留守番(1)
あれからアッシュは時々仕事で出掛けるようになった。
いつも人間のグループを潰しに行っているわけではなく、新人類の今後の方針とか、現在の状況の報告会みたいなものとか、色々と忙しいらしい。
わたしを拾ってきてからしばらく家にいたのは、実はアッシュが出掛けるのを嫌がったからだそうだ。
……わたしのこと気にしてくれたのかな?
今回は家で一人で留守番なのだが、アッシュは迎えに来たラッセルとベイジルさんと一緒に出掛けていった。
ラッセルとベイジルさんに「デイヴィット以外の者が来てもドアを開けないように」と言われた。
清掃員には伝えてあるから来ないそうだ。
そこまで心配しなくてもと思ったが。
「人間であるリノさんを見て、飢餓衝動がなくとも襲ってくる場合もあります。新人類は人間に恨みを持つ者も多いですから」
と、言うことらしい。
それにアッシュは良くも悪くも目立つ存在で、新人類の中にもアッシュを良く思わない人達もいる。
だからわたしもそういった人達には気を付けないといけない。
「現時点でリノさんはアッシュの弱点みたいなものですからね」
その言葉にはちょっと同意しかねる。
アッシュはわたしに好意を持ってくれているけれど、でも、弱点と言えるほどの存在ではないと思う。
「とりあえずのんびり寝て過ごしてます」
わたしがそう答えれば、ラッセルもベイジルさんも「それがいい」という風に頷き、わたしを気にするアッシュを引っ張って行った。
扉が閉まる前に手を振ったらアッシュは振り返してくれた。
……アッシュって仕草がかわいいんだよね。
完全に扉が閉まってオートロックがかかったことを確認してからリビングへ戻る。
……静かだ。
元々アッシュもわたしもお喋りではない。
いつも会話は少ないため静かな生活だ。
だけど、アッシュがいないだけで室内が随分と広いような気がする。
なんとなく寝室へ向かい、ベッドに倒れ込む。
高いベッドなのかスプリングがよく効いていて体が弾んだ。
そのままゴロンと横向きになる。
最近嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いがした。
考えてみるとシャンプーなりボディーソープなり、アッシュと同じものを使っている。
試しに自分の髪に触れて匂いを嗅いでみる。
……同じ匂いだ。
当たり前のことなのにホッとする。
……寝よう。
起きたらアッシュが帰ってきたらいいな。
ここは一人で使うには広過ぎる。
そんなことを感じながら目を閉じた。
* * * * *
ピーンポーンと音が聞こえてくる。
それに意識が浮上する。
ぼんやりと寝室のベッドに寝転がったまま、天井を見るともなしに見上げた。
外から入る日差しが大分移動している。
カーテンが開けられた窓を見れば、太陽は真上より少し傾いていた。
……お腹減った。
寝起きのせいか体が重い。
転がったまま、うとうとと目が閉じる。
また、ピーンポーンと音がした。
……誰……?
重たい体をなんとか起こす。
どうやら開けっ放しにしてしまったせいで、チャイムの音が寝室にまで聞こえてきたようだ。
ふあ、と欠伸をこぼしつつベッドから立ち上がる。
廊下を通ってリビングへ向かう。
リビングの廊下のすぐ傍の壁にはモニターが埋め込まれており、タッチパネルのそれを来客があると、たまにアッシュは操作していた。
またピーンポーンとチャイムが鳴る。
……うるさいなあ。
タッチパネルを操作する。
パッとモニターに映像が映った。
場所は玄関──……ではないらしい。
恐らく一階の玄関だろう場所が映っており、そこに若い女性が立っていた。
綺麗な白みがかった金髪を緩く巻いた、緑の瞳の美人である。
「ねえ、デイヴィットいないの〜?」
カメラに向かって手を振っている。
……誰?
