85話 猛炎獅子との戦い(3)
肋骨が折れている。呼吸をするたびに激痛が走った。レインの姿は〈清冽の槍術士〉から元の服装へと戻っていた。水の槍アクアヴィーラが壊れたせいだ。召喚変身による装備の変化は魔法武器の能力だからである。武器が壊れてしまったら解除されるのは当然のことだ。
アクアヴィーラは神々の金属オリハルコンでできた槍。あらゆる武器の中でもその強度は最上級と言っていい。それが折られてしまった。そんな威力の攻撃を間接的にとはいえ食らって、肋骨だけで済んだのはむしろ奇跡かもしれない。
奮迅拳と言ったか。炎魔法と格闘術を組み合わせた、恐るべき技だ。単純な動作ひとつとっても、さっきまでとは別物である。サティエンドラは本当に手を抜いていたのだ。だとすると、今のレインたちで勝てる相手じゃない。倒すには入念な準備と作戦が必要だ。逃げるしかない。そう思って身体を起こそうとすると、サティエンドラはこちらを向いて獰猛に笑った。
「悪いが逃がさねぇよ。お前らは……ここで死ぬんだ」
サティエンドラが片手で虚空を薙ぐと、レインの周囲に炎の壁が生まれた。駄目だ。カイルたちと分断されてしまった。人間界に戻るための転移魔法は三人一緒に発動しなければならないのに。これでは逃げられない。
「自分の勝ちを確信したかのような言い草だね。はっきりさせておくよ。僕たちはまだ負けてない」
「そうか? なら見せてみな、最後の悪足掻きを。受けて立ってやろうじゃねぇか」
「忠告しておいてあげよう。命取りになるぞ、そういう油断は……!」
カイルが両手を下に向けると、地響きが鳴り始める。これはカイルが古代魔法を使うときに起きる現象だ。自然に眠る魔力を集めている。それによって、普通では不可能な規模の魔法を発動させるのだ。なるほど古代魔法なら、さしものサティエンドラにも通用するかもしれない。
「こいつは驚いた。俺様たち魔族の技術を習得してる人間がいたなんてな。だが……そりゃ誤った判断だと思うぜ?」
「何を言って…………!?」
そのときカイルに異変が起きた。地響きがさらに激しくなり、大量の魔力がカイルの身体から噴き上がったのである。尋常ではない量の魔力だ。いや、量だけではなく、その魔力の質も非常に高純度だ。自分から放出される魔力にカイル自身が驚いている。どうやら魔力を制御できていないらしい。
「やっぱりな。魔界に眠る魔力の純度と量は人間界とは比べ物にならねぇんだよ。制御も遥かに難しくなる。魔力が暴走しちまったらどうなるか、魔法使いのお前なら分かるよなぁ?」
「まずい……こんなことが……リザ、僕から離れ…………」
カイルを中心として魔力の爆発が起きた。それは衝撃を伴った波動となって周囲に広がり、レインたちに襲いかかる。レインは身を伏せてなんとか耐え抜いた。リザは衝撃に吹き飛ばされた転んだようだが、怪我もなく無事だ。サティエンドラは衝撃を正面から食らってなお涼し気にしていた。
問題はカイルだ。カイルは目や耳、鼻、口から血を流しながら地面に這い蹲っていた。あれでは戦闘の継続は困難だろう。この時点をもってレインのパーティーは事実上の全滅を迎えたのである。無傷なのはリザだけだ。しかしリザは非戦闘員だ。
「んじゃーレインって奴を殺しておくか。魔王様から始末を命じられているのはお前だけだしな」
サティエンドラがゆっくりとレインに近づいてくる。身体の痛みを耐え抜いてレインは立ち上がり、応戦しようとする。魔力はまだ残っている。召喚変身で〈紅炎の剣士〉になれば、もう少しは戦えるだろう。その間にどうにか隙を突いて転移魔法で逃げるしかない。
「……召喚、変身……紅炎の剣士!」
「まだ余力があったか。いいねぇ。往生際が悪いのは嫌いじゃないぜ」
