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狐狂いのVRMMO  作者: かきのたね
二章 村での生活

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9話 隣人への行軍

 教会に行った翌日。クズノハは思考を巡らせていた。


(今は理想の狐にはなれない……業腹ではあるが、これは認めよう……。ならば、次はどうするべきなのか?狐になるためのメソッドを考えなければな……)


 そんな真剣な彼女の後ろ姿を見ていた老婆――――ハルは家の台所で、クズノハに重大なミッションを課すことにした。

 それは、ふかしたばかりの芋が入った小籠を、隣の家へ届けるというお使いだった。


「クズノハちゃん、これをお隣のベルナデッタさんに届けておくれ」


 クズノハは無言で籠を受け取った。

 三歳児の細い腕には、数個の芋の重みさえ、自ら設計した高精度な物理演算によって過酷な負荷として伝わる。


(……この重み。今の肉体スペックでは限界に近いが、これは基礎体力を鍛えるタスクとして使えるな)


 行動によって能力値が微増する仕様は確認済みだ。彼女は重心移動に全神経を集中させ、一歩ずつ砂利道を踏みしめた。

 隣家までわずか数十歩。だが彼女にとっては、自らが課した物理法則との死闘だった。腕を震わせ、重力に抗いながら、ようやく隣家の門をくぐった。


「あら、あら……あなたがクズノハちゃんね! 一人で持ってきたの?」


 噂の幼子を目にした隣家に暮らす、背の低い老婆――ベルナデッタが驚いて駆け寄ってくる。

 クズノハは、限界まで震える腕で籠を差し出した。


(タスク、完了。……スタミナの消費が激しいな。非効率的だが、これも修行だ)


 達成感に浸るクズノハを、ベルナデッタは慈愛に満ちた瞳で見つめ、それから不思議そうに小首を傾げた。


「おや、おや……。クズノハちゃん、見ておいで。こうすれば、重くないんだよ?」


 ベルナデッタが籠を指でなでる。

 瞬間、半透明のウィンドウが現れ、籠が吸い込まれるように消えていった。


(…………は?)


 彼女の思考が、一瞬でフリーズした。


 インベントリ。アイテムの質量をシステム的に無視する、最も基礎的なゲーム仕様。物理演算のリアリティに拘泥するあまり、その存在を完全に失念していた。


「さあ、お礼にお菓子をあげようね。次はこれに入れてお帰り。念じるだけでいいんだよ?」


渡された紙包みのクッキーを念じると、手元から「質量」が消え、視界の隅に『手作りクッキー:1』のログが虚しく灯った。


(……軽い。今まで俺が格闘していた時間は、一体何だったんだ……)


 完璧だと信じていた物理の法が、村の老婆が教える初心者ガイドに完敗した。

 クズノハはトボトボと、重さを感じない足取りで帰路についた。「これも基礎体力の成長には寄与したはずだ」と、自身を慰めながら。



___________________________________________



 ハルは、台所の窓から、庭先をよちよちと歩き、左右に振れる銀色の尻尾をじっと見守っていた。

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような愛おしさと、痛ましさで満たされる。


「ああ、あんなに一生懸命に……」


籠を抱える少女の腕は、ぷるぷると震えている。ハルは何度も手を貸そうとしたが、そのたびに思い止まった。あの子の目に宿る強い意志を、無下にしたくはなかったのだ。


 少女の腕は、目に見えてぷるぷると震えている。

 一歩進むごとに、細い足が砂利を踏みしめ、全身でバランスを取ろうと必死に足掻いている。

 その姿は、ハルの目には、過酷な過去を振り切り、自らの力で人生の一歩を踏み出そうとする、彼女の強さを見ているような気がした。


(この子は、誰かに頼る方法を知らないんだねぇ……。独りきりで泥を啜り、歩き続けてきたお前さんにとって、自分の力で成し遂げることだけが、唯一の縋り代なんだね……)


 ハルにできるのは、ただ見守ること。もしその体が力尽きそうになった時だけ、出来るだけの速さで駆け寄り、その体を抱きとめる準備を整えることだけだった。


「……おや」


 ふと見れば、隣のベルナデッタが庭に出てきた。

 彼女はクズノハの健気な姿に感極まった様子で駆け寄り、そして、『インベントリ』の使い方を教えていた。


「ベルナデッタさん、お節介が過ぎるよ……」


 ハルは苦笑した。あの子は、その不自由さすらも、自らの足で乗り越えようとしていたというのに。


 だが、戻ってきたクズノハの顔を見て、ハルは胸を突かれた。

 少女は魂が抜けたような顔で、自分の小さな手を見つめて立ち尽くしていたのだ。


(ああ、そうか……。便利な力に触れて、ショックを受けてしまったんだね。自分の足で歩く尊さを知っているお前さんにとって、魔法のような仕掛けは、かえってこれまでの努力を虚しくさせてしまったのかい?)


 ハルは、そっとクズノハの肩に手を置いた。


「いいんだよ、クズノハちゃん。便利なものは使えばいい。でもね、お婆ちゃんはお前さんが一生懸命に運んでくれた、あの籠の重さを、一生忘れないからね……」


 少女は力なく頷いたように見えた。

 ゆっくりでいい。人を頼り、温もりを受け入れられるようになればいい。いつかその心の傷が癒える日まで、この静かな箱庭で、何度でも見守り続けようとハルは心に誓った……。

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