人間とゾンビと
* * * * *
少女を攫ってきて三日経った。
黒髪のあまりこの辺りでは見かけない顔立ちの少女は、この間、食事を一切口にしていない。
飲み物は飲むようだけれど、どうやらそれも缶やボトルなどの未開封のものだけらしい。
カップに出したものは絶対に口をつけないそうだ。
「食事してくれないと、採血も出来ないんだけどな」
グレッグがそうぼやいていたが、少女はきっと、採血などさせてはくれないだろう。
食事を摂らないのも、こちらの出した食べ物を警戒しているからか。
最初の二日はイライアスの指示で食事を抜かせていたが、さすがに三日目になると、グレッグが少女の健康に支障が出るからと言って、食事を出すことになった。
それでも少女は一口も食べることはない。
いくら飲み物の中にジュースがあると言っても腹は空くだろうし、このまま食事を摂らなければ本当に健康を害してしまう。
それに、この三日でゾンビ達の動きが変わった。
これまでは街の中心部に近付いたり、他のゾンビ達を襲わなければそこまで攻撃的ではなかったが、ここ三日のうちにいくつかの人間のグループが連絡を絶った。
その中には助けを求める声もあった。
だが、既に襲われているグループを助けに行くことは出来なかった。
もしもの時、この場所までゾンビに知られてしまえば、ここにいる人間もまた殺されてしまう。
……やはり、少女を探しているのだろうか。
中心部からあまり出て来ない、意思のあるゾンビ達が人間のグループを積極的に襲っている。
そうするほど少女には価値があるのか、それとも自分の手元から奪われたことにデイヴィット=ウォルトンが怒っているのか。
どちらにしてもこのままでは長くは持たない。
ゾンビ達が活発になってしまったせいで物資の補給も難しくなり、今まで以上に慎重に行動せざるを得なくなった。
どう考えてもこちらの行動が裏目に出ている。
少女を攫ったことで必要以上に刺激してしまった。
グレッグが勝手にしたこととは言っても、それによって他の人間のグループが壊滅させられてしまったことが、イライアスの心を抉る。
もう後戻りは出来ないのだと理解させられた。
ゾンビ達の行動の変化には、さすがのグレッグもまずいと思ったのか気まずそうな様子であった。
イライアスはグレッグと共に最下層へ向かった。
最下層には少女だけでなく、実験体のゾンビが何体か隔離され、それぞれの部屋はカメラによって監視されている。
今向かっているのは少女と共に捕らえたゾンビだ。
他に捕縛している者と違い、このゾンビは人間が近くいてもそれなりに意思疎通が出来るという。
それでも動けないようにある程度は拘束具をつけているようだが、会話は出来るらしい。
このゾンビから情報を引き出せれば。
多少手荒な方法を使ってでも、ゾンビ達について聞き出さなければ。
目的地に到着し、監視役の研究員に声をかけて鍵を開けてもらう。
ゾンビを隔離する部屋は特殊な造りになっており、二重の分厚い扉のある小さな通路を挟んだ先にそれがあった。
ゾンビは椅子に座っていたが、壁に取り付けられた頑丈な拘束具によって手足、そして首が留められている。この拘束具は対ゾンビ用のものなのでそう簡単には引き千切ることは出来ない。
スキンヘッドに刺青のある、大柄な男だった。
椅子に座っているが、部屋に入った瞬間、ジロリと睨まれた。
その目は白い部分が薄っすら赤く染まっている。
人間を見た時のゾンビの反応だ。
だがこちらに向けて走って来ないところを見るに、意思のあるゾンビなのだと改めてイライアスは男を見た。
イライアスは意思のあるゾンビを見たのは初めてだった。
「私はイライアス=コーニッシュだ。君は?」
答えるとは思っていなかったが、やはり無言だ。
少しやつれて見えるのは気のせいではない。
過去の研究によって、ゾンビ達は一日の消費カロリーが普通の人間よりもずっと多いことが判明している。
それはつまり、食事など何らかの形で消費した分を補わなければならないということだ。
この三日間、このゾンビは食事を与えられていない。
恐らくかなり弱っているだろう。
「僕はグレッグ=ビードン、君達ゾンビの研究者だよ」
グレッグの名前を聞いた男が目を見開く。
「ビードン? ゾンビ研究の第一人者の?」
水も与えられていないからか掠れた声だった。
グレッグが嬉しそうに笑った。
「そうだよ。いやあ、凄いね。一度連絡は取ったけど、やっぱりこうして直に話して、しっかり会話が出来るゾンビは珍しい。被験体番号001も002も、ゾンビはどれも暴れてばかりだったし。彼らも君同様に意思のあるゾンビらしいけど本当かい?」
