勇者の背と、村人のかげ
朝靄の中、村の広場には人が集まり始めていた。
村の中央にある石畳の広場。神託の夜から一夜明けたこの場所は、すでに祝福の空気に包まれていた。
村長の声が響き渡り、エルドとその仲間たちが壇上に立つ。
新たな装備に身を包み、勇者と呼ばれる者たちが、旅立ちの準備を整えていた。
「これより、我らが誇り──光の勇者エルド・シュタイン一行を、王都へ送り出す!」
拍手が巻き起こる。歓声が重なる。誰もが、選ばれし少年の未来を信じていた。
その人垣の、少し離れた木陰に、レインは立っていた。
腕を組み、誰にも気づかれぬように、ただ静かに、その様子を見ていた。
選ばれなかった少年の姿を、誰も探しはしなかった。
馬にまたがるエルドが、ふと振り返った。
人波の隙間から、レインの姿を見つけると、どこか申し訳なさそうに微笑む。
それを見たレインは、視線をそらした。
声をかけることも、手を振ることもできなかった。
ただ、胸の奥に何か重いものが沈んでいくのを感じていた。自分だけが、あの光の列から漏れてしまったのだと。
人々が見送る中、馬車の列がゆっくりと動き出す。
旗が風に揺れ、太鼓の音が鳴り響く。
村は歓喜に包まれ、旅立ちを祝う者たちの声が空に吸い込まれていった。
レインはその場を離れ、静かに村の裏手へと歩いた。
通りを歩けば、村人たちの視線が背に突き刺さる。
あからさまな冷笑ではない。だが、その「何も言わない空気」が、レインの心を徐々に削っていく。
「あの子も神託に呼ばれなかったんだってね」
耳に入るささやき。子どもたちの好奇の目。気まずげに逸らす大人たちの目。
レインは、そのすべてを聞こえないふりで通り過ぎた。
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家に戻ると、祖母が縁側で日向ぼっこをしていた。
声をかけようとして、やめた。だが祖母のほうが先に言葉を発した。
「……エルドくん、立派だったね」
レインは黙ってうなずいた。
何も言えなかった。何も言いたくなかった。
しばらくの沈黙のあと、祖母はゆっくりと、まるで語りかけるように言った。
「選ばれなかったことが、終わりってことじゃないんだよ。神から授からなくても、自分の足で歩ける道はあるんだから」
レインは、お茶の湯気越しに祖母の横顔を見つめる。
その言葉は、思っていたよりもずっと、あたたかく、深く胸に残った。
夜になり、村は再び静けさを取り戻していた。
人々は寝静まり、篝火の灯だけが小さく揺れている。
レインはひとり、森の入口に立っていた。
手には古びた短剣。刃こぼれしたそれを、強く握る。
「……オレは、ここから始める」
誰かの光にすがるのではなく、自分の意思で立つ。
それが、選ばれなかった少年の、最初の一歩だった。
月明かりの中、レインは静かに森の中へと消えていった。