第一話「放課後の存在論は甘美な予感」
放課後、黄昏色の光が差し込む図書室は、ほかの人から見れば地味で埃っぽいだけの空間。でも、ぼくにとってはとびきり落ち着ける“隠れ家”だ。クラスメイトたちはゲーセンや部活に繰り出してるころだし、正直この場所はほぼ貸し切り状態。そこにいるのはぼく…高校二年、いわゆる陰キャ(※5)男子。名前は……ま、名乗るほどでもないし、別に誰も興味ないでしょ?
そんなぼくが、ちょっとだけ興味を持ってるのが“哲学(※4)っぽいもの”。理由はよくわからない。だけど「この世界って何だろう?」みたいな謎に惹かれてしまうんだよね。今日もデカルト(※1)の『方法序説』(※2)の文庫本をパラパラめくりながら、「我思う、ゆえに我あり(※3)」って言われても「ふーん、だから何?」とか思いつつ考え込んでしまう。自分でも面倒くさい性分だなぁ……と思っていた、そのとき。
「やっぱりここにいたわね」 聞き慣れたクールな声に、ぼくの背筋はビクッと反応する。振り返ると、天神ソフィ先輩がぼくを見つめていた。艶やかな黒髪と切れ長の瞳――通称クールビューティ(※6)。見た目だけじゃなく、中身も才色兼備と噂の高三女子。でもその裏には、ちょっと(?)危険な香りを漂わせる一面があるというか……。それなのに、なぜかこの先輩はぼくを気にかけてくる。理由はまったく不明。
「ちょうどよかったわ。今、無性に“存在”について考えたい気分なの」 先輩がさらりと口にする“存在”という単語が、やたら艶っぽく聞こえるのは気のせい?
「存、在……ですか?」
「そう。私、いまムラムラしてるのよ。自分がこの世界に“在る”って感覚を、もっと味わいたいの」
相変わらず攻めた言い回し……でも哲学は真剣っぽい。ぼくは完全にたじろぎ気味だ。
「お、また二人っきり? やるねぇ!」 横から入ってくるのはタイキ。クラスの陽キャ代表で、いつもにぎやかなグループの中心にいるタイプだ。なのに、なぜかぼくとも絡みが多い。
「ちょっと違うって! ソフィ先輩がいきなり……」
「はは、言い訳すんなって。で、先輩が言ってる‘存在’って何すか?」
タイキはあっけらかんと尋ねる。するとソフィ先輩は一瞬まなざしを細めて言った。
「あなたたち、どうやって自分が‘ここに居る’って確信してるのかしら?」
「そりゃあ、体があるし、痛かったら実感わくし……」
「でも、夢の中の痛みと現実の痛みって区別できる? もしかして、今がずっと夢の中かもしれないわよ」
「えー、なんかSF映画みたいっスね」
タイキはケラケラ笑うけど、ソフィ先輩は至って本気。ぼくもつい身構えてしまう。
そこへ、声だけは元気100%のチコちゃん(夏川知子)が登場。一年後輩の彼女は天然でドジっ子、でも時々ぶっ飛んだ疑問を放り込んでくるから油断ならない。
「わたし、寝ちゃってたみたいなんですけど……今って夢? それとも現実? これってもしかして神さま(※6)の見る夢だったりします?」
この展開にタイキが「それだよ!」と大ウケ。さっきソフィ先輩が言ってたこととドンピシャだもんね。
「こういう直感的な疑問、いいわね。みんなで考えましょう?」
ソフィ先輩はチコちゃんの頭を撫でつつ、嬉しそうに微笑む。タイキは唖然としているし、ぼくも「なんだこれ?」状態。でもなんだか不思議な空気。
「昔から哲学者たちは‘見えてるものは本物なのか? ただの幻じゃないのか?’と悩んできたのよ。要は‘この世界をどうやって確かめるか’ってことね」
ソフィ先輩が静かに語る。ぼくはデカルトを読んでもピンとこなかったけど、先輩の口からだと妙に納得してしまう。
「答えってあるんでしょうか?」
「理性(※7)を信じるとか、神さまが保証してくれるとか、そもそもそんな問い自体が無意味とか、人によって全然違うわ。でも誰もが‘絶対コレが真理’とは言い切れない。だからこそ、探求は終わらないの」
ソフィ先輩の顔が、まるで宝石を見つめるみたいにキラキラしてる。なんだかドキッとする。こんな顔、クールビューティの先輩でもするんだ……。
「でも、考えたって堂々巡りなんすよね? 意味なくね?」
タイキが首をかしげると、チコちゃんが「でも、考えるのって楽しいですよ?」と無邪気に返す。
「そうよ。疑問をぐるぐる考えてると‘生きてるなー’って実感が湧くの。変態的かもしれないけど、私の趣味ね」
ソフィ先輩がさらりと言い放つから、タイキが赤面してる。そりゃあ、直球すぎるもんなぁ……。
ぼくが初めてソフィ先輩と言葉を交わしたのは半年前、“哲学ガイド”を読んでたのを彼女に見つかったのがきっかけ。それから、なぜか呼び出されるようになった。理由は不明だけど、ぼく自身も嫌じゃない。非日常な会話がちょっと刺激的だし。
「そういえば、来週は小テストよね? 数学の証明(※8)なんかも‘本当に成り立つのか’って疑いながら学べば、存在論とつながるかもしれないわよ」
