強襲(2)
……そうなんだ。
「えっと、じゃあ、お願いします」
背を向けて膝をついてくれたベイジルさん。
その背中にそっと乗れば、ぐっと持ち上げられる。
……アッシュより細いなあ。
つい比べてしまい、首を振る。
「君、デイヴィットとラッセルに連絡を──……」
わたしを最初に見つけた人が声を上げた。
「ラッセル様より通信、第三級が出現! この施設に捕縛されていたものを人間が解き放ったそうです!!」
ベイジルさんが「なんてことを……」言うのが聞こえてきた。
「今すぐに全員院内から離脱するよう伝えなさい!」
「はっ!」
慌ててわたしを見つけた人が通信している。
「第三級ってなんですか?」
急ぎ足で歩き出したベイジルさんに問う。
「我々新人類にある階級です。説明は割愛させていただきますが、第三級は自我がないのに力だけはある者、つまり同族の中でも暴走している者達が第三級と呼ばれています。第三級は常に飢餓衝動に駆られて人間も同族も襲う天災のようなものです」
「なるほど……」
それは大変面倒で困った存在だろう。
そんなものが解き放ったとなれば大騒ぎである。
ベイジルさんの背中で揺られながら、何度か階段を上がるうちに、いくつか壁が崩れたり床が抉れたりしている場所があった。
それでもベイジルさんは構わずに進んでいく。
そして扉のない出口から外へ出た。
同時に、ドゴォッと派手な音が耳を襲う。
数日ぶりの日の光が眩しい。
目元に手を翳して見れば、そこにずっと会いたかった人がいた。
「アッシュ……」
呟くと一瞬、アッシュがこちらを振り向く。
しかしすぐにその場を飛び退いた。
半拍遅れてアッシュのいた場所に見たこともない、大柄の男性が拳を叩きつけた。
たったそれだけなのに地面が抉れた。
「うわ、」
病院の出入り口から離れ、ベイジルさんの背中から下ろしてもらいつつ、思わず声が漏れてしまった。
「あの通り、第三級は自我がないので手加減などもしません。とにかく戦闘狂でして。しかも本能的に強い者に惹かれるため、あのように強者に向かってきます」
「なんて傍迷惑な……」
まさに災害級の存在である。
周りの他の新人類が手足を銃で撃っても暴れることをやめる気配がない。
それどころかその大柄の男性は笑っている。
「……笑ってますね」
「……笑ってますねえ」
「本当にアレ、自我、ないんですか?」
「そのはずなのですが」
どう見ても戦うことを楽しんでいる風に見える。
アッシュは無表情で相手をしている。
相手が拳を振れば避け、蹴りを繰り出せば同様に足で受け止め、力で押し切ろうとすれば互いに手を掴んで睨み合う。
アッシュは大柄な男性の攻撃を避けるか捌くかするものの、自ら攻撃する気配はない。
「アッシュには戦う気がないようですね」
ベイジルさんが頷いた。
「我々にとって同族殺しは重罪です。……まあ、幹部にもなるとそうは言ってもいられませんが」
ベイジルさんが苦い顔でそう言う。
……つまり同族を殺したことがあるということか。
それに対して思うところはない。
人間に過ぎないわたしが新人類のことに口を出すのはお門違いだ。
「基本的に同族は出来る限り殺さないようにしています。ですが第三級は場合によっては例外です」
「アレは例外にならないんですか?」
アッシュと戦っている男性を指差す。
ベイジルさんが困ったように眉を下げた。
「一応、我々幹部にはそれぞれある程度の裁量権が与えられております。その中には第三級のみに限りますが、処分の決定も含まれております」
ということは、アッシュにもあの男性を殺すかどうするか決める権利があるのだろう。
……でもアッシュは自分からはそういうことは選ばないんじゃないかなあ。
少しの間だけれど一緒にいて、なんとなく、アッシュの性格については分かるようになった。
ああやって戦っているけれど、相手の男性に怪我をさせていないことからしてもアッシュの性格が窺える。
あのままだとどちらかの体力の限界が来るまで続きそうだ。
そんなことを思いながら眺めていると声がした。
「おお、懐かしい! 被験体番号001!」
ピタ、とアッシュの動きが止まった。
相手の男性がアッシュに拳を振るう。
……当たる!
「アッシュ!」
ビクリとアッシュの肩が震え、アッシュの手が男性の拳を受け止め、体が数十センチほど後ろへ下がった。
しかしアッシュが掴んだ拳を引っ張った。
かなり強い力で引いたのか、男性がバランスを崩して前のめりになる。
アッシュが転ぶ男性の頭を掴み、前方へ倒れる勢いのまま、目一杯その頭を地面へぶつけた。
鈍い音と共に男性の頭が地面に埋まる。
男性が動かなくなった。
「……死んでませんよね?」
ベイジルさんが頷いた。
「ええ、恐らく脳震盪か何かで気絶したのでしょう。死んではいないですよ」
「あれで死んでない新人類、凄いですね」
「まあ、今のは第二級や第四級であれば死んでいたかもしれませんが」
……あ、やっぱり?
