築の変数に加算する必要がある)


 膝に溜まった疲労感を無視し、クズノハはガラムの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 怒鳴りつけたガラムの方が、毒気を抜かれたように言葉を失う。目の前の幼子には、子供特有の怯えが皆無だった。ただ、額に滲んだ汗を拭うこともせず、静かに役割を遂行しようとする鉄のような意志だけがそこにあった。


「…………」


 クズノハは無言のまま、インベントリから弁当箱を取り出した。

 空中の何もない空間から、吸い付くような動作で現れた包み。クズノハは一歩踏み出し、両手でそれを差し出した。


「…………っ」


 発声機能は機能していない。だが、差し出された箱の丁寧な保持と、相手の受領を待つ静止した姿勢が、一切の言語を代行していた。


 ガラムは呆気に取られたまま、その箱を受け取った。

 伝わるのは、まだ温かい布の感触。それが母親からの差し入れであると察した瞬間、男の顔から険が消えた。


「……お袋に頼まれてきたのか。ハルのところにいるっていう、例のガキか」


 短く肯くと、クズノハはガラムの背後に広がる工房の内部へ視線を走らせた。


(……炉の温度管理、工具の配置。非論理的な技術体系ながら、この『ガラム』の作業プロセスは極めて合理的だ。村における重要ノードと断定。将来的な装備発注の優先順位を『高』に設定する)


 用件は済んだ。

 クズノハにとって、これ以上の滞在はリソースの浪費だ。彼女はガラムが何かを言いかける前に、流れるような動作で踵を返した。


「おい、待てよ――」


 背後に向けられた声を、クズノハは「処理終了クローズ」として切り捨て、歩き出した。

 礼も挨拶も、彼の中では不要なノイズだ。タスクは正常に完了し、データは収集された。それがすべてだった。


 鍛冶場から離れていく銀色の小さな背中を、ガラムは言葉を失ったまま見送っていた。


「……なんだぁ? あいつ……」


 ガラムは、手の中の弁当箱を見つめ、それから自分の頭をポリポリと乱暴にかいた。

 あそこまで淡々とされると、自身が不当に怒鳴ったのではないかという、妙な決まり悪さが胸に残った。


「……フン。ま、冷めねえうちに食うか」


 ガラムは不器用な独り言を漏らし、少しだけ柔らかな表情で、再び火床の熱気へと戻っていった。


 一方、帰り道についたクズノハは、重くなる脚を引きずりながらも、脳内マップの更新を止めていなかった。


(北西走査完了。次は依頼主への報告後、中央部。知識の集積地である『教会』をターゲットにする)


 健気に頑張る不思議な子。村人がそう語り始める中、クズノハだけは独り、震える足元を見つめ、冷徹にこの世界の攻略図を完成させていく。

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