男は不愉快そうに眉を顰め、また口を噤んだ。
ゾンビ研究の第一人者ということは、ゾンビ達の頂点に君臨するリーダー・デイヴィット=ウォルトンを最初に研究し始めた人間である。
イライアスはどのような研究が行われていたか知らないが、当時のニュースを思い出す限り、あまり良いものではないのは確かだった。
ゾンビからすれば嫌いな人種であろう。
「あー、やっぱり僕じゃあダメかあ」
ポリポリとグレッグが頭を掻く。
このゾンビを捕縛したのもグレッグが率いるグループだったので、ゾンビからしても、グレッグと言葉を交わしたくはないのかもしれない。
「街の中心部にいるゾンビ達の戦力や戦闘員の構成について話せば食事を与えよう」
イライアスの言葉に男が唸る。
「誰が話すか」
その目は真っ直ぐにイライアスを睨みつけた。
それは死を覚悟した人間とよく似ている。
イライアスだって、もしもゾンビ達に捕まって情報を吐けと言われてもグループの人間を危険に晒すと分かっているので絶対に口を割らないだろう。
自分の命一つで守れるならば安いものだ。
「そうか。ではゾンビについて何か教えてはくれないか? こうして意思あるゾンビと話すのは初めてなんだ」
男が鼻で嗤った。
「何故バリケードの外と中でゾンビの種類が違うんだ? それに行動も全く異なる。外のゾンビ達は常にうろついているが、中のゾンビは統率が取れているようだ」
「……貴様ら人間は何も分かっていない」
男の言葉にイライアスが聞き返す。
「どういうことだ?」
男は一度目を伏せ、そして口を開いた。
「まず、俺達はゾンビではない。新人類だ。貴様ら人間よりも能力が高く、そして同族意識が強い。同族同士の裏切りや死闘はない。同族は家族同然だ。だが格差はある」
「格差?」
「能力だ。強い者が上に立ち、弱い者はそれに下る。そして居住区にいるのは自我のある者達だ。同族でも自我のない者は放置され、やがては自然に淘汰される」
男の言葉にイライアスは眉を寄せた。
「矛盾していないか? 同族は家族なのだろう?」
「していない。新人類は実力主義だ。力のないものは消え、強い者達だけが残る。自我のない者達は淘汰されるのが早いだけだ」
ふむ、とイライアスは考える。
ゾンビ社会は思った以上に厳しいもののようだ。
「人間を襲うのは何故だ? お前達ゾンビは我々を見ると誰彼構わず襲ってくる。だがお前はそうではない」
「飢餓衝動か」
「キガショウドウ?」
初めて聞く言葉にグレッグが割って入る。
「それはどういうものなんだい?」
男はイライアスとグレッグを見た。
目の白い部分が先ほどよりも赤くなっている。
「憎い、殺したい、傷付けたい、仲間にしたい。新人類は人間を見るとそういう衝動に駆られる」
「何故だ?」
「さあな。ただ本能的に人間を憎む。そして同族にすればその憎しみを感じなくて済む。それに新人類になった元人間は大抵、人間に裏切られている」
助けを求めた手を振り払われて銃を向けられる。
逃げようとした時に囮として突き飛ばされる。
家族や友人、仲間であっても、感染した瞬間に敵意や殺意を向けられ、傷付けられる。
それらの裏切られたという感情も一因かもしれない。
イライアスも昔、何度かそういう目に遭ったことがある。
幸い生き延びられたが、そうではない者達も多く、裏切られてゾンビとなってしまった者を何人も見てきた。
そうしてこの手で彼らを殺してきた。
「俺達は本能的に同族殺しが分かる。貴様らは多くの新人類を殺してきた。こうしていても同族の死臭が貴様らからは漂ってくる。……特にそっちの白衣の奴は多い」
なるほど、とイライアスは思う。
グレッグがよくゾンビに襲われやすいのは、その同族の死臭とやらが関係しているのだろう。
彼はゾンビ研究の第一人者であり、研究所にいる間も、現在でも、ゾンビを実験体としてかなり粗雑に扱うので、すぐに死なせてしまう。
もしかするとそれが分かるのかもしれない。
「……あの人間はどうした」
男が初めて問いかけて来た。
「あの人間?」
「……俺が攫った人間だ」
「ああ、彼女のことか。彼女も別の部屋に隔離している。傷付けてはいないが、出した食事を一口も食べていない」
男は何も言わなかったが、どこかバツの悪そうな顔をしている。
ゾンビ達にも罪悪感というものがあるらしい。
「そういえば、彼女がゾンビに襲われないというのは事実らしいな」
男が顔を顰めた。
「……あの人間がそう言ったのか?」
「ああ、まあ、それだけは認めたが、他には何も。残念だが誘拐犯には協力したくないそうだ。ゾンビに関することは一言も話してくれない」
