人の姿の旅客
人の姿の旅客は、ティーポットから紅茶をカップに注いで、シュガーキャンディーを一つ落とすと、ティースプーンで掻き回し始める。掻き回しながら、何をどう話せばいいかと考える。
何故なら、下手に話し始めると愚痴り話になってしまうかもしれないからだ。
「ー。」
ようやく掻き回し終えると、紅茶を一口飲む。影法師のような姿の給仕長が、トレーにパンの耳の揚げパンを乗せて、物も言わずに置いて行った。もう、食堂車の営業時間は終わりなのだ。
「自分は、学校で、進級した春頃から様子が変になり、誰かに声をかけてもまるで反応せず、総スカンを受けているかのようになりました。」
と切り出す。彼女は頷きながら、「愚痴り話になってもいいよ」と言う。
人の姿の旅客は、列車に乗る直前、両親が事故で死んだらしいと言う事から切り出すと、自分の事を話し始めた。
「春休みの間、自分はバイトに明け暮れつつ、時折、銀河鉄道の夜の世界観を見ようと、列車に乗りに出かけましたが、中でも春分の日、秩父鉄道のSLが脱線事故を起こして、当分の間、電気機関車で運転すると知った際には鉄砲玉のような勢いで、秩父鉄道に行き、電気機関車の引っ張る客車列車に乗ったのですが、春休みが開けて早々に職員室に呼び出されて事情聴取され、その日に自分が秩父鉄道から遠く離れた山口県のSLやまぐち号の車内で、女の子をナンパした挙句、粗相を働いたと言う根も葉もない噂話が出回っていると知ったのです。」
彼女はそれにも、相槌を打つ。(話せば楽になる)と微笑みながら。
「秩父鉄道の電気機関車の引っ張る客車列車は埼玉県だけを走っていて、SLやまぐち号が走る山口県までは行きませんし、行けません。自分はそんな噂話が流れた翌日、電気機関車の引っ張る客車列車に乗った際の切符と乗車証明書、写真を持って学校に行き、先生たちに見せてなんとか先生たちには戯言だと分かって貰えたのですが、学友達からはずっと冷たい目線が飛んでくるのです。」
(もう、そんな冷たい視線は飛んで来ないよ。この世界に、そんな冷たい視線を浴びせた人はいないから。そもそも、人の姿をしているのは、私だけのような物。私だって、周りから見れば影法師かも知れないし。)
彼女は思う。
「先生から今日、こんな事を言われました。「分かっているからって一人でガンガン答えて、君の知識振りかざしても、誤解は解けないよ?」と。しかし、冥王星探査機についての問いを出したのは、自分にケチ付けた奴に対して「そんな事言うなら」って理由で、先生が出したのです。それを言いたかったのですがー。」
「言えなかった。」
彼女が言った。人の姿の旅客は頷いた。
人の姿の旅客は、僅かに涙を流していた。
「知識を持っても、その知識のために怒られるなら、何故人は勉強するのでしょう。生きるため?それならなぜ生きるのでしょう?学ぶため?言いたい事を言えない。言ったら、「言った時点でー」と一方的な話をされて終了です。」
「でも、私に言えた。訳もわからず、気が付いたらこの世界にいて、この列車に乗っていて、そして、食堂車で会ったばかりの見ず知らずの私に。」
「あっー」
夜空に、DD51のガラスで出来た笛の音のように、透き通った汽笛の音色が寂しく響き、その音色を聴いた鶴や鷺が、野原から夜空の星へ向かって舞い上がる。
「この世界は綺麗です。自分が作っている鉄道模型のジオラマは、銀河鉄道の夜の世界を創ろうとしてますが、この世界はまるでそれが現実になったようです。」
人の姿の旅客はそれを見て言う。
そして、パンの耳の揚げパンを一つ、口に運び、紅茶を飲む。
(夜が明けたら、この旅客は影法師になってしまうのかな?人の姿のまま消えてしまうのかな?影法師になる、人の姿のまま消えてしまったなら、それは黄泉の国へ行けた事。でももし消えなければ?)
彼女は紅茶を口に運びながら、この列車の夜が明けた後の事を思う。
小さな駅を通過する。
無人駅で、公衆電話とホームの小さな灯りがあっという間に後ろへ向かって行ってしまった。
DD51の吐息のように、小さく短い汽笛が響き、第4種踏切を通過。
「私も、気が付いたらこの世界に居た。」
と、彼女は言う。
「この進まない世界にね。その話は、また明日の朝するわ。」
彼女は小さく言った。
「自分だけ話してしまいました。」
人の姿の旅客は詫びる。
「誰かの話を聞くのも、ほとんど初めて。気が付いたら、と言うより記憶がある時からずっと、この世界で同じように列車に乗っている。食堂車で。」
彼女は言う。
「それは、どう言う?この世界って、この列車って一体なんなのですか?」
人の姿の旅客はまた、疑問を投げかける。
彼女は人の姿の旅客の紅茶に薄めた睡眠薬を混ぜる。
「大丈夫。明日の朝、分かるから。」
と、彼女は微笑む。
人の姿の旅客は紅茶を飲み干す。
「さぁ、そろそろ寝なさい。今夜はゆっくりお休み。」
彼女は微笑む。
人の姿の旅客は不安に思いながらも、A寝台個室へと向かった。