君の後ろ姿が好きだった
その日、家族でたまたま立ち寄ったラーメン屋に可愛いバイトの子を見つけた。
店主がベラベラ喋るオッサンだったので、すぐにその子が近くの高校に通う同い年だということが分かった。
白いエプロンと、チェック柄の三角巾。長いポニーテールがゆらゆらと揺れる後ろ姿を見て、俺は恋に落ちた。
俺はすぐにバイトを探し始めた。
そして、短時間で時給が良い倉庫の力仕事に応募した。日払い制だったのが決め手だった。
部活も辞めた。顧問からは「お前はレギュラー確定だけど辞めるのか? 何かあったのか?」と、何度も聞かれたが、その度に俺は「大丈夫です。もう決めた事なので」と、返した。
初めてのバイトは思っていたよりも楽だった。
コンベアで流れてきた段ボールのラベルを見て、指定箇所の金属ラックへ運ぶだけ。台車に何個も段ボールを乗せて、ガラガラガラガラと走る。その繰り返しだ。
バイト代が入った封筒をしっかりと鞄に入れ、俺はあの子が居るラーメン屋へと向かった。一人で入るラーメン屋は少しだけ勇気が要る。息を整え取っ手に手を掛けた。
「いらっしゃい!」
店主の挨拶をそっちのけにし、あの子を探し店内を見回した。テーブルを拭くあの子を見つけ、俺は生きててよかったと心の底から思った。
とりあえず全メニューを制覇しようと思い、端から頼もうかと声をかけたが、『広東麺』が読めなくて、飛ばして次の『酸辣湯麺』も読めなくて、その次の『五目焼きそば』を注文した。
翌日、激しい筋肉痛でのバイトは地獄だった。初日は楽勝ムードだったのに二日目ですでに辞めたいモード突入である。もう少し楽なバイトにすれば良かったと軽く後悔。
聞けば一週間持たない奴が半数以上で、手渡しで日払いなのもそのせいらしい。休憩時間に正社員のオッサン達が俺が何日で辞めるかを賭け始めたので、なんかイラッとして辞める気が失せた。
その日、自転車のハンドルすらプルプルで、箸も持つのが辛かったけど、あの子を見るために気合で『餡掛け焼きそば』を頬張った。
因みに『餡』が読めなかったので、「ぁーかけ焼きそば」と初めを濁して注文した。なんとか通じたのでセーフだった。
俺はそれから毎日、バイト帰りにラーメン屋へ向かい、全メニューを制覇してからは、醤油ラーメンを頼み続けた。
三年の夏、担任から進路をどうするかと聞かれたが、俺は「まだ決めてません」とだけ言ってバイトへ向かった。
夏休み、いつも通りラーメン屋で醤油ラーメンをすすっていると、店主が俺に声をかけてきた。
「ウチで働かないかい?」
俺は目が点になった。
詳しく聞けば、あの子が大学受験の勉強で店を手伝う時間が減ったので、人手が足りてないそうだ。
盲点だった。
ココで働けばあの子の近くに居られるじゃないか。なぜ俺は今の今までその事に気が付かなかったのだろう。
……いや、違う。
この店を継いでしまえばいいんだ。そうすればあの子と結婚出来るんじゃないか?
仕事と家庭のダブルゲットチャーンス!!
「働かして下さい!!」
俺は立ち上がり頭を深く下げた。
倉庫のバイトを辞めると言った時、正社員のオッサン達が俺を引き止めようと集まった。どうやら俺が卒業したらそのまま正社員として雇うつもりだったらしい。
「俺、ラーメン屋やるんスよ」
そう言うと、オッサン達は笑ってくれた。
「若いっていいな」
「俺もラーメン屋やりてぇよ」
「皆で食いに行くからな」
皆に肩を叩かれ、俺は泣きそうになりながら最後の挨拶をした。
夏休み、俺は無理を言って朝の仕込みから手伝わせてもらう事にした。
早く覚えてこの店を継ぐ。そしてあの子と夫婦でラーメンを作るんだ。そう思うと果てしなく重い寸胴が軽く感じられた。
夏休みが終わる頃には、一通りの手順を覚え、仕込みをある程度まで任される様になった。
が、ラーメン屋というものは思っていたより準備が多い。そして複雑だ。一番辛かったのがギョウザの仕込みだ。なんど練習しても皮が破けたり大きさが均等にならない。焼きムラも出来て鉄板に皮が張り付き破ける始末。ギョウザを出さないラーメン屋はありえないので、気合で覚えるしかなかった。
秋、担任から「そろそろ決めないと何処も応募出来ないぞ!?」と、詰め寄られたので「ラーメン屋継ぎます」と言って指導室から出た。
担任は「え?」と、変な顔をしていた。
冬、あの子は大学に受かり、春から他県に引っ越すらしい。店主が「盆と正月くらい帰って来いよ」と言っていた。俺はそれまでにこの店を自分の物にしなければならない。
春、店主がバイクの事故で利き手が使えなくなった。
「店はお前に任せる。お前なら大丈夫だ」
顔は笑っていたが、俺には泣くのを誤魔化しているように見えた。
俺は、小さく頷き「頑張ります」とだけ返した。
店を継ぐことは出来たが、あまりうれしい気持ちにはなれなかった。ただ、店を潰さない様に必死で働いた。
休みの日は他のラーメン屋に行って勉強を重ねた。
素直に『美味い』と感じたラーメン屋には、何度も足を運んで味を盗んだ。
店を継いでから三年目の盆、あの子が男を連れて帰ってきた。一流大学に通う彼氏だそうだ。
既に大企業から内定も貰っていて、俺とは比べ物にならないくらい優秀。俺は、ただ黙ってラーメンを出した。
二人はとても仲良さそうに、ラーメンを食べていた。
二年後、二人は三人になっていた。
大企業で忙しく働くあの子の旦那は、今日しか休みがないのにわざわざ妻の実家へ来たのだ。元店主のオッサンは泣きながら孫を左手で抱いていた。
カウンターから厨房に居るあの子の後ろ姿を見ていた俺が、いつの間にか厨房からあの子の横顔を見ている。
俺は、ただ黙って皮の破けたギョウザを差し入れた。