眠気が頭から吹き飛んだ。
なんかよく分からないけど、物凄く美人な女の子がアッシュに会いに来たようだ。
でもラッセルやベイジルさん達には人が来ても開けるなって言われている。
……見なかったことにしよう。
パネルを操作して映像を切る。
それからソファーへ移動してテレビを点ける。
特に意味もなく番組を変えていくと、見覚えのある顔が映り込んできて驚いた。
「アッシュ?」
ライブ映像らしく、右上にその表示がされている。
ラッセルやベイジルさん、見たこともない人達がアッシュを先頭にどこかの建物から出てくるところだった。
……うわあ、凄い……。
まるで大人気の芸能人に対するようにカメラのフラッシュや、同じようにライブ中らしいカメラマンなどがワッと集まっている。
それでも完全に近付かないだけマシだろう。
カメラマン達に囲まれながらもアッシュ達は慣れた様子でその前を通り過ぎ、車に乗った。
「アッシュって本当に新人類のトップなんだ……」
しかもこの感じからして人気が高そうだ。
ピーンポーンとチャイムの音がする。
というか、さっきからずっとしている。
……うるさい。
テレビを切ってソファーに寝転ぶ。
ピーンポーン、ピンポーン、ピーンポーン。
延々とチャイムの音が聞こえてくる。
あんまりにもうるさくて、これでは眠ることも出来ないし、のんびりと過ごす気分にもなれない。
思わずソファーから立ち上がってパネルを操作して、一階の受付に通話を繋げる。
さすがと言うべきかワンコールで受付の人が出てくれた。
「こんにちは、コサカ様。何か御用でしょうか?」
受付の人はわたしを見ても笑顔でそう言った。
……おお。
一瞬驚いた。
ラッセルとベイジルさん以外の人には大体無視されるか嫌われているので、少し意外だった。
「えっと、忙しいところすみません。その、一階の玄関? のところに女の人が来ていて、ずっとチャイムを鳴らされているんですけど、なんとか出来ませんか?」
こんなことを頼んで良いものか。
とりあえずそう伝えると受付の人が「少々お待ちください」と何やら手元を見て、何かを操作し始めた。
それから「ああ」と納得した顔をする。
「ご確認いたしました。ウォルトン様へのお客様にはお帰りいただくようにオズボーン様からお聞きしておりますが、そのようにして構いませんか?」
「はい、お願いします」
「かしこまりました」
丁寧にペコリと頭を下げられて、思わず画面越しにわたしも頭を下げてしまう。
それから受付に繋がっていた画面が消える。
すぐにうるさかったチャイムが止んだ。
どうやら受付の人か誰かが対応してくれたらしい。
それに安堵の溜め息が漏れる。
ずっとチャイムの音が聞こえてくるのって、ちょっと怖い。
パネルから手を離して廊下へ出て、寝室へ戻る。
今度は音が聞こえないようにリビングも寝室の扉もしっかり閉め、ふわとろ毛布を頭から被る。
……美人だったな……。
パネルに表示された女性は派手めな美人で、出るところも出ていて、若かった。
アッシュの知り合いだろうか。
ああいう美人は男性からも好かれそうだ。
……なんかモヤモヤする。
毛布に包まってゴロゴロと寝返りを打つ。
なんでこんなに不機嫌になのか自分でも分からなくて、それが余計にイライラする。
……もういいや、寝よう。
ベッドの上で丸くなって目を閉じる。
こういう時には眠るに限る。
* * * * *
ラッセルとベイジルと一緒に家に帰る。
途中、受付で呼び止められた。
「先ほどウォルトン様にお客様がお越しになられましたが、ご指示通りお帰りいただきました」
……客?
デイヴィットのところに来るのはラッセルかベイジルくらいのもののはずだ。
ベイジルが「映像を見せていただけますか?」と言えば、受付の者は頷き、手元の端末を操作して映像を見せてくれた。
どうやら一階の正面玄関に来たらしい。
ホワイトブロンドに緑の瞳の女性だった。
……誰だ?
思わずデイヴィットは首を傾げた。
だがラッセルとベイジルは眉を寄せた。
「また彼女ですか」
ベイジルが溜め息混じりに呟く。
どういうことかとベイジルを見れば、ズレた眼鏡を直しながらベイジルが言う。
「彼女はよく来るんですよ。あなたに会いに。……覚えはありませんか?」
デイヴィットは首を振った。
ラッセルが横から言う。
「コイツ、うちのクラブによく来てる奴だな。ほら、前に兄貴が遊びに来ただろ? 多分、その時に会ったんじゃねーの?」
思い出そうとしてみるが思い出せない。
デイヴィットはどこへ行っても多くの人々に話しかけられたり、カメラを向けられたりするので、一人一人覚えている方が難しい。
ラッセルやベイジルも似たようなものなので分かったのだろう。
「彼女、あなたの熱心なファンですよ」
……ファン?
