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兄弟

 






 研究所へ行ってから二日。


 アッシュの元で暮らし始めて一週間が経った。


 相変わらずわたしは食っちゃ寝生活である。


 アッシュは意外と仕事があって、わたしがソファーで寝ていると、よく誰かと連絡を取っている声がした。


 それでもビデオ通話か何からしく、アッシュが話すことはなく、通話相手の声が聞こえてくるだけだ。


 話の内容は人間についてだった。


 どこの地区に人間が現れたとか、どこの地区は新人類が占拠しただとか、そんな感じである。


 どうやらアッシュはボスとしてその報告を聞くのが仕事のようで、日に何度も連絡を取っていることもあった。


 わたしはその間、横で寝ている。


 寝ているのに何故分かるかと言うと、寝ていても、わたしはある程度周りの音が聞こえているのだ。


 大きな音や人の話し声などがあると自然と意識が浮上して、体は動かせないけど、聞こえている状態になる。


 今日もそうして寝つつも、アッシュの行動を何となく感じていると、ピーンポーンとチャイムの音がした。


 ……ベイジルさんかな……?


 横にいたアッシュが立ち上がって玄関へ向かう。


 わたしも何となく起きる。


 ……なんか、玄関の方が騒がしいような?


 眠たい目を擦りながらソファーから立ち上がる。


 開けっ放しの扉を潜って廊下へ出れば、より鮮明に声が聞こえてきた。




「兄貴、最近全然こっちに顔見せないけど、そんな忙しいのか?」


「いや……」


「ならたまには顔見せに来てくれよ。みんなも兄貴に会いたがってたぜ」




 来客の言葉にアッシュが返事をしている。


 返事と言っても「ああ」とか「いや……」とか、そんなようなものだけれど、声を発していること自体が驚きだ。


 思わず玄関を覗いてみてしまう。


 背の高いアッシュが背を向けて立っている。


 その向こう側に人影があった。


 少しアッシュより背が低いようだ。


 ……アッシュの反応が早い。


 いつもワンテンポ遅れて頷いたり首を振ったりするアッシュだが、この来客相手にはほぼ即答で返事をしている。


 ……なんだ、ちゃんと話せる相手がいるんだ。


 それにホッとしつつ、少し寂しいような、虚しいような気持ちが胸に広がった。


 凄く懐かれてるからそう感じてしまうのかも。




「ん? 誰か来てるのか?」




 来客の人影がひょっこり隙間から顔を覗かせた。


 ……あれ?




