その感情は……
アッシュの弟さん突撃から数日後。
アッシュの元にベイジルさんから連絡があった。
何でも最近、少数で暮らしている新人類を襲っている人間のグループが複数あるらしい。
そのグループの内の一つの足取りが掴めたそうだ。
実はわたしと出会ったあの日も、アッシュはそのグループの一つを壊滅させていたという。
それで、そのグループを潰しに行くのが今回の仕事らしい。
仕事の話を横で聞いていると、アッシュがわたしを気にするような素振りを見せた。
多分、わたしの反応が気になったのだろう。
「気にしてないよ」
よしよしと頭を撫でればホッとした風だった。
その間、わたしは留守番することとなったのだけれど、何故かラッセルさんにその話がいって、アッシュが仕事をする間、ラッセルさんのところでお世話になることになった。
ちなみにラッセルさんは別の場所に住んでいる。
今回の仕事は一日で終わるだろうけれど、その間、アッシュがわたしを気にするだろうからとラッセルさんの手に託されるらしい。
……わたし、十七歳だってば。
どうにもアッシュは心配性である。
わたしがラッセルさんのところで今日一日過ごすことが決まり、それから三十分ほどで部屋のチャイムが鳴った。
アッシュが立ち上がって玄関へ向かう。
「おーい、迎えに来たぞー」
ややあって玄関の方から聞こえる声にわたしも立ち上がった。
特に持っていくものもないので手ぶらである。
玄関にいたラッセルさんがわたしを見た。
「ん? なんも持ってかなくていいのか?」
うん、と頷き返す。
「バッグもお財布もないから」
ポケットにハンカチがあるくらいだ。
ラッセルさんが「は?」と目を瞬かせた。
「いや、兄貴さあ、いくらなんでも少しくらい金持たせとけよ。なんかあった時のために」
アッシュが首を傾げた。
それを見たラッセルさんが何かに気付いた様子でハッとアッシュの顔をまじまじと見る。
「そういや、兄貴、外に出てから買い物したことあるのか?」
「……ない」
ラッセルさんが「やっぱりな」と言う。
「必要な物は全部ベイジル任せか。それじゃあ金まで気は回らねーか……」
アッシュはわたしを見下ろす。
わたしもアッシュを見上げた。
「あー、とりあえず、コイツは預かっとくから、兄貴も気を付けろよ?」
コイツ、と指で示される。
アッシュがラッセルさんの言葉に頷いた。
わたしは靴を履いて、二週間ぶりに部屋の外に出た。
ラッセルさんに「ついて来い」と手招きされる。
エレベーターに乗って地下駐車場へ向かう。
「どこに行くの? ラッセルさんの家?」
「家みたいな場所ではあるな。っつーか、ラッセルでいい。どうせ同い歳だしな」
「分かった」
地下の駐車場に出て、ラッセルの後を追うと、派手なオレンジ色の車が停まっていた。
流線型のボディーに地面スレスレの車高の低い車体だ。
中に乗れるのは二人くらいだろう。
助手席の扉を開けてくれた。
「ほら、乗れよ」
「ありがとう」
顎で促されて助手席へ乗り込んだ。
座席はレザーで、座ると言うより寝転ぶに近いような感じだった。
……これはこれで寝心地好さそう。
レザーの手触りを確かめている間に扉が閉まり、ラッセルが運転席側に回った。
「じゃあ行くか」
言って、ラッセルがハンドルを掴んだ。
……あれ、キーは?
ラッセルがハンドルを握るとブゥウウウンと重低音を立ててエンジンがかかった。
重低音に合わせてスッと車が走り出す。
全く体に重力を感じない。
車窓が流れるように後ろへ過ぎていく。
「高級車すご……」
思わず漏れたわたしの言葉に運転しているラッセルが鼻で笑っていたけど、こういった車に乗る機会なんてそうそうないので気付かないふりをした。
窓の外では街を行く人々が流れていく。
そのうち車は大通りから外れて脇道に入り、あれよあれよと言う間に車はビル群のどこかの路地裏みたいなところへ入り込み、やっぱりどこかの地下駐車場へ入った。
最後に、軽くキッと音を立てて停車する。
ラッセルが降りるとエンジンが自然と止まった。
「着いたぜ」
どこを押したら開くのかな、と考えているうちに、外側からラッセルが扉を開けてくれた。
「ありがとう。……うっ」
あまりに車体が低くて降りる時に頭をぶつけた。
……結構痛い……。
ぶつけた場所を押さえつつ降りる。
「頭ぶつけてる奴なんて初めて見た」
ぶふっとラッセルが笑った。
「乗り慣れてないから」
「分かった分かった、とりあえず上に行くか」
後ろでバタンと車の扉が閉まる。
歩き出したラッセルについて行って、この建物のエレベーターに乗り込んだ。
「ここがラッセルの家?」
ラッセルが頷いた。
「まあ、みたいな場所、だけどな」
そうしてエレベーターがどんどん上がっていく。
チン、と音がしてエレベーターが止まった。
扉が開く。
「お疲れ様です!」
開いた瞬間、複数人の男性が頭を下げた。
……え、何これ?
