第三話 幼なじみギタリスト
「そっか、解散しちゃうんだ」
バンドの解散する旨を伝えた時の蛍子の悲しそうな表情が瑚乃海はまだ忘れられない。
「寂しくなっちゃうね」
幼馴染ゆえになにか察することがあったのか、事情を深く追求しなかったのがより彼女の淋しげな空気に拍車をかけていた。
「今までたくさん動画も投稿して、ライブもできてよかった」
蛍子にギターを勧めてバンドに組み込んだのも、バンドの解散を決めたのも瑚乃海だった。そんな自分が今更ギターを弾いてほしいと頼むのは身勝手ではないだろうか。後になってあれこれとらしくない思考がずっと離れないでいた。
◇
閑静ではない住宅街。車がなんとかすれ違える広さの道沿いに住宅や企業の事務所、町工場に飲食店とごったな町並み。人や車の往来が多く工場からは機械音が聞こえてくる、よく言えば賑やかな住宅街の中に瑚乃海の実家があった。
蛍子に連絡をして数日後、早速そんな瑚乃海の家に来ていた。
淡いピンクのブラウスに黒いスカートの甘いコーデ、明るい髪色に少し癖っ毛が特徴で快活そうな感じを受ける。座布団に腰掛けて部屋を見回しながら感慨深げに話す。
「懐かしいねー。前コノミンの部屋に来たの高校生の時じゃない?」
「そうだったっけ。覚えてねーわ」
蛍子を含め元バンドメンバーとは解散してからも会うことはあったが、社会人になってからは実家住まいの部屋に呼び入れることを瑚乃海は何となく忌避していた。蛍子が懐かしむのはそのためだ。
青を貴重とした瑚乃海の部屋には、パソコンが置いてある机以外には折りたたみベッドや音楽関係の本がぎっしりと詰まった本棚、そして瑚乃海と蛍子が現在進行系で使っているミニテーブルくらいで飾り気のない質素なものだった。クローゼットの中も服以外はギターくらいしかない。何か変化があるとすれば壁に掛けてあるバンドポスターが時折変わるくらいだ。
そんな退屈な部屋も蛍子にとって落ち着いた雰囲気の空間だった。
「お兄さんも実家に帰ってきてるの? それっぽい車が停まってたけど」
「仕事辞めたんだって。それで絶賛脛かじり中」
「えー! そうなんだ」
会うこと自体は久々というわけではなかったが、それでも積もる話というのはあるもので他愛もない話をする。
瑚乃海もいきなり本題に入ろうという気はなく、肩の力を抜いている。自分とは違い人と話すのが好きな蛍子との会話は苦にならないのだ。ことコミュニケーションという点においてリズム感はドラムである自分より蛍子の方が上だと密かに評価している。
「それで今日呼んだわけなんだけど」
しばし四方山話をした後、瑚乃海が切り出す。
「なになにー?」
蛍子は純粋な目で聞く。目元のラメがきらりと光る。
「とりあえずなにも言わずに聴いてくれ」
経緯を順に説明してもよかった。先入観をもたずに感想をもらいたいという気持ちや、解散を告げた口から再びギターの演奏を頼む後ろめたさも働いて先に曲を聴かせることに瑚乃海は決めた。
予め曲をいれておいた音楽プレイヤーにヘッドフォンを差して蛍子に渡す。
「えっなんか怖いんだけどー」
大げさに怖がる演技をしながらも蛍子はヘッドフォンを受け取り装着する。それを確認してから瑚乃海は再生ボタンを押す。
意図はわからないが大事な事なのだろうと蛍子は目を閉じてヘッドフォンを手で抑えながら聴き入る。
会話のなくなった部屋には静寂が訪れる。今はあの辺りを聴いているだろうと考えながら瑚乃海は手元のプレイヤーのシークバーを眺める。
やがて曲が終わり蛍子はヘッドフォンを外してから軽く困惑したように言う。
「これ、コノミンの新曲?」
「そうだ。わかったんだな!」
「なんとなくだけどね」
聴いただけで作曲者を当てられてご満悦の瑚乃海。状況から推察できることではあるが、それでも作曲者冥利に尽きるものであった。
「そろそろ説明して欲しいんだけどー?」
「わかってるって」
蛍子がジトッとした目で催促する。迫力はなく、小動物の可愛げのある威嚇のような仕草だ。