「……待つっす! それ以上兄貴に近づくなっす! このライオン頭!!」
リザが両者の戦いに待ったをかけた。首輪に触れながら、震える声で。
「あん? お前、俺様と戦えるのか? 絶対弱いだろ。楽に殺してやるから無理すんのは止めとけよ」
「……兄貴。おいらがこの魔族と戦うっす。兄貴はその間にカイルの兄さんと逃げる準備をしてほしいっす」
「リザ、何を言って……」
「今まで隠してきたっすけど、おいらには最後の手段があるっす。師匠には使うなって止められてたっすけど……今、ここで使わせてもらうっすよ!」
そう言ってリザは首輪を外した。どくん、と心臓の鼓動に似た音が響いた。その脈打つ音はだんだんと早鐘を打ち、リザの身体が光に包まれて急激に膨らんでいく。しなやかな黒い体毛。両腕の鋭い爪。長い尻尾。猫科動物に限りなく近い、獣の顔。二足歩行している点に目を瞑れば、黒豹を思わせる見た目をしている。
どんな魔物か分からないが、リザは変身魔法でも使ったのだろうか。リザの師匠であるロキは変身魔法を駆使することで様々な魔物に化け、その能力を自在に使いこなしていた。ロキの弟子であるリザだから、本当は変身魔法が使えた。レインはそう推測したのだ。だが結論から言えばそれは間違っていた。
「お、おお……マジかよ。魔獣じゃねぇか……生き残りがいたのか……!?」
「グルゥゥゥゥッ……オオオオオーーーーッ!!」
「不思議な連中だぜ、次から次へと面白いことをしやがる!」
リザが地を蹴ってサティエンドラに強襲する。腕を振りかぶり、鋭い爪を振り下ろす。サティエンドラはそれを紙一重で避けるが、爪が浅く腕を切り裂いていた。普通の剣を折るほどの頑丈な皮膚をあっさり傷つけたのだ。
「これだから戦いは止められねぇ! 燃えてきたぜぇぇぇぇ!!」
それでもサティエンドラは喜悦の表情でリザに飛びかかった。両手を組み、炎を纏ったダブルスレッジハンマーをリザの頭部に叩きこむ。
「奮迅拳、参式『炎戦鎚』――――……」
「グルルルァァァァァァッッ!!!!」
打撃も炎による火傷も一切気にせず、リザは膝蹴りを入れ、怯んだところに続けて右拳をライオン頭に命中させた。サティエンドラが小さく呻き声を漏らしたのをレインは聞き逃さなかった。今までにも何度か攻撃を命中させてはいたが、効いている素振りは一切見せなかったのに。普通の人間があの戦いに割り込んだら数秒経たず挽き肉になるだろう。
ともかく今が合流のチャンスだ。レインの周囲は炎で囲まれているが、頭だけ庇ってそのまま突っ切った。プロミネンスブレイザーで自爆することに比べればどうにか我慢できる。もちろん酷い火傷は負うものの、そんなことを気にしている場合ではない。そうして倒れているカイルまで近づくと、カイルの指が少しだけ動いた。死んではいなかったようだ。
「ぐっ……カイル、大丈夫!? 魔力の暴走って……はじめて見たけどポーションで治るのかな……!?」
「すまない……僕としたことが……まさか魔力の制御をミスするなんてな……穴があったら入りたい気分だ……」
「それが言えるなら、まだ死ぬ心配はなさそうだね。後はリザが戻ってきてくれれば、転移魔法で逃げられるけど……」
そのリザは今もサティエンドラと激しい格闘戦を繰り広げている。両者一歩も譲らない互角の戦いだ。レインはリザに呼びかけたが、獣じみた獰猛な叫び声が返ってくるだけで、戻ってこようとしない。最初は戻る余裕が無いのかと思ったが、どうにも違うらしい。
「レイン。リザは……ひょっとしたら正気を失ってるんじゃないか。少なくとも僕にはそういう風に見える」
「やっぱりそうなんだ……でもあの戦いを今の俺たちでどうにかするのは……無理だよ」