驚くわたしを他所にラッセルが「ああ」と適当に頷き、頭を下げる人達の前を通り抜けていく。
早く来いと言わんばかりに手招かれた。
とりあえずついて行く。
ラッセルに追いつくと、歩き出し、控えていた他の人達によって扉が開けられる。
「……ラッセルって悪い人?」
少なくとも普通ではないだろう。
そう思って問えば、前を歩いていたラッセルが声を上げておかしそうに笑った。
「ははは! そうだな、オレは悪い奴かもな!」
いくつかの扉を抜けて、最後に辿り着いたのは明らかに高級そうな造りの部屋だった。
デザイン性のあるテーブルに高そうな革張りのソファー、お洒落な模様の壁紙に、小さなシャンデリアみたいな明かりは見た目に反してあまり眩しくない。
やや薄暗いかなといった感じの室内だ。
一人掛けのソファーにラッセルが座った。
「お前も好きに座れよ」
言われて、斜め前の三人掛けのソファーに座る。
……革張りもいいなあ。
アッシュの部屋のふわふわなソファーも心地好いけれど、革張りのこの重厚感のある感触も悪くない。
きちんと手入れされているのだろう。
ラッセルが手元のリモコンみたいなものを何やら操作すると、壁がパッと明るくなった。
それから、壁にいくつもの映像が流れ出した。
……これ、壁一面がモニターなんだ。
そこにはどこかの監視カメラらしき映像がいくつも並んでいて、音は思ったよりも小さい。
「ここはオレが頭張ってるカジノの一つさ」
ラッセルが足を組む。
「新人類の裏社会のリーダーみたいなもんだ」
どうだ、と目で問われる。
新人類にも裏社会というものが存在するらしい。
「へえ……」
ラッセルがズルッと体を傾けた。
「なんだよ、反応薄いな?」
どこか不満そうに頬杖をついて言われる。
「ラッセルが裏社会のリーダーだろうと、カジノの経営者だろうと、関係ないもん。わたしからしたらラッセルはラッセルだよ。アッシュの弟のラッセル。それだけ」
ラッセルが目を瞬かせ、そしてまた笑った。
「ほんっと、お前って変だよな!」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
それからラッセルはしばらく笑った。
何がそんなにおかしいのか、ちょっと涙が出るくらい笑ったみたいで、目元を拭っている。
ジットリ睨んでいると横から手が伸びてきた。
いつの間にか知らない人が横にいて、飲み物を用意してくれていたらしい。
もちろん、その人も新人類である。
「ありがとうございます」
長身のスキンヘッドに刺青という、やたらと厳つい外見の人にお礼を言うと、何故か逆に会釈されてしまった。
グラスにはオレンジ色の液体が入っており、口をつけてみると、見た目通りオレンジジュースだった。
「はあ、笑った笑った!」
やっと満足したようだ。
「そうだ、お前に見せようと思ってたものがあったんだ」
ラッセルがリモコンを操作する。
壁のモニターが切り替わり、壁いっぱいにアッシュが映し出された。
街のどこかの監視カメラの視点である。
「兄貴と一緒にいるなら知っとくべきだ」
「見ろ」と示されて画面を見る。
そこはどこかの大きな道路で、アッシュが一人だけ、道路にポツンと立っている。
その前には大きなバリケードがあり、そのバリケードを挟んだ向こう側に大勢の人影があった。
……あれは人間?
綺麗で大きなモニターなので肌の色もはっきりと分かる。あの血色の良い肌色は、恐らくこの世界の人間なのだろう。
新人類と人間は敵対関係にある。
そして今日もアッシュは人間のグループを潰しに、つまりは殺しに出掛けているということだ。
モニターの音量が上げられる。
【くそっ、あれはあのデイヴィット=ウォルトンか?!】
【なんでアイツが来るんだよ?!!】
【知るか! とにかく殺せ!!】
人間側は明らかにアッシュを見て動揺している。
アッシュは騒ぎ出す人間達へ向かい、まるでいつもと変わらない足取りで歩き出した。
人間達は動揺しながらもアッシュへ銃口を向ける。
そしていくつもの銃声が響き渡った。
アッシュの体に銃弾がいくつか当たる。
「アッシュ……!」
それがモニターだと分かっていても、呼ばずにはいられなかった。
アッシュが俯いた。
そして顔を上げた時、アッシュの白眼の部分が赤く染まり、雰囲気が一変した。
まるで獣のようにアッシュが咆哮する。
そして以前見た、あの驚異的な跳躍でいとも簡単にバリケードを越えて侵入した。
まず、一人目。着地点にいたその人間は、アッシュの全体重を受けて、頭が踏み潰された。
二人目。一人目のすぐそばにいて、銃口をアッシュへ向けようとしたけれど、それよりも早い動きでアッシュが首を掴んだ。
首を掴まれて抵抗した二人目が銃を乱射したが、アッシュはその腕も掴んで、自分から逸らしたため、周囲の他の人間に銃弾は当たってしまった。
首の折れる音が聞こえてきそうだ。