アッシュも地面に叩きつけてから、ハッとした様子だった。
咄嗟で力加減が出来なかったのかもしれない。
顔を上げたアッシュと目が合う。
その目は赤く染まっていた。
「アッシュ!」
駆け出したわたしに、アッシュも駆け寄ってくる。
たった数メートルの距離がもどかしい。
あと少しというところでアッシュが立ち止まる。
その視線が自分の手や服に向かっていた。
アッシュは血塗れだった。
それが人間の血であると考えなくても分かった。
……それでもいい。
わたしは駆け寄った勢いのまま抱き着き、アッシュが受け止めてくれる。
「会いたかった……!」
ギュッと抱き着く腕に力を込める。
血がついたって構わない。
ひんやりと冷たい体温が心地好くて、血生臭いけれど、嗅ぎ慣れたアッシュの匂いがする。
最初は戸惑っていたようだったが、アッシュの腕が控えめにわたしを抱き寄せる。
わたしの存在を確かめるように僅かに力が強くなる。
「……リノ」
わたしの名前を呼ぶ声に嬉しくなる。
……ああ、無理だ。
もう、自分に噓を吐くことなんて出来ない。
わたしの名前を呼ぶ声があんまりにも嬉しそうで、とても安堵したようなもので、どれだけ心配してくれたか想像がついた。
顔を上げれば瞬いたアッシュの目から涙が一つ落ちた。
……かわいい人だ。
その頬に両手を伸ばす。
引き寄せれば、アッシュは素直に屈んでくれた。
顔にも返り血が散っていて、お世辞にも綺麗じゃないが、わたしは唇にキスをした。
「アッシュ、好き」
裏切られたくないと思う。
でも、それ以上に側にいたいと思う。
完全にわたしの負けだ。
アッシュが驚いて目を見開いている。
「わたし、あなたが好き」
アッシュの口が何度か開いて閉じてを繰り返した。
「俺、も……」
アッシュが笑う。
「俺も、リノが、好きだ」
子供みたいに無邪気な笑顔だった。
アッシュの顔が近付いて来る。
……ああ、困ったな。
血塗れなのに、そんなのちっとも気にならない。
アッシュの顔が近付き、あともう少しで唇が触れるというところで「ごほん……!」とわざとらしいほどの咳払いが聞こえてきた。
そこでわたしは我へ返る。
「あ」
物凄く視線を感じる。
周りにはベイジルさんだけでなく、いつの間にか来ていたラッセルも含めたがっちり武装した新人類の人達がいた。
アッシュが不満そうに眉を寄せる。
咳払いをしたのはベイジルさんだった、
「いい雰囲気のところ申し訳ありませんが、グレッグ=ビードンと数名の研究員、この人間のグループのリーダーと思われる人間を捕縛しました」
アッシュがわたしを抱き締めた状態で顔を向けた。
その鋭い視線の先にはラッセルと、他の新人類達に捕まえられた白衣姿の人間が複数いる。
「なんてことだ! ゾンビと人間が愛し合うなんて奇跡だ!」
そのうちの一人が声を上げた。
見たことのある男性だった。
「……誘拐犯」
思わず呟くとアッシュが頭上で低く唸る。
それは明らかに威嚇する音だった。
「それについては何度も謝ってるじゃないか」
「いえ、あなたからは一度も謝罪されたことはありませんけど」
「あれ? そうだっけ?」
……なんだろう。
誘拐犯というだけでも好感度は低いなのに、今ので一気にマイナスの底の底まで行き着いた。
「研究員達は利用価値があると思いましたので、殺さずに捕縛しましたが、研究所に送っておきましょうか?」
ベイジルさんの言葉にアッシュが頷く。
「……新人類には、するな」
「了解しました」
ベイジルさんが頷き返す。
そしてその言葉を聞いた新人類の人達が、白衣の人達を引っ立てて行く。
「ああ、待ってくれよ! もう少し観察したいんだ! ゾンビ研究の上で大事な発見があるかもしれないのに……」
やっぱりあの不愉快な人が騒いでいたが、それでも無理やり引きずるように連れて行かれていた。
ラッセルが近付いて来る。
「あー、なんだ、無事で良かったぜ」
そしてラッセルがわたしとアッシュを見た。
「な、オレの言う通りだっただろ?」
「何が?」
「お前が兄貴を好きって話だ」
それに、ああ、と納得する。
「そうだね、ラッセルの言う通りだった」
わたしが頷くと、横でアッシュも何やら神妙な顔で頷いていた。
