お話をする話し
食事を終えた人の姿の旅客。
食事中も、何か落ち着かず、辺りをキョロキョロ見回していた。
彼女の勤務する食堂車付きの列車の旅客は皆、影法師のような姿の旅客で物も言わない。
列車の運転手や車掌でさえ、影法師のような姿であるこの世界の列車。故に、人の姿の旅客は滅多に現れない。現れても、その仕草は影法師のような姿の旅客と同じ。
更に言うと、A寝台車や一等車に乗る旅客は皆無に等しく、殆どが三等車やB寝台車の旅客。だが、今日の人の姿の旅客はA寝台個室の方から来た。つまり、A寝台の旅客だ。
だからこそ彼女は、今日乗って来た、人の姿の旅客に興味を持った。
食後の紅茶を運ぶ際、他に旅客が居ないので、影法師のような姿の給仕長に断りを入れ、この人の姿の旅客と話してみる事にした。影法師のような姿の給仕長は、物も言わず、どんな表情も浮かべず、ただ小さく頷いただけだった。
トレーに、ティーポットやティースプーン、シュガーキャンディにティーカップを2つ乗せ、人の姿の旅客に紅茶を運んだ彼女は、カップを人の姿の旅客の前、そしてその横にもう一つ置いた。
「あれ?カップが2つ?」
と、人の姿の旅客は首を傾げる。
「私も一緒にお茶したいので。よろしいですか?」
「えっええ。構いません。」
人の姿の旅客は頷き、彼女は腰を下ろした。
人の姿の旅客に興味を持った彼女だけど、いざとなったら、何をどう切り出せばいいのか分からない。なにしろ、人の姿の旅客と話す機会なんて滅多に無い。進まない時間と同じ景色の中を何度も列車に乗っているだけの彼女は、ゼンマイ仕掛けの時計の様な存在だ。
列車は不意に速度を落とし始めた。
人の姿の旅客には「なんだ?」と思う事もあるが、彼女にはいつもの事。ただ、「ああ、今回は止まるのか。」と思っただけ。
星の光に包まれ、夜空には白鳥が舞い、川の向こうでは赤い灯りが空を灯していた。それが不意に青に変わると、一斉に白鳥の群れは川向こうへと渡って行く。
列車はそれとは別に、鉄道信号で止まっている。
「川の砂を採取する貨物の引き込み線が、この信号所から分岐していて、時折、貨物が引き込み線から出てくる時、止まる事があるのです。」
と、彼女は人の姿の旅客に言いながら、窓の外を指し、人の姿の旅客はその方を見る。なるほど。確かに今、小型のCタイプディーゼル機関車が、トラ55000形貨車を1両引っ張って来て、隣の線路に止まる。
「この後、対向列車の貨物列車に連結されるから、この列車は貨物列車が来るまでここで停車です。」
「えっと、この列車の時刻表は?」
人の姿の旅客が口を開いた。
「そのような物はこの世界にございません。」
彼女が答えると、人の姿の旅客は驚いた様子を見せた。
「では、この列車は一体ー?」
人の姿の旅客はポケットを探る。
中からは切符が出て来た。
A寝台個室の切符だった。
「自分の部屋で、鉄道模型を弄っていて、ふと眠気に襲われて突っ伏して、気が付いたらこの列車の個室寝台にー。訳も分からず、列車の外は、まるで銀河鉄道の夜のような世界で、綺麗で、夢って思いながら頬をつねるも痛みを感じ、夢では無い。」
彼女はこれを聞いた時、この列車はなんなのか、そしてこの列車の走る世界はなんなのかを、この人の姿の旅客は知らないのだと確信した。
だから、彼女はこの列車のことや、この世界のことは敢えて何も話さなかった。
「何も今は知らないでいい。今居る世界を、楽しんで。」
とだけ、彼女は言い、
「貴方の事を聞かせて。」
と、話題を振る。
人の姿の旅客は「弱ったな」と口の中で言う。
「生憎、いい話は持ち合わせてないのです。」
「貴方の名前は?」
人の姿の旅客はそれに応えた。
「何をしていたの?」
「ただの学生。」
「どんな町に住んでたの?」
「洋館の街。だけど自分の家は、木造建築。」
彼女は過去形の言葉で聞いて行く。
何故ならこの、人の姿の旅客はもうその世界に戻る事が無いと知っているから。
「洋館の街。どんな町?」
「あっあーそうだなぁ。」
人の姿の旅客は少し考える。
「簡単に言えば、明治時代から大正、昭和初期に建築された西洋館が今も多く残っている町で、宮沢賢治の小説の世界のような町。昔は生糸の生産が盛んだったし、水運の街としても栄えた町。」
「そうなんだ。」
「あまり好きでは無いけど、蒸気機関車の観光列車が偶に運転されていた。」
「蒸気機関車が嫌いなの?煙で?」
彼女が言う。
蒸気機関車も一応、この世界で見かける。
電化されて間もない設定のこの世界。
だけど、彼女がこの世界に現れた時には、細々と活躍している程度。
「蒸気機関車が嫌いなのでは無くて、自分の、って言うより自分が好きな宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の世界に蒸気機関車は居ないから。あの町は、銀河鉄道の夜の世界のように見えたのだけど、銀河鉄道の夜と言えば蒸気機関車だって理由で、蒸気機関車の観光列車を走らせる事が気に食わなかったので。」
「この世界も同じ。銀河鉄道の夜の世界を創ろうとし、実際に創られた。けど、蒸気機関車はあまり見かけ無い。設定では、電化されて間もないと言う事だけど、その設定の裏には、蒸気機関車は銀河鉄道の夜に出て来る銀河鉄道を走っていないと言う物がある。」
人の姿の旅客は、また少し驚いている様子だったが、彼女は何も反応を示さない。
ただ、彼女はなぜ、この旅客が人の姿をしているのか分かり始めてきた。そして、人の姿の旅客は自分がなぜこの世界に居るのか分からない様子だった。
だから敢えて言う。
「今の話をしよう。」
と。
「今の話?」
「正確には、この列車に乗るまでの話かなぁ?貴方は誰で、この列車に乗るまでに何がどうあったのかって言う話。」
人の姿の旅客は頷いた。