「……今まであの姿にならなかった理由が分かった。あれだけの強さだ。暴走したら誰にも止められない」
リザとサティエンドラの戦いは次の局面に動いた。激しい格闘戦から一転、お互いに距離を取って睨み合う。あれはおそらく大技、あるいは奥義を使うための間合いだろう。リザもまた威嚇しながら、突撃の構えを見せている。
「さすがは魔獣だ。俺様と格闘戦で互角にやり合う奴なんざここ数百年出会ってねぇぜ! 楽しませてくれた礼に見せてやるよ。俺様の奮迅拳……その奥義をな!」
サティエンドラの闘気が高まっていく。右腕に魔力が集まると、拳を固めて地面を殴りつけた。拳が地面にめり込む。直後、リザの足下の地面が罅割れて崩壊した。リザは思わず体勢を崩しかけるが、瞬時に跳躍して後方へと飛び去っている。
奥義はそれで終わりか。ただ足場を崩して終わり。そんなわけはない。奥義は一人の戦士が鍛えに鍛え抜き、戦いに戦いを重ね、最後にようやく辿り着く至高の領域だ。魔法使いで言えば、最上級の攻撃魔法や古代魔法にあたるもの。それが地割れごときで終わるはずはない。
レインは見た。崩落した地面の隙間から噴出する炎の塊を。手だ。巨大な炎の手が崩壊した地面から浮かび上がってくる。サティエンドラは右拳を地面にめり込ませたまま動かない。間違いない。あの炎の手は変形したサティエンドラの右拳そのものなのである。
「……奥義! 『地爆豪炎掌』!!」
地割れを回避したリザだったが、さらに割れた地面から伸びてくる炎の手は予想外だったようで、炎の手に握り締められ捕まってしまった。燃え盛る火炎の中でリザが悲痛な叫びを発する。
「グ……ガァァァァァーーーーーッ!!?」
「第一段階の地割れを避けたのは評価するぜ、だが油断したな! 本命はこっちよ!! さあ、炎の中で燃え尽きろやぁぁぁぁ!!」
このままではリザが死ぬ。そう思ったらレインは、考えるよりも先に突っ込んでいた。炎を纏い、大剣を構えて、炎の手めがけて斬りかかる。未完成の奥義、プロミネンスブレイザーだ。サティエンドラには炎が効かないようだが、炎の噴射による高速突撃ならば、怯ませるくらいはできるはずだ。
事実レインに体当たりされたサティエンドラは顔を顰めた。炎は実体があるかのように硬く斬れない。だが手の拘束が少しだけ緩んだらしく、リザはその隙に炎の手から脱出することに成功する。
問題は助けに入ったレインの方だった。プロミネンスブレイザーの炎で自滅したレインは力尽きてしまい、地面に崩れ落ちた。薄れていく意識の中でレインが見たのはカイルの姿が消える瞬間だった。続いてリザの姿も消える。サティエンドラの炎の手がレインを叩き潰す寸前で、目に映る光景が一瞬にして変わった。
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三賢者のアンブロワーズからは単独で転移するなと言われていたが、あの状況ではもう仕方なかった。カイルが撤退を選択しなければレインは逃げ遅れて死んでいただろう。とにかく難を逃れることには成功した。その代償として知らない場所に飛ばされてしまった。
全身の火傷と肋骨が折れているせいで身体が動かない。それにとてつもなく寒かった。目を強引に開くと、視界一面が白色で染まっている。雪だ。少なくとも北方に飛ばされたようだ。凍死の危険が頭をよぎる。どうにかしなければ。と思ったが解決策が思い浮かばない。思考も鈍くなっている。
どこか遠くから足音が聞こえる。雪を踏みしめる、ザクザクとした小気味のよい音がする。だんだん近づいてくる。ああ。すみません、助けてください。レインは足音の主にそう言いたかったのだが、声を発することもできず、やがて意識を失った。




