へんなやつ
まだ構想段階の長編、そのはじまり
「行ってきます」
そう母に告げて、僕は家を出た。
「気をつけてね」
僕は背中越しにかけられる言葉を特に意識もせずに、友人との待ち合わせ場所に急いだ。
家を出て15秒
砂利の敷き詰められた駐車場で、僕は倒れていた。
「あー!もう、だから気をつけてって言ったでしょ!」
転んだ際に尖った石が突き刺さり、だくだくと血を流している膝小僧に消毒液を染み込ませたガーゼを当てながら母が言う。
「えぇん、痛い...」
「気をつけてって言ったのに、なんでこうなるのかしらね...これは縫わないとダメかも」
(...!)
「...治った、もう痛くない」
「うそばりー。病院行くのが嫌だからってそんな事言わないの!」
母はそう言うと病院へと僕を担いで連れていった。
ーーー
あの時は本当に、痛みが引いたのだ。痛みとは身体から発せられる危険信号なわけで、それを上回る危険という名の「病院行き」を察知した脳が身体と協力、結託し、新たな危険への対処を試みた...しらないけど、そう今は認識している。
殴られた後、別の箇所を同じ強さで殴られた場合、最初に殴られた箇所の痛みは少なからず薄まるだろう。思い込みだったとしても。
なんであれ、より新しい、そしてより強い脅威に対処するようなプログラムが人体の、もっと言えば動物の本能に組み込まれている。と考えていい。
では仮に、その危険、あるいは脅威がずっと続いたら?
そう、それは生物の限界だ。つまるところの死だ。
精神的にも、肉体的にも、それぞれの部分的にも、死足るものは起こりうる。
そもそもなんでこんな益体もないことを思うかべているのか。
過去の記憶を突然、このタイミングで思い出したからだろう。
それはまるである種の走馬灯のようで...
我に返った瞬間
「えぉ」
(ベキビシャ)
彼は力尽きた
うそばりー(うそばっかりーの意)