アッシュが強く握った二人目の首が折れて血が流れる。
その死体を投げ捨てて、アッシュは人間を蹂躙した。
首に噛みつき、へし折り、爪で引き裂いた。
時には殴り殺し、蹴り殺し、その全身が血で染まっていく。
……ああ、でも、なんでかな。
ちっとも怖いとは思えなかった。
普段全く言葉を発さないアッシュの咆哮。
それは獣のようで、けれど、酷く苦しげで。
むしろアッシュのその様子の方が心配だった。
「……これが飢餓衝動?」
わたしの言葉にラッセルが頷いた。
「そうだ。人間を見ると、憎しみで殺したくて、傷付けたくてたまらなくなるんだ」
「憎しみ? これが?」
モニターの中で虐殺を行うアッシュは憎しみというよりかは、苦しさに支配されているように見えた。
とても、本当にとてもつらそうだ。
「アッシュは仕事に行く度にこうなるの?」
「ああ」
ふと、アッシュが人を殺した時のことを思い出す。
出会った次の日、アッシュはわたしを物陰に隠すように置くと、人間を殺し、戻って来た。
わたしのところへ戻って来たアッシュはいつも通りだった。
両手は血塗れだが、目も赤くなかった。
こんな苦痛の咆哮を上げてはいなかった。
「新人類はこういう生き物だ」
ラッセルが言う。
「お前からしたらヒトゴロシだな」
モニターから視線を外すとラッセルがわたしを見た。
アイスブルーによく似た水色の瞳だ。
「それでも新人類側に来るか?」
わたしは半ば反射的に頷いていた。
「うん」
「即答だな。オレも兄貴も大勢人間を殺してるんだぞ? 怖くないのか? いつか、兄貴がお前を殺す日が来るかもしれないぜ?」
「そう言われても、怖くないものは怖くない」
それよりも、と思う。
「もしアッシュがわたしを殺そうとしたら、先にラッセルがわたしを殺してよ」
「オレが?」
不思議そうに訊き返される。
わたしはうん、と頷いた。
「アッシュはわたしに懐いてくれてるでしょ? もし飢餓衝動が起こった時、わたしを殺したら、一番傷付くのは多分アッシュだから」
モニターを見る。
血塗れで、我を失って人間を殺戮するアッシュ。
怒りにも聞こえる咆哮だけど、わたしには怒りと言うより苦痛を感じて出しているような、嘆きで叫んでいるような、そんな風に聞こえるのだ。
アッシュの顔は見えないが、泣いているのではと心配になってしまう。
この世界で初めて出会った人。
全く喋らないし、なかなか意思疎通が難しいこともあるけれど、わたしの後ろを小さな子供のようについて来た姿が印象に残っている。
きっとあれが本来のアッシュなのだ。
今になってやっと分かった。
手を繋ぐ時、アッシュの手にほとんど力が入っていなかったのは、わたしを傷付けないため。
何度も手を繋いで、やっと握り返すようになった。
わたしに「死ぬな」と必死に伝えてくれた。
そんなアッシュだから一緒にいてもいいと思えるんだ。
「だからアッシュにわたしを殺させないで」
ラッセルが目を丸くした。
そして、一つ、深く頷いた。
「ああ、分かった。その時はオレがお前を殺してやるよ。少なくとも、兄貴には殺させない。まあでも、いざとなったらお前も新人類になればいいさ」
その言葉にホッとする。
「そういう機会があったらね」
ただわたしが新人類になれるかは不明だ。
別の世界の人間でもなれるのだろうか。
積極的になりたいわけではないが、そういう選択肢もあるってことだろう。
「本当、お前って変な奴だよ」
それにわたしは苦笑した。
「そうだね、多分、頭がおかしいのかも」
こうしてアッシュが人間を殺している姿を見ても恐怖心は欠片も湧かない。
それどころか、アッシュ自身が気にかかる。
……まあ、人間って言ってもわたしは異世界の人間だから、厳密に言えばこの世界の人間は誰も同族じゃないんだよね。
だからなのか、人間の死を見ても何も感じない。
……映画みたいに感じる。
全く『死』と言う実感がないのだ。
「これ、今のアッシュの映像?」
ラッセルが首を振った。
「いや、これは半年くらい前のやつだ」
「そっか……」
しばし映像を眺める。
人間を殺し尽くしたことで、アッシュはようやく動きを止めて、そのまましばらくぼんやりと立っていた。
「ねえ、やっぱりわたし、帰るよ」
アッシュの背中は泣いてるように見えた。
「あったかいお風呂沸かして、帰ってきたアッシュを『お帰り』って出迎えて、食事して、寝て。……一緒にいてあげたい」
アッシュはいつもわたしにくっついている。
それはつまり、一人になりたくないということだ。
誰かの体温が欲しいのかもしれない。
そうだとしたら、わたしがそれをあげたい。
ラッセルが頬杖をついてこっちを見た。
「なんだ、やっぱお前、兄貴のこと好きなのか」
その言葉に首を傾げてしまった。
「好き……?」
疑問が胸に広がっていく。
……分からない。
……分かりたくない。
でもアッシュのことは嫌いではないと思う。
わたしはアッシュがすきなのだろうか?