そしてラッセルが頭を下げた。
「それから、悪かった! オレの部下があんなことして。アイツらには相応の報いを受けさせるつもりだ」
「そっか」
あの二人にも怒っていたので、きちんと罰してもらえるならそれでいい。
ラッセルが驚いた様子で顔を上げる。
「その、怒ってないのか……?」
首を振った。
「そりゃあ怒ってるよ。でも、悪いのはあの二人とさっきの誘拐犯でしょ? ラッセルは何も悪くない。ちゃんとあの二人に罰が与えられるなら、それで十分」
ラッセルが拍子抜けした顔でわたしを見た。
そうして、ラッセルが笑う。
「ほんと変わってるよな、お前」
その笑った顔はアッシュに似ていた。
やっぱり兄弟だな、と思う。
思わず笑い返せば、離れていたアッシュの腕が伸びてきて、またわたしを抱き締めた。
見上げれば、アイスブルーが見下ろして来る。
その目はもう赤くなかった。
「早く帰ろ──……」
言いかけて、驚くよりも先に体が動く。
先ほどまで気絶していたあの大柄な男性が、起き上がっており、音もなくこちらに向かって来るのが見えた。
何か考える暇もなくアッシュを押し退ける。
殆ど無意識だった。
「リノ!」と二つの声が重なる。
近くで男性を見ると想像以上に大きくて、かなり威圧感がある。
そのまま突進してくるのかと思ったら、何故か急に右腕を掴まれ、そして噛まれた。
「っ!!」
誰かに全力で噛まれたら、こんなに痛いのか。
引き千切られるかと思った。
でも、そんなことはなかった。
間近で見た男性の真っ赤に染まった目が、段々と薄くなっていく。
「リノ……!」
「くっそ、離せこの野郎!」
アッシュとラッセルが引き離そうとする。
「待って!」
思わず叫んでしまった。
わたしの腕に噛みついたままの男性をもう一度見る。
その目は、多少充血したような色をしていたけれど、もう、赤くなってはいなかった。
男性も目を丸くして、わたしの腕から恐る恐る口を離した。
「自由に動ける……!」
うおおぉおおぉっと男性が雄叫びを上げた。
アッシュもラッセルも、そして他の新人類達も呆然とその男性を見ている。
わたしも酷く痛み、出血する腕を抑えつつ男性を見た。
男性と目が合うとガシリと両肩を掴まれる。
「あんたは俺の女神だ!!」
男性が両腕を広げた。
わたしに抱き着こうとしてると分かった。
……あ、これ死ぬ。
この大柄の男性に全力で抱き締められたら終わる。
ギュッと目を閉じる。
けれども、思っていた衝撃は来なかった。
代わりにバキッと鈍い音がした。
顔を上げればアッシュの拳が男性の顔にめり込んでいた。とんでもなく痛そうだ。
「触るな……!」
アッシュが唸る。
ラッセルに腕を取られた。
「おい、救急セット持ってこい! ……リノ、大丈夫か? 気持ち悪いとか、体が痒いとか、違和感はないか?!」
ハンカチの上から手で抑えられて痛いのだが、それよりもラッセルが慌てた顔で訊いてくる。
それに頷き返した。
「うん、噛まれた傷は痛いけど、あとは何ともないよ。でもね、もし新人類になってもいいの。そうしたらアッシュ達と一緒にいても誰にも文句言われないでしょ?」
「そうかもしれねえけど、なんであんな危ないことするんだよ! お前人間なんだぞ?! もしかしたら死んでたかもしれねーだろうが!!」
怒鳴るラッセルの横でオロオロしながらアッシュがわたしを見下ろしている。
「ごめん、アッシュの方が強いって分かってるんだけど、考えるより先に体が動いてた」
「馬鹿野郎!!」
新人類の他の人が持ってきた救急セットでラッセルが手当てしてくれる。
わたしの腕に大きな噛み跡がばっちりついていた。
……これは跡が残るかもなあ。
しかも結構出血している。
それを目で見て自覚すると急に目眩がし始めた。
「おい、リノ? リノ!」
「リノ……!」
ラッセルとアッシュの声がする。
その後ろで「いってぇえええっ!!」とやたらに騒がしい声がさっきから響いている。
「ごめん、ちょっと、寝る……」
なんとかそれだけ言い残す。
それを最後にふっつりとわたしの意識は途切れた。
恐怖は欠片も感じなかった。
本当に新人類になってもいい。
それくらい、アッシュが好きだから。