「会社でPR動画を作り直すことになって、それ用の曲を私が作ることになったんだ」
「コノミンが抜擢されたの? 凄いじゃん!」
ジトっとした目を丸くして蛍子は小さく拍手をする。
「社内で作ることに拘るって言われたけど、安く済むってのもあるだろうと思ってる」
瑚乃海は指で輪っかを作り自嘲気味に説明する。費用の話は後で気付いた話だった。
「それで曲を作ったはいいが、実は二回却下されてるんだ」
話しているうちに再び怒りが湧くことがないように、指を二本立てて軽妙に話す瑚乃海。
「え、そうなの? それは大変だ」
蛍子は頬に手を当て驚きを表現した。
「で、今聴いてもらった曲が三曲目なんだが、実際聴いてみてどうだった?」
軽妙な態度ながらも瑚乃海は試すような目を蛍子に向ける。
蛍子は人差し指を口元に当てて考え、正解を探るように言葉にしていく。
「曲はいいと思うけど、あえて言うならギターの音色が勿体ない、かな?」
自信なさげな蛍子だが、瑚乃海はその言葉に満足したように口角を上げる。
「そう、そうなんだよ! 蛍子ならわかってくれると思ってたよ」
「もうー、音楽のことあんまりわからないんだから試さないでよー!」
わざとらしく拗ねた態度を見せつけて蛍子は抗議する。
「わりーわりー」
イジケた蛍子に瑚乃海は悪びれる様子もなく後頭部を雑にわしわしと掻く。
そこから一転、真剣な眼差しをする瑚乃海。
「蛍子にはギターパートを弾いてほしいんだ。リードギターは生演奏の方がいい」
吸い込まれそうな錯覚を受けるパッチリとした黒目は蛍子を映している。
「……っなるほどね。そういうことかー」
蛍子は視線を少し逸らしてから手のひらを握り拳で軽く叩くようにしてわかりやすく納得の合図をする。
「ドラムも生演奏だよね。コノミンが叩いたの?」
「そうだ。久々だけどちゃんとできてるだろ?」
力こぶを誇示するような仕草をする瑚乃海。身内の前でしか見せない茶目っ気のある光景だった。
「話はわかったけど、ギターならコノミンも弾けるんじゃ? 私の師匠なんだし!」
蛍子のギターは瑚乃海に教わったものだったため、瑚乃海自身が弾かないことに違和感を覚える。
「そう思ってたんだけどな」
肯定しつつクローゼットから瑚乃海はギターを取り出す。あぐらをかき、堂に入った構えでギターを抱える。そして、構えとはチグハグなろくに音のならないストロークを披露する。
「簡単なコードすら弾けなくなってたわ。これでギターソロは無理だ」
あっけらかんとした口調。弾けなくなったことに対して落ち込んだ様子はない。
「えっ、そんなに弾けなくなるものなの!? 作曲する時にギター使ってたしそんなにブランクはないはずなんじゃ」
記憶にある瑚乃海の技量と目の前の技量とのあまりの違いに蛍子は唖然とする。
「作曲はコード進行作るのに使ってただけだし、後半はそれもソフトだけで完結してたからギターは使ってなかったんだわ。だから三年以上は弾いてないかもしれん」
瑚乃海はあっけらかんと話す。弾けなくなっていたことにショックを受けていたのは瑚乃海より蛍子の方だった。
「ギター弾いてなかった割に綺麗じゃない?」
錆がなくチューニングも安定しているギターを指し示して蛍子が疑問に思う。
「メンテだけはしてたからな。いい値段するしインテリにもなるし」
ギターを大事そうに優しく撫でる瑚乃海。弾けはしなくなったが、思い入れはあるようだ。
「コノミン、意外とマメだもんね」
「意外ってなんだよ意外って」
軽口を叩き、時間の流れがいくらかゆったりとしたものになる。時計の針がカチカチと時を刻む。
余韻を少し味わってから蛍子が口を開く。
「ブランクはあるのは私も同じだよ? バンド解散してから二年近く経つし」
真っ当な指摘をするが、瑚乃海はそれを待ち構えていたとばかりに白い歯を見せる。
「ブランクっていっても最近もギター弾いてんだろ?」
「……どうしてそう思うの?」
図星を突かれたと傍から見てもわかる表情の蛍子だが、それでもははぐらかすように投げかける。