「はっ?! 人間っ?!!」




 立っていたアッシュがグイッと横に追いやられる。


 そしてズンズンとその人が近付いて来る。


 ……うん、やっぱりそうだ。




「何で人間がいるんだよ?!」




 わたしの目の前で何やら酷く怒っているその人は、アッシュと似た顔立ちの人だった。


 でもアッシュよりは若い。


 そしてアッシュよりもタレ目だ。




「もしかして、アッシュの弟さん?」




 アッシュがこっくり頷いた。




「は? アッシュ? ってか、何で人間がここにいるんだよ? っつーかお前ほんとに人間か? 何で飢餓衝動が起きないんだ??」




 アッシュの弟さんだという人に質問責めにされる。


 ……アッシュと違って騒がしいなあ。


 思わず、ふあ、と欠伸が漏れた。




「おい、聞いてんのか?!」




 ガシッと腕を掴まれた。




「痛っ……」




 力加減も何もあったものではない掴み方だ。


 アッシュが近付いて来て、弟さんの手を叩いた。


 驚いた顔をする弟さんを他所にアッシュはわたしの腕に手を伸ばして、どうすればいいのか分からなかったのか、結局触らずに手が宙で止まってしまう。


 その手に、自分の手を重ねる。




「大丈夫だよ、ありがとうアッシュ」




 アッシュがこっくりと頷いた。


 弟さんがわたしとアッシュを交互に見る。




「どういうことだ?」




 そこでまた、ピーンポーンと音がした。


 ややあってガチャリと玄関の扉が開く。




「デイヴィット、ラッセルが来たそうですが……」




 言いかけて、ベイジルさんは廊下にいるわたし達を見て、安堵したような顔をする。




「ああ、良かった、まだ喧嘩にはなっていませんね」




 ベイジルさんも入ってくる。


 弟さんがベイジルさんを睨んだ。




「おい、説明しろよ」




 ベイジルさんが苦笑しながら頷いた。




「ええ、そのために来ました」




 廊下で話すことではないからと全員でリビングへ向かう。


 そして、アッシュの弟さんが勝手知ったるといった様子でキッチンに入っていった。


 少し間を置いて、コーヒーの良い香りが漂ってきた。


 それからまたしばらくすると、大きめのお盆にマグカップを四つ乗せて、弟さんが戻ってきた。


 アッシュとベイジルさん、そしてわたしにもコーヒーをくれた。




「……ほらよ」




 つっけんどんな態度だけれど、マグカップを受け取ると、コーヒーフレッシュとガムシロップも渡された。


 ……思ったよりも良い人らしい。


 横を見れば、カフェオレみたいな色のコーヒーをアッシュが飲んでいる。


 わたしもコーヒーフレッシュを入れて少しだけ飲む。




「美味しい」




 弟さんがフンっと顔を背ける。


 その横で何故かベイジルさんが小さく笑っていた。




「さて、それではまずは紹介を。こちらはラッセル=ウォルトン、そこにいるデイヴィットの弟で、新人類上層部の幹部の一人です」




 弟さん、ラッセルさんが顔をこちらへ戻す。




「そしてこちらはリノ=コサカさん、アッシュが拾ってきた人間で、我々新人類が飢餓衝動や敵意を感じない謎に満ちた方で、現在アッシュと同棲しています」




 その紹介の仕方もどうなのだろうか。


 ラッセルさんが「それだよ、それ!」とわたしを指差した。




「何で人間なのに新人類オレたちが反応しないんだ? 人間臭くねーし……。そもそも人間か?」


「失礼な。れっきとした人間です」




 こちらを指し示してくる指を払う。


 人を指差すのは失礼だろう。


 ベイジルさんが苦笑する。




「そこに関しましては研究にご協力いただけることになりましたが、現状、リノさんはこれまでの人間達と異なる部分はないそうです」




 その言葉に、そうなんだ、と思う。


 そうなるとわたしの存在の不可思議さは増す。


 でも、わたしが「別世界から来た人間だからですね〜」なんて言ったところで誰も信じないだろう。


 こちらの世界の人間と差異がないなら尚更だ。




「ふーん? なんか、人間なのに飢餓衝動も何もないって気持ち悪いな……」




 ラッセルさんがわたしから距離を置くように身を引いた。


 ……気持ち悪いって……。


 もう少し言い方というものがあるだろう。


 しかしその気持ちは分からなくもない。


 わたしも最初、アッシュを見て、ちょっとだけ顔色の悪さに不気味さを感じたから。


 明らかに血色が悪いのに平然と動いている。


 その違和感がバリバリあったから。




「ところでラッセルさんはアッシュの弟さんだそうですけど、おいくつなんですか?」


「十七だ。というか、なんで兄貴のことアッシュなんて呼んでんだ?」




 ……なんだ、同じ歳か。




「最初に会った時に名前を聞いたけど教えてくれなかったので、綺麗なアッシュグレーの髪からアッシュって呼んでるんです。本人も気に入ったみたいで、デイヴィットって呼ぶより、この呼び方にして欲しがっていたので」




「ね?」と横にいるアッシュに訊けば、こっくりと頷き返される。


 ラッセルさんがわたしとアッシュを交互に見た。




「っつーか、当たり前みたいに手繋いでるけどよぉ、まさか、お前、兄貴ともうそういう関係になってるんじゃねーだろうな?!」




 ……そういう関係?


 アッシュを見れば、こてんと首を傾げられた。


 ……うん。




「ないない」




 思わず空いている手を振って否定した。


 すると、クワッとラッセルさんが顔を怒りの表情にしてわたしを睨んだ。




「おい、お前! 兄貴じゃ気に入らねーってか?!」


「めんどくさ……」


「んだとコラァ!!」




 ……うーん、騒がしい。




「下町のヤンキーみたい」


「誰がヤンキーだ!!」




 なんか、一昔前にこういうのいそう。


 わたしより背が高いし大きいんだけど、何というか、大型犬にキャンキャン吠えられている気分。


 わたしの言葉にベイジルさんがプッと吹き出した。




「まあ、当たらずとも遠からずといったところではありますね。彼は街の荒くれ者達を束ねているトップですから」




 その言葉に驚いた。




「え? 本当にそうなんですか?」


「ええ、こう見えても彼はアッシュの次に強いですよ」


「こう見えては余計だっつーの!」




 ラッセルさんが苛立ったように腕を組んで顔を背けた。


 が、すぐにこっちへ顔を戻す。




「ったく、そういうお前は何歳だよ?」


「ラッセルさんと同じ十七歳ですけど」





 三つの声が「え?」と重なった。


 ……え?


