発露
面会室を出て歩く二人は、人通りの少ない廊下で立ち止まった。
「ユーリ様、本日はありがとうございました」
婚約者を助けることができる聖女の魔法。
その聖女以上の魔力を持つユーリだから知り得たのかもしれない情報は、エヴァの心からの感謝を引き出すのに十分だった。
「これからガーデナー卿のところへ行かれますか?」
「ええ」
「よろしければお送りしましょう」
「ありがとうございます。ですが、慣れておりますのでお気遣いなく」
法官の職場へは何度も行ったことがある。
エヴァは希望の道筋が見えた安心感で、すっかり気を緩めていた。
一方のユーリは、タウンハウスの庭で会う時と違ってそつがない。エヴァに対する言葉遣いも貴族らしく丁寧に取り繕われている。
全てが揃った人を目にしながら、エヴァは違和感に首を傾げる。存在感の塊のはずのユーリが、とても希薄に思えるのだ。
ここに居るのに居ないような、不思議な感覚。
もっと話すべきことがあるはずなのに……。
「ユーリ」
突然、女性の声がかかった。
はっと目を瞬かせて顔を向けると、騎士服に身を包んだ女性騎士がこちらへ歩いてくる。
ユーリの友人だろうか、と思いながら、エヴァは向かいへ視線を戻す。
すると先程までとは打って変わって、ユーリの姿は圧倒的な存在感を取り戻していた。
その整った淡い唇から「チッ」と舌打ちが聞こえた気がして、目を見開くエヴァ。
しかし彼の表情はにこやかなまま、女性騎士に軽く挨拶を返した。
「やぁ、アリサ。こちらはガーデナー伯爵家のエヴァ嬢だ」
「エヴァ・ガーデナーでございます」
「騎士のアリサ・ピルホネンと申します。お初にお目にかかります」
アリサは、同性のエヴァですら思わず魅了されるような微笑を浮かべていた。彼女の声は媚びていないのに、どこか魅惑的に響く。
「君、わざと解いたね……?」
「何のことでしょう」
そっけなく返したアリサは、仕事があるからとすぐに去っていった。
それを見送るユーリは細い眉を寄せて、何やら微妙な顔をしている。
「ユーリ様?」
「……失礼しました、エヴァ嬢。お送りできないのは残念ですがまたお会いしましょう。解決まで必ず協力しますので」
解決、という言葉がエヴァの背中を押す。
「わたくしにできることなら何でもやります。どうか力を貸してください」
「もちろんそのつもりですよ。ですから無茶はしないと約束していただけますか?」
じっと瞳の奥を覗かれて、気づけば頷いていた。
目が覚めたような心地で瞬きをした後は、にっこりと微笑むユーリの姿。
「では行ってらっしゃい」
「行ってまいります。ユーリ様もお気をつけて」
ゆっくりと遠ざかっていくエヴァの後ろ姿を眺めて、ユーリはひとりつぶやく。
「認識阻害は苦手だが仕方ない」
苦手と言いつつも再び存在感を薄くすることに成功した魔法使いは、背筋をピンと伸ばして歩く伯爵令嬢を静かに追いかけた。
*
「ガーデナー伯爵は席を外しております」
扉を守る護衛騎士は、初めて見る顔だった。
顔見知りの騎士とは違う厳格な雰囲気で、エヴァはつい遠慮がちになってしまう。
いつもなら部屋の中で待たせてもらうのだが、今日のところは諦めることにする。
エヴァが踵を返そうとしたその時、ドアが前触れもなく開いた。突然のことにビクリと肩を揺らす。
「ああ、失礼しました。ご令嬢」
部屋から出てきたのは、すらりと背の高い男性。見慣れない神官服を着ている。刺繍に彩られた袖の内側に、一瞬チカリと光を反射するものが見えた気がした。
こちらこそ、とエヴァが答えて脇に避ける。
すると神官らしき男性は丁寧に会釈をし、エヴァと騎士の横を通り抜けていく。
「今の神官様はどなたでょう?」
「聖女様のお世話をされているアズール様です」
「ああ、それで……」
隣国の神官服だから見慣れなかったのだ。
だが服以外にも何か引っかかるものを感じる。それは理屈ではなく、エヴァの経験則のようなものだった。
人を妬んだり憎んだりする者は、対象に危害を与えるために過ちを犯すことがある。既に起きた過ちを捌くのが法官である父だ。
父の背中を見てきたエヴァ自身は、ただ道を踏み外す者を止めたかった。被害者を守りたかった。意地悪をする令嬢がいたら仲裁に入り、時には相談に乗る。取り返しのつかないことになる前に。
だから何となく分かるのだ。
そのようなタイプの人間には、いくつかの共通する傾向がある。
エヴァは騎士に礼をすると、胸騒ぎを抑えるように手を併せながら、神官の去った方へと足早に歩みを進めた。