留守番(2)
起きて食事をしているとベイジルさんがやってきた。
わたしが遅めのお昼を食べているのを見て、何故か驚いた顔をされた。
「そういえば人間は多少食事を抜いても大丈夫なのでしたね」
苦笑しながら向かい側の席にベイジルさんが座った。
「新人類は違うんですか?」
「ええ、新人類は『消費』が激しいのできちんと食事を摂らなければ『活動』出来なくなります。我々新人類はそれぞれの『燃費』に合わせて食料が配給されております。それ故に他者に食べ物を分け与えるといった行為はまずありません」
「そうなんですね。……あ」
ベイジルさんの説明を聞き、ふと最初にアッシュと出会った時のことを思い出した。
もしかしてアッシュがわたしに懐いたのって、本当に餌付け効果だった?
……なるほど、そういうことかあ。
わたしとしては神様の言葉の通りにしただけだけど、アッシュにとっては全く違う風に感じたのかもしれない。
あの時、空腹で動けなくなっていたアッシュにわたしは食べ物を与えた。
それはアッシュからしたら凄く驚くべきことで、そしてわたしが思っていたよりもずっと大きなことだった可能性がある。
ベイジルさんを見れば頷き返された。
「ですから、リノさんがデイヴィットに食べ物を与えたことは私にとっても衝撃的なことでした」
「そんなにですか?」
ベイジルさんがもう一度頷いた。
「少なくとも、よほどのことがない限りはしないでしょう。例えば私がデイヴィットに自分の分の食べ物から分け与えたとすると、デイヴィットは動けるようになりますが、代わりに私の活動が制限されてしまいます。ですので基本的には自分に配給された分の食事を分けることはありませんね」
……新人類も想像以上に大変なんだなあ。
人間は一食二食抜いても平気だけれど、多分、新人類はそうではないのだろう。
度々聞く『消費』とか『燃費』とかっていうのも、人間で言うところのカロリー消費とか新陳代謝的な話と考えれば理解出来る。
はぐ、とミートボールを食べる。
新人類は人間よりそこのところがシビアなんだと思う。
……まあ、映像で見たアッシュも凄く活動的だったし、あの勢いで動いていたら、あっという間に食べた分のカロリーはなくなりそう。
そうだとすると人間よりも消費カロリーは多そう。
色々と新人類と人間って違いがあるようだ。
最初に軽く説明してもらったけど、きっと沢山違いがあるのだろう。
現にアッシュの体温はいつも冷たくて、呼吸は酷くゆっくりで、鼓動も動いてるのかってくらい少ない。
……人間と違うんだよね。
どうしてか、それが寂しい。
でも同時に安堵している自分がいる。
わたしは人間が苦手だ。
昔から、人の温かい体温だとか吐息だとか、そういうのがダメで、生理的に受け付けなくて、人との触れ合いが嫌で。
そのせいか分からないが人付き合いも苦手だった。
それに女子同士は色々と暗黙のルールが多くて疲れるし、かと言って男子と仲良くなりたいとも思えなくて、わたしはわりと一人でいることが多かった。
時々、友達と呼べるような子が出来ても、気が付くといなくなっている。
……それでいいって思ってた。
浅く、緩く、嫌われない程度の関係を築く。
でも今は新人類のことがちょっと気になっている。
人間じゃないからというのもあるかもしれないが、それだけではない。
……一緒にいるアッシュが新人類だからかな?
もっと新人類のことを知りたいと思った。
口内のものを飲み込み、口を開く。
「ところで、ベイジルさんはなんの御用ですか?」
「ああ、そうでした、リノさんが留守番をされていらした間に来た方のことでご説明をと思いまして」
「来た人? あの派手な美人さんですか?」
「ええ、そうです」
言われて、思わずムッとしてしまう。
あの派手だけどめちゃくちゃ美人な人のことで話があるらしい。
……あの人、胸も大きかったなあ。
思わず自分の胸元を見下ろして溜め息が漏れる。
わたしもあれくらいあったらモテるのだろうか。
……いや、別にモテたいわけじゃないけど。
それにあの人、延々とチャイムを押し続けてきて正直言ってかなりうるさかった。
普通は一回か二回押して出てこなかったら諦めると思うのだが。
「その節はご迷惑をおかけしました。あの女性はデイヴィットの熱烈なファンなのです」
「ファン……?」
横の席に座ったアッシュを見上げた。
アッシュが小首を傾げて見下ろしてくる。
……このアッシュにファン……?