 横からも聞こえて思わず見上げた。


 アイスブルーの瞳が驚いた様子でこちらを見ていて、明らかに戸惑ったように手が離れた。


 アッシュも昨日病院で聞いたはずなのだけれど。


 もしかして聞いていなかったのだろうか。


 顔を戻せばベイジルさんとラッセルさんが固まっている。




「え、何この反応?」




 ベイジルさんが眼鏡を押し上げた。




「……十七歳?」


「ええ、十七歳です。あ、ちなみにアッシュは何歳なんですか?」


「……彼は十九歳です」


「そうなんですね」




 二十歳くらいいってるかなと思ったけど、まだ未成年らしい。


 外国人は見た目で年齢の判断が出来ない。


 立ち上がったラッセルさんにガシッと肩を掴まれた。




「お、お前っ、ほんっとーに兄貴とそういう関係じゃないのか?!」




 鬼気迫る様子に目が点になる。





「え、うん、そうだけど……?」


「同棲してんだろ?!!」


「してるね……?」




 ラッセルさんが顔を近付けてくる。




「そうか! 部屋は別々とか、普段は干渉しないとか、そういうことか?!」




 何やらよく分からないことを言う。




「えっと、いつも同じベッドで寝てるし、ほぼいつも一緒に過ごしてるけど……?」


「嘘だろ……!?」




 何が嘘なのか本当に分からないのだが。


 ラッセルさんがアッシュを見た。




「兄貴、こんなガキみたいなのが好みだったのか?!」


「誰がガキだ!」




 思わず手が出てしまった。


 ラッセルさんの胸の辺りを拳でドムっと殴れば「ぅぐっ」と鈍い声がした。


 十七歳の乙女に向かってガキはないだろう。


 アッシュが横で困った風におろおろしている。




「もしかしてアッシュもわたしのこと、子供だって思ってたの?」




 ギクッとアッシュが肩を跳ねさせた。




「アッシュもわたしが子供だと思ってたんだね」




 はあ、と溜め息が漏れる。


 どうりで同じベッドで平然と寝ているわけだ。




「ベイジルさん、わたしって何歳に見えますか?」




 ベイジルさんが、こほん、と咳払いをする。




「十五歳くらいかと思っておりました」


「……つまり、それより更に下に見える、と」


「…………」




 ベイジルさんが無言で曖昧に微笑んだ。


 ……沈黙は肯定ってね。


 アジア人が実年齢より幼く見えるって言うけど、さすがに五歳も下には見られていないと思いたい。


 だが仕方ないと思う気持ちもある。


 ……わたし、胸とか全然ないからなあ。




「やっぱりこの絶壁か……」




 思わず自分の胸元を見下ろした。


 悲しいほどに胸の膨らみが小さい。


 ……正直Aもないんだよね……。


 実のところ、用意してもらった最初の下着はスポーツブラだったのだけれど、大きかったのだ。


 研究所で身体測定した後に改めて下着とか服とか送られてきて、今はジャストフィットだが、かなりショックだった。


 わたしの呟きに何か思うところがあったのか、そーっとラッセルさんの手が肩から離れていく。




「あー、えっと、まあ、なんだ、そういうのが好きな奴も多分いるって。な?」


「あなたはもう黙りなさい」




 全く慰めにもならない言葉をラッセルさんが言い、ベイジルさんがその後頭部を叩いた。


 もう一度、こほん、とベイジルさんが咳払いをする。




「失礼しました。アッシュと共にこのまま暮らして大丈夫ですか? その、色々と……」




 恐る恐るといった風に訊かれる。




「? 大丈夫です」




 チラ、とベイジルさんがアッシュを見た。


 釣られてわたしもアッシュを見上げた。


 アッシュは考えるように視線を落とし、そして、わたしをジッと見た後、ベイジルさんにこっくりと頷いた。


 ……? ……あっ。


 そうだ、アッシュもわたしを子供だと思っていたのだとしたら、今、わたしの年齢を聞いてどうするか困るだろう。


 年頃の男女が一つ屋根の下で暮らす。


 それはどこの世界でも問題なのかもしれない。


 ……でもなあ。


 今までのアッシュの行動とか仕草とか、そういうのを見ていて、アッシュって大型犬っぽいのだ。


 十九歳と聞いたけれど、行動はそれより幼く感じるし、あまり十九歳の青少年という感じがしない。


 わたしよりアッシュの方が歳下に感じる。




「そうですか、まあ、お二人がそれでよろしいのであれば私は構いませんが……」




 ラッセルさんが慌てて振り向いた。




「いいのかよ?! こんな得体も知れない女、兄貴の側に置いておくなんて危ないだろ!! 何かあったらどうすんだ?!!」




 得体が知れないとは言い得て妙である。




「ですが彼女は人間です。新人類われわれより非力で、体も脆く、デイヴィットを傷付けるほどの力はありません。もし他の人間と結託していたならば、その時は殺せば良い話です」




 ……本人の目の前で言いますか、それ。




「あー、それでいいですよ。わたし、他の人間と関わりなんてありませんけど。あ、でも殺す時は一思いにお願いします。苦しいのも痛いのも苦手なので」




 小さく挙手しつつ頷けば、全員が驚いた顔をする。


 言い出しっぺのベイジルさんまで驚くのは何故だ。



 

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― 新着の感想 ―
[良い点] ラッセルがいるとその場の雰囲気が明るくなっていいですね。 ベイジルの紹介の仕方もくすっと笑えます。 [気になる点] コーヒーフレッシュに違和感があって調べましたが、呼び名に地域差があるかも…
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