「そうか……」
男が拳を握り締める。
顔を伏せてしまったので表情は分からないが、その声は、どこか後悔している風にも聞こえた。
イライアスは不思議な気持ちだった。
敵であるゾンビなのに、人間とそう変わらないように見えたからだ。
これまでイライアスが相手にしてきたゾンビ達とは明らかに違って、知性があり、自我があり、そして会話が成立する。
「……人間とゾンビが共に生きることは出来ないのだろうか」
思わず、そんな呟きが漏れてしまう。
現状、それがありえないことは分かっている。
分かっていてもそう思わずにはいられなかった。
男が顔を上げ、馬鹿にするように嗤った。
「それは無理だ。こうしてる今でも、俺は貴様らを殺したくて殺したくて仕方がない」
その赤くなった目が全てを物語っていた。
* * * * *
リノが誘拐されて三日が経った。
デイヴィットの怒りと不満、そして不安はその間、どんどんと増していった。
ラッセルが監視カメラの映像を集めたおかげで、リノを攫った人間達が街の東区のどこかに潜伏していることは判明している。
この三日間、新人類は居住区の外に出て、主に東区にいる人間のグループを悉く壊滅させてきた。
リノの存在を否定してきた幹部達だが、皮肉にも、リノが攫われたおかげで、これまで人間の駆逐に消極的だったデイヴィットが重い腰を上げたのだ。
東区と限定されているものの、その変化に過激派の者達は喜んだ。
今回の件はリノを攫った人間側に非があるのと、デイヴィットの発する怒気に、ベイジルもラッセルも必要以上の戦いはするなとは言わなかった。
リノがいない間のデイヴィットは荒れていた。
家に戻っても苛立ちに任せて家具を破壊するし、上層部の会議場所であるビルにいても、明らかに苛立ち、神経を尖らせている。
そして率先して人間グループの殲滅に参加した。
恐らく少しでも早くリノを取り戻したいのだろう。
朝も夜もデイヴィットは出られるだけ、外に出ては、人間達のグループに襲いかかっていった。
「兄貴、少し休めよ」
ラッセルが心配してそう言っても、デイヴィットは目を伏せるだけだった。
たった一人がデイヴィットにとってはかけがえのない存在になっていた。
他の誰でもない、リノという人間の少女がデイヴィットにはどうしようもないほど大事なのだ。
自分でも驚くほどに苛立っている。
飢餓衝動の時とは違う苦しみが胸を襲う。
リノを失うかもしれない恐怖で落ち着いてなどいられない。
暴れることで、ほんの僅かにその恐怖は和らぐが、なくなるわけではない。
だからとにかくデイヴィットは体を動かした。
考える時間があると、悪いことばかり考えてしまう。
「兄貴、見つけた! リノのいる場所、多分、分かったぜ!」
連日膨大な量の監視カメラの映像と睨み合っていたラッセルがデイヴィットのいる部屋に飛び込んできた。
「どこだ!」
「K320の10から30番地のどこかだ! そこで足取りが途絶えた! コイツがリノを攫ったんだ!!」
差し出された端末を覗き込む。
そして、そこにある停止した映像にデイヴィットは低く唸った。
そこにはオリーブグリーンの髪を適当に一つに束ね、眼鏡をかけた、白衣姿の男が映っていた。
「グレッグ=ビードン……!」
その男こそ、デイヴィットとその家族を捕縛させ、実験体にし、両親を解剖した憎い相手だった。
デイヴィットが怒りに任せて端末を床に叩きつける。
自分や家族に酷い実験を行い、苦しませ、そして両親を解剖して殺した男が、今度はリノを攫ったのだ。
「潜伏場所を探し出せ……!!」
……絶対に許さない。
二年前、新人類達が研究所を襲った時にグレッグ=ビードンは取り逃がしてしまった。
それからずっと捜索していたが、これまで発見に至らなかった。
だが、まさかこんなに近くにいるとは。
デイヴィットが手を握り締めると血が滲んだ。
ラッセルも苦い顔をしている。
弟もまたグレッグ=ビードンを憎んでいるが、ラッセルの場合はもう会いたくない気持ちの方が強いようだった。
しかしラッセルが顔を上げた。
「兄貴、オレも行く」
デイヴィットは驚いた。
「兄貴はリノが大事なんだろ? なら、オレにとってもリノは大事だ。だからオレも助けに行くぜ」
デイヴィットとラッセルは互いを見た。
そして同時に一つ頷いた。
研究所で虐げられた自分達が牙を剥く番だ。
もうあの男の好き勝手にはさせない。
デイヴィットの大事なものはもう奪わせない。
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