「ママ友から聞いた、って母が私に知らせてきた。親戚の子にアニメの曲弾いてやってるんだって?」
瑚乃海は素早く投げ返す。
「お母さんネットワークって凄いね……。その通り、今も弾いてるよ。”あの曲弾いて”とかよく頼まれるんだ」
隠し事がバレた気まずさからか肩先まで伸ばした髪の少し癖のある毛先をいじりながら蛍子は説明する。
「微笑ましい話じゃないか。ならブランクの方は大丈夫だな」
地域コミュニティによる情報力で説き伏せにかかる瑚乃海。ただ、それだけでは足りないのか蛍子は首を縦に振らずに抵抗を見せる。
「でも、ギタリストの知り合いたくさんいるでしょ? 私より上手い人もいるし」
バンドが組めなかったり解散したりする原因になるほど人口の少ないドラムと違い、都市を形成できる程度にギターの人口は多くギタリストを探すのに困ることはない。身をもって知っているがための蛍子の発言だった。
「まあギター弾ける知り合いはいくらでもいるけど」
瑚乃海は交友関係を浮かべる。音楽活動を通して関わってきたギタリストはたくさんいる。対バン相手だったり、サポートメンバーで他のバンドに参加した時に知り合った人だったり、兄がやっていたバンド仲間だったり。その中で上手いと言えるギタリストは何人も思い出すことができる。一緒にバンドをやろうと誘われることもあったくらいの仲になった人もいる。
それでも瑚乃海は蛍子を選んだ。
「この曲はバンド時代を思い出しながら作曲したから。それに、私は蛍子のギターが好きだからさ」
そう言って屈託のない笑顔を向ける瑚乃海。珍しい瑚乃海の表情に蛍子は思わずはにかんで俯く。
「そっか、そんなんだ」
それだけ呟き、なにかを反芻するように小さく首を縦に揺らす。
しばらくそうしてから意を決して問う。
「コノミンはさ、また音楽活動始めるの?」
期待や不安が混ざったような声色だった。
「正直、そこまで考えてなかった。今回は成り行きだったから。今の時点ではやるつもりはない」
瑚乃海は頭の後ろで手を組み、窓の向こうを見据える。窓の外には住宅街の狭い空があった。
「今の時点では、かぁ」
蛍子は含みをもたせた言い方をし、瑚乃海と同じく狭い空を見やる。四月の空はどことなく霞んでいる。
少ししてから蛍子は宣言する。
「……わかった、私でよければギターやるよ!」
憂いない満面の笑みだった。
「ほんとか!? 助かるぜ」
瑚乃海は蛍子の右手をがっしりと両手で握り、感謝を示すようにブンブンと振る。
「大げさだよー」
「そんなことないって。私には蛍子しかいないから」
なんでもないように言い放つ瑚乃海。手は握ったままだ。
「……コノミンっていつか刺されるよね」
「あ? どういう意味だよ」
蛍子は笑顔から冷たい目に変えて瑚乃海を見て、ゆっくりと手を離す。
「別にー? それよりベースとキーボードはこのままでいいの?」
ドラム、ベース、ギター、キーボード、それが今回の曲の編成だ。ドラムとギターを生演奏で録音したため残りはベースとキーボードである。蛍子は残りのパートも生演奏で録音するのかどうかを問うたのだった。
「勢いでやったからそれは考慮してなかったわ。……今回はこのままでいいかな」
腕を組んで難しい顔をする瑚乃海。蛍子が言外に込めた意味を理解した上での返答をした。
「ふーん? まあそれならいいんだけど」
蛍子は訳知り顔で、同じく腕組みをする。
四人が集まって演奏するとなるとどうしても意識をしてしまう。最終的には自ら解散を下した瑚乃海にとってはデリケートな部分だった。
微妙で曖昧な顔した瑚乃海を観察しながら、その心情に配慮して蛍子は特に何も言わないことにした。
「録音は来週でいい? 一応今でも弾いてはいるけど、本意気ではやってなかったから練習しておきたいんだ」
暗くなりそうな空気を晴らすように蛍子は確認をする。
「了解。まあ気負わずやってくれ」
瑚乃海は手をひらひらと振って応える。
気兼ねなく話せる相手でありながらも遠慮すべきところでは一歩引く、長年二人が築きあげてきた関係性がそこにはあった。