「え、マジっすか。そんな高尚な感じで勉強できる気がしない……」
でも先輩の言葉には不思議な説得力があるから、なぜか「やってみようかな」と思ってしまう。
「おーい、二人ともイイ雰囲気じゃん?」
タイキが軽口を叩き、ぼくは慌てて否定。でもソフィ先輩はクスッと笑って、むしろ肯定しているような仕草。チコちゃんまで「わー、お似合いです!」とか言い出すし……。そこへちょうど図書室のチャイムが響いて、ぼくたちはしぶしぶ片づけを始める。
答えのない問いを抱えたまま今日が終わる。でも、たぶん帰り道とか寝る前とかに、またいろいろ考えちゃうんだろうな。「もしかしてこれ全部が夢?」みたいな妄想が止まらない。
そんなぼくをよそに、ソフィ先輩はドアに手をかけて振り返る。
「明日も放課後、ここに来られる? もうちょっと‘存在’について話したいし……逃げてもいいけど?」
なぜか挑発的な笑み。
タイキは「ま、暇だし行きますか」と言い、チコちゃんはノリノリで「はいっ!」と元気いっぱい。ぼくは胸がドキドキしてるのを誤魔化しながら、こくりとうなずいた。
不安とワクワクがないまぜになった、この妙な感じ。いつの間にか“哲学なんてただの空論”って思ってた自分が、その空論に惹かれている。ちょっと怖いけど、誇らしくもある……。
こうして、ぼくらの“放課後の存在論”は始まったばかり。次はどんな放課後が待っているのかな? 恋のフラグ? それともさらなる深淵? ……正解は、まだ先の楽しみだ。
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【重要用語等】
(※1) デカルト
1596年生まれのフランスの哲学者&数学者。“近代哲学の父”と呼ばれ、めちゃくちゃ論理的に「自分は何を知っているのか?」を突き詰めたひと。寝坊助だったという説もあるけど、思考の鋭さはガチ。
(※2) 『方法序説』
デカルトが1637年に公表した一種のマニフェスト。超ざっくり言うと「どうやって頭を使えば正しい判断を下せるか?」の理論書。知のあり方を根本から考える先駆けになった大事な著作。
(※3) 「我思う、ゆえに我あり」
原文はラテン語で「Cogito, ergo sum」。世界を全部疑っても、疑ってる自分の存在そのものは否定できない!っていう逆転の発想。デカルトの超有名フレーズ。
(※4) 存在論・哲学
「この世界って何?」とか「モノや人は本質的にどう在る?」なんてのを問う分野が存在論。哲学全般もそうだけど、具体的な答えが出ないぶん、考え始めると深みにはまりまくるのが魅力……かも。
(※5) 陰キャ
明るい集団やパリピな雰囲気に乗っかりにくい人を指すスラング。別に本当に暗いわけじゃないけど、“社交場が苦手”とか“目立ちたくない”くらいのイメージで使われることが多い。
(※6) クールビューティ/神さま
クールビューティ=冷静沈着で美貌もある女性像、いわゆる“かっこいい美人”キャラ。神さまは超越的存在だけど、古今東西の哲学だと「世界の根本を保証するもの」として話題に上がることが多め。
(※7) 理性
人間が論理的・客観的に考える能力のこと。感情に流されず、「これは正しい・間違い」と仕分けていく頭の働き。近代哲学では「理性こそが絶対の拠り所!」という流れが強かった。
(※8) 証明
特に数学とか論理学で使われる「真偽を論理的手順によって示す」作業。感覚的に納得させるんじゃなくて、筋道立てて絶対に逃げ道がないようにする方法。哲学では「疑いを晴らす手段」としても注目される。
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【第一話の復習・補足】~ソフィ先輩の講義~
皆さん、おつかれさま。今回のキーは‘存在’のお話だったわね。デカルトが有名な『方法序説』で解いたように、世界をすべて疑うところから始めた結果、残るのは‘疑っている私’だけ――そこに‘我思う、ゆえに我あり’が生まれたわけ。でも、そこから‘本当にこの世界ってどうなってるの?’という深掘りは終わらないの。例えば夢と現実の境目や、神さまが世界を保証してるのかどうかなんて、誰もがはっきり断言できない問題よ。だけど、そこで頭を抱えても逃げずに考え続けることが哲学の醍醐味。理性や証明を使って論理的に迫る人もいれば、‘それを問うことこそ意味あるんだ!’と開き直る人もいるわ。どちらにせよ、‘今ここに自分は本当にいるのか?’と問い続ける行為が大事なの。堂々巡りのようでいて、実はそのプロセスが自分や世界をよりクリアに感じさせてくれるから。何より、こうして仲間たちとわいわい疑問をぶつけ合うと、ちょっぴりワクワクするでしょう? それが哲学の面白さ、そして“放課後の存在論”の醍醐味でもあるのよ。