「ええ、お忘れかもしれませんがデイヴィットは新人類のリーダー、トップに君臨する男です。こう見えてとても強いんですよ、彼は。我々は本能的に相手の強さを感じ取れますから、自然と強い者は性別問わず人気が高いのです」
それに「はあ……?」と曖昧な返事になってしまう。
……強いねえ……?
確かにラッセルのところで見たアッシュはとても強くて、人間を圧倒していて、容赦がなかった。
でも、こうして横にいるアッシュを見て思う。
飢餓衝動で暴れている間のアッシュは苦しそうで、つらそうで、あれで『強い』なんて言われるのは嬉しくないのではないだろうか。
「えっと、それで?」
「それで、今日来た女性はデイヴィットの熱烈なファンで、なんと言いましょうか、熱心な追っかけ……いえ、押しの強い女性でして……」
随分と遠回しと言うか、濁した言い方をされる。
「はっきり言うと?」
「少々ストーカー気質で厄介な女性です。何せデイヴィットは見た目もこうで、表向きはクールな性格で通っているものですから……」
「あ〜……」
もう一度アッシュを見上げる。
いつもぼんやりしているけれど、アッシュは黙っていれば──大体黙っているが──かなり美形である。
やや鋭い顔つきで、冷たい印象を与えるが整った顔は綺麗で、アッシュグレーの髪にアイスブルーの瞳、青白い肌もあって全体的に色素が薄くてどこか透明感があった。
背も高くて、モデルみたいにスラリと手足が長くて、それでいて結構筋肉質でしなやかで。
無口なのと無表情なのとで表面的にはクールと言われても納得がいく。
……中身は人見知りな子供って感じなのにね。
横でわたしが食事を終えるのを黙って待つ姿は、どちらかと言えばワンコ系だけど。
「アッシュはどうなの?」
アッシュが首を傾げる。
「ファンの人のこと、どう思ってるの? 今日来た人とは知り合い?」
アッシュは首を横に振った。
ベイジルさんが「でしょうね」と言う。
「デイヴィットはそういうものに興味がありませんので。と言いますか、今まで彼が弟以外と過ごしているところを初めて見ました。ここまで懐いたのはリノさんだけですよ」
アッシュを見上げれば、ジッと見下ろされる。
……なんだろう。なんか、嬉しい?
思えば今まで、こうして誰かに真っ直ぐに好意を持たれて表現されたことはなかった。
だからなのだろうか。
少しだけ嬉しい。ような気がする。
「そう、なんですね……」
……なんかくすぐったい。
急に気恥ずかしい気持ちになって、ポテトサラダを口に突っ込んだ。
こういう感情には慣れていなくて落ち着かない。
口の中にまだ残っているのに更にポテトサラダを入れてしまい、口いっぱいに詰まってしまった。
……入れすぎた。
「話を戻しますが、今日来た女性はデイヴィットが我々のトップになった頃から時々自宅に押しかけてきてデイヴィットに会おうとしてるのです」
「へえ……」
嬉しかった気持ちが急降下する。
「一応申し上げておきますが、デイヴィットは一度も彼女と会ったことはありませんよ」
その言葉に目を丸くしてしまう。
「そう、なの?」
アッシュを見れば頷き返される。
「デイヴィットは人見知りですし、同族意識は強いものの、あまり他人に興味を持たない質だと思います。……もうご存知かもしれませんが」
言われて、少し考えて頷いた。
……うん、そうかも。
アッシュはわたしに懐いている。
一緒にいたがるし、手を繋ぎたがるし。
だけど言ってしまえばそれだけだ。
わたしのことを訊いてきたりはしない。
この絶妙な距離感が心地好い。
「あと、デイヴィットと合わなさそうだと感じたので私個人の独断で会わせておりません」
どこかドヤ顔のベイジルさんに吹き出してしまう。
「アッシュはあの人に会わなくていいの?」
訊けば、アッシュが大きく頷いた。
どうやらあの美人はアッシュの好みではないようで、ホッとした。
…………ん?
……なんでわたしがホッとするんだ?
