神官
ソルン王国、王城の一角にある貴賓室にて。
コン、コン、コン、コン。
規則正しいノックの後、ひとりの神官が扉を開けて入室した。
室内には華やかな布張りのソファに腰掛ける少女がひとり。暇つぶしに読書をしていたアナは顔を上げ、入ってきた神官へ呼びかけた。
「こんにちは、アズール様」
「アナ様、お加減はいかがですか」
「もともと体に異常はないですから。少しショックではありますが...…」
正体不明の殺意を向けられたのは3日前のこと。未遂で済んだとはいえ、心のダメージは避けられない。
アナは頬に落ちた黒髪を片耳にかけて、頼りない眉を寄せる。
そんな聖女の心情を知っているのか知らないのか、アズールの低い声が讃えるような色を帯びた。
「それにしても……さすが聖女様。グラスの微量な毒に気づかれたのは素晴らしかった。分析結果によると無味無臭だったそうですよ」
「そうですか……」
褒められても全然うれしくない、と内心でアナは愚痴る。
日本からこの異世界に転移して早3年。
右も左も分からないまま、自然と備わっていた魔力が自分自身を救った。便利といえば便利だが、そのせいで狙われたのかもしれないのだ。
「すぐに我が国へ戻りたいところですが、生憎、未だ容疑者を取り調べているようです。こちらの国の法官がアナ様にも話を伺いたいと」
カタリンドに戻ったところで、聖女であるアナに自由は無い。日本での生活に比べると窮屈なことばかりで、我が国という感覚も愛着も全くといってなかった。
ダークブラウンの瞳を閉じて、少女はため息を吐く。
「アナ様?」
「……わかりました」
神官のアズールは、面長の顔にうっすらとした笑みをずっと浮かべている。無表情に近いため作り笑いなのかいまいち判断できない、と彼の顔を見るたびにアナは思っている。
「法官との面会時間が決まりましたら、またお迎えに上がります」
言いたいことだけ言って踵を返すアズール。
男性にしてはほっそりした彼の背中を、アナが慌てて呼び止めた。
「あの……! ウィンランド大使のご子息も捕まっていると聞いたんですが」
唐突な問いに、アズールのうっすらした笑みが限りなく真顔になった。
だがそれも束の間。すぐに切れ長の目が細く戻り、薄い唇が三日月型に開かれる。
「それが何か」
「私、彼とパーティでお話して、すごく気が合って……容疑も何かの間違いじゃないかと思うの。だから、一度お会いすることはできますか?」
聖女の拙い訴えを受けたアズールは、少し考えるそぶりを見せた後で頷いた。
「頼んでおきましょう」
今度こそ扉に向かって手を伸ばせば「ありがとうございます」と嬉しそうな声がかけられる。
少女から死角になった神官の顔には、憎しみに似た暗い影が差し込んでいた。