第四話 その二
最初に会社のPR動画用の曲を依頼されてから早一ヶ月、鯉が空を泳ぐ季節となっていた。大型連休の真っ只中、瑚乃海の部屋には約束通り蛍子が来ていた。
蛍子は録音に向けて指の動きを確認しながらギターを弾いている。
自前のギターは弦を巻くペグが片方に六つ配置された一般的なストラトキャスター型。猫柄のストラップやステッカーがあちこちに貼られたボディから飾り付けるのが好きな性格が伺える。
瑚乃海より遥かに小さな体躯だが、ギターを構える姿は様になっている。
しばらく練習を眺めていた瑚乃海は頃合いを見て声を掛ける。
「そろそろ始めるか?」
「うん、そうだね」
テキパキと準備に取り掛かる二人。蛍子がヘッドフォンを装着して録音が始められる状態になる。蛍子の表情には少し緊張の色が見られる。
「じゃあ始めるぞー」
軽く手を挙げて合図を出し、録音が始まる。打ち込みベースとキーボードに瑚乃海が叩いたドラムが組み合わさった曲を耳にしながら蛍子の指が動き出す。
適度に脱力した右手がしなやかにスナップを効かせて弦をピッキングする。弦を押さえる左手のフィンガリングは右手とずれることなく同期している。リラックスしたピッキングから放たれるのは感情をもっているかのように抑揚のある音。派手ではないが正確で強弱をつけるのが絶妙なのが蛍子のギターの特徴だった。
演奏を見ながらその特徴を思い出して懐かしくなる瑚乃海。その一方、正面から弾いている姿を見ることに新鮮さを覚える。
ドラムを叩いている時はいつも後ろ姿しか見ていなかった。曲始めと終わりに音を合わせるタイミング以外は前を向いているため、どういう風に演奏しているかをまじまじと見ることがなかったのだ。
瑚乃海が見つめる中、録音は恙無く完了する。しかし、瑚乃海はどこか納得いかないようだ。
「ねえ、録り直してもいい?」
「いいけど、なにか気になるところあったか?」
特に演奏ミスはないため、なにかこだわりたいことがあるだろうかと瑚乃海は考える。演奏者はそれぞれ独自のこだわりをもっていることをよく知っているためだ。
「コノミンが前にいると落ち着かないから、私の後ろにきて」
蛍子は自身の後ろを指差す。
「なんだそれ」
新鮮さを覚えていた正面からの蛍子の演奏。本人からすれば演奏する時にいつもはいなかった瑚乃海がいることが気になっていたようだ。
瑚乃海は呆れながらも言われたとおりに蛍子の右後ろに待機する。
「できたら座って欲しいかなー?」
「ドラムのポジションにいろってことかい」
渋々といった様子で瑚乃海はカーペットに腰を下ろし、胡座をかく。
「こんな感じか?」
「そうそう、いい感じ!」
蛍子は指で輪っかを作りにっこりと笑う。
「じゃあ始めるぞ」
瑚乃海は一度立ち上がり、録音ボタンを押してからすぐに蛍子の後ろに座って待機する。
高校時代に見慣れていた蛍子後ろ姿。大人になった今も変わらない。小さくても頼もしいギタリストは顕在だった。
蛍子にとっても瑚乃海が後ろにいることに安心感を覚えたのか、最初の緊張感がなくなり演奏の切れが増している。ノッてきたのか、少し体を揺らしながら弾いている。体は揺らしても演奏に乱れはなく、正確なピッキングなのがわかる。
「ふう、さっきよりもいい感じだったんじゃない?」
「問題なかったと思う。これで試してみるか」
録音が終わると瑚乃海はパソコンの前に座り、すぐに録音したギターの音を編集する。
編集ソフトに映し出されるのはギター音の波形。まずは不要なノイズを慣れた手つきで除去する。目指すはスッキリとした抜け感のある音、低音域をカットし中音域を増幅させる。バンドの曲ならボーカルと競合する音域が今回は空いているためそこをブーストして音にコシを出させる。
「なんだか難しそうー」
作業を見ていた蛍子が感想をこぼす。手持ち無沙汰なのか毛先を指先で持て余す。
「蛍子も動画編集できるじゃん。似たようなもんだろ」
「音は曲を流すだけだから全然編集したことないよー。私は映像専門だから!」
「さいですか」
雑談を挟みながらも編集は進み、ギターの音が完成する。打ち込みの音と入れ替え、できた曲の確認作業に入る。
「……どう?」
不安げな目で蛍子が聞く。
「いいできだ、流石ギタークイーン蛍子様だな。聞いてみるか?」
瑚乃海は軽い冗談を飛ばしながらヘッドフォンを渡す。
「ふふっ、なにそれ」
蛍子は表情を緩めながら曲を聴く。
どこか冷たさを感じるキーボードのイントロから始まり、軽妙ながらも重いリズムが流れ、そこに蛍子のギターが晴れやかな音を奏でる。喜びと悲しみが同居した曲だった。
「……うん、いいね! でも、会社の動画に使うには暗くない?」
ヘッドフォンを外しながら蛍子は素朴な疑問を口にする。
「そうか? こんなもんだろ。私基準では明るい曲だ」
瑚乃海は気にしていないようで、親指をグッと立てる。
「それならいいんだけどね! 会長さんも納得するかな?」
「そればかっかりはわからんな。まだ動画もやらないといけないし」
動画編集のことを思い出し、途端にテンションが下がる瑚乃海。手足をだらしなく伸ばす。
「動画もコノミンがやるの?」
「手伝うことになった。頼まれてな」
「ふーん? コノミンが会社のことでここまで協力するなんて珍しいね。いつも愚痴ばっかりなのに」
公私をはっきりと分ける瑚乃海を知っている蛍子からすれば、今の瑚乃海は随分会社に入れ込んでいるように映っていた。
「……確かにそうかもな。はあ、早くこの件を片付けて解放されたい」
自分でも気づかぬうちに依頼に入れ込んでいたことを知り、ため息が漏れる。
「ギターならいつでも協力するから頑張ってー!」
蛍子は両手で握りこぶしを作り、瑚乃海を激励する。
しかし、激励をしたのも束の間、その目が怪しく光る。
「ところで、ご褒美はあるんだよねー?」
蛍子はニヤニヤと瑚乃海にねだる。キラキラと目が光っているかのようだ。
「ご褒美ー? まあなんか軽く奢るよ」
「言ったね? 忘れないでよ!」
「はいはい忘れない忘れない」
瑚乃海は適当にあしらうように返事をする。
うらうらとした陽気の休日の昼下がり、一仕事を終えて弛緩した空気が部屋には流れていた。