思わず首を傾げてしまった。
「リノさん? どうかされましたか?」
ベイジルさんに問われて首を振る。
「いえ、なんでもありません」
とりあえず今は話の続きを聞きたい。
感じた疑問を頭の片隅に追いやる。
「あの女性、先ほども申し上げた通り、あまりに熱心で他のファンの女性と問題を起こしたり、今日のように何度も押しかけて来たり、色々と困った方でして」
「なるほど、同担拒否派でしたか」
「ドウタン……?」
ベイジルさんとアッシュが不思議そうな顔をする。
「あー、えっと、推し……自分が『好き!』って思っていて応援したり推したい人が同じことを同担、えっと『同じ推し担当』の略なんですけど、そういうファンの中には『あの人はこうでなくちゃ!』『あの人は私のもの!』って思って他のファンを嫌う人も少なからずいるんです」
「なるほど。彼女は確かにその手のタイプですね」
ベイジルさんが納得した風に頷いた。
「ちなみにそういう人は他のファンに絡んだり、喧嘩をしたり、推しの人のところに押しかけたり、結構周りを考えずに迷惑行為を繰り返すという偏見がわたしにはあります」
ベイジルさんが微笑んだ。
否定も肯定もしないところに色々と察せられる。
なんとなく思い返してみればベイジルさんの口から、あの女性に関して肯定的な言葉を聞いていない。
それに気付くと訊かずにはいられなかった。
「もしかして、ベイジルさん、あの女の人のことで結構迷惑な思いしてます?」
ベイジルさんの笑みが深まった。
「何度か追い返しているのですが全くこちらの話を聞いてくださらないんですよね」
にこぉ、と笑うそれに圧を感じる。
……ああ、思った以上だった。
きっと今日みたいにあの女性は何度も来て、何度もベイジルさんやビルの人が追い返して、それでも無視してやっぱりやって来るのだろう。
下手したらどこかに行った時に出待ちされたりしていたのかも。
アッシュがこうだから、必然的に補佐のベイジルさんが気を回したところも多そうだ。
「ですので、リノさんも今後はお気を付けください」
思わず頷いてしまった。
好きな人が異性と暮らしている。
しかもいつもくっついている。
……絶対にめちゃくちゃ怒るだろうな。
他のファンとすら問題を起こすような人が、推しの近くに女の子がいて許すとは思えない。
「分かりました」
最後の一口を食べ終えて、手を合わせる。
「ご馳走様でした」
アッシュが頷いて、立ち上がるとわたしの前に置いてある空になった容器を持ってキッチンへ向かう。
戻ってきたアッシュにお礼を言う。
「ありがとう、アッシュ」
アッシュが頷いて手を差し出される。
その手に自分の手を重ねて顔を戻す。
ベイジルさんがまじまじとわたし達を見ていた。
「本当にデイヴィットと仲良くなりましたね」
アッシュと手を繋いで、その手をわたしの膝の上に置く。
「そうですか? 最初からこんな感じでしたよ?」
最初からアッシュとは手を繋いでいたし。
「ええ、まあ、そうなのですけれど。雰囲気が以前よりも少し柔らかくなったと言うか……」
ふっとベイジルさんがアッシュを見た。
そしてまたわたしに顔を戻した。
「……いえ、そうですね、最初からでしたね」
ベイジルさんが苦笑する。
それに思わず首を傾げると、アッシュと動作が被ってしまった。
それにベイジルさんが微笑んだ。
困ったような、嬉しそうな、不思議な笑みだった。
その後、ベイジルさんは「仕事がありますので、そろそろ失礼します」と席を立った。
アッシュが頷く。
一瞬、ベイジルさんと目が合った。
気が付けば立っていた。
「……あ、ちょっとベイジルさん見送ってくるね」
そう言えばアッシュがまた頷いて手を離す。
リビングを出て行ったベイジルさんを追いかけた。
「あの、ベイジルさん……」
声をかけたのに途切れてしまう。
なんて続ければいいのか分からない。
ベイジルさんが振り向くと、身を屈めた。
「……デイヴィットをよろしくお願いします」
ハッと顔を上げたが、ベイジルさんはもうこちらに背を向けて扉を開けていた。
かける言葉が見つからないままそれを見送る。
目の前でガチャンと扉が閉まった。
「……どっちかと言うとわたしの方がよろしくお願いしますって感じなんだけど……」
わたしの呟きは誰にも届かなかった。