デイヴィットはまた首を傾げた。
そんなもの要らないし、一体なんのファンなのか。
ラッセルが「あー……」と理解した様子で頷いた。
「そういうことか。兄貴の住所って隠してねーから、それを調べてここに来てるってことか」
「ええ、恐らく。ここ数ヶ月、頻繁に訪れてはデイヴィットに会わせて欲しいと言われるのですが、そういう方は多いので取り次がなかったんですよ」
「あれは会わせねー方が良さそうだな」
ラッセルとベイジルがうんうんと頷いている。
受付の者が控えめに話しかけてくる。
「どうやら何度もチャイムを鳴らしたようで、コサカ様より『何とかして欲しい』と言われたので、それとなく帰っていただきましたが……」
「リノさんが? ……そうですか」
リノが言うほどだから、かなりしつこくチャイムを押してきたのだろう。
一緒に暮らして分かったことだけれど、リノはあまり何かに興味を持ったりしない。
あと、寝ることを第一にしているようでテレビを点けていてもリノは平気でいつも寝ている。
今日は寝て過ごすと言っていたリノが起きてくるくらい、チャイムがうるさかったのか。
「とりあえず兄貴は部屋に戻っとけよ」
「そうですね、もしかしたらリノさんが不安がっているかもしれませんし、その方がいいでしょう」
ラッセルとベイジルの言葉に頷き、部屋のカードキーを受け取ってエレベーターへ向かう。
そうしてエレベーターに乗って上へ行くと、エレベーターから降りて、部屋の扉にカードキーを翳して鍵を開ける。
中へ入ると静かだった。
リビングへ行ったがリノの姿はない。
……寝室か?
もう昼を過ぎて大分経っているが、食事の匂いもしないので、多分リノは昼食を食べていない。
リノはわりとよく食事の時間に寝過ごすことがある。
だが、この時間で食事をしないのは良くない。
食事をしなければ活動出来ない。
デイヴィットは寝室へ向かった。
寝室の扉を静かに開けて中を確認する。
……いた。
ベッドの上で毛布がこんもりと丸くなっている。
近付いてベッドへ座る。
覗き込んだが毛布に埋もれていてリノの姿は見えない。
ぽん、と毛布に手を置く。
反応がないので少し揺する。
「んー……」
小さく唸る声がした。
毛布がもぞもぞと動いたので、デイヴィットはもう一度毛布の上を軽くぽんと叩いた。
毛布がピタリと止まった。
少しして、むっくりと毛布が起き上がった。
そうして中からリノが出て来る。
「……アッシュ、おかえり……」
眠そうな声が言う。
眠たいのか何度も目を擦っている。
リノの言葉にデイヴィットは頷いた。
リノはぼんやりとして、放っておいたらまたそのまま眠ってしまいそうだった。
デイヴィットはリノの手を出来るだけ弱い力で掴むと、ベッドから引っ張り出した。
寝起きだからかリノは抵抗しなかった。
そもそも、リノがデイヴィットのすることに抵抗したことなど一度もなかったが。
リノの手を引いてリビングに戻り、ダイニングテーブルの椅子へリノを座らせる。
「アッシュ?」
手を離すとリノが不思議そうに首を傾げた。
デイヴィットはリノから離れると冷蔵庫を開けて、思った通り残っている食事を手に取った。
それを温めつつ、リノがよく飲んでいるスムージーの一つをグラスに注いでダイニングテーブルに置く。
チーン、と軽い音がした。
温かくなった食事を持ってダイニングテーブルへ戻り、使い捨てのフォークとナイフと一緒にリノの前へそれを置く。
「……あ、食事しろってこと?」
リノの言葉にデイヴィットは頷いた。
食事はとても重要なことだ。
新人類は食事が欠かせない。
基本的に新人類はその能力の高さのせいか『消費』が激しく、特にデイヴィットなどは『燃費』が悪いので食事で消費分を補わなければすぐに動けなくなってしまう。
長時間食事が出来なければ、リノに出会った時のように倒れ、やがてはゆっくりと死んでいくこととなる。
だから新人類は食べ物を大事にする。
目の前で食事を始めたリノを見る。
初めて出会った時にリノは食べ物を全てくれた。
それは、新人類のデイヴィットからしたら驚くべきことだった。
新人類ではそれぞれの燃費に合わせて食料が配給されるため、誰かから食べ物を分けてもらうことも、誰かに与えることもない。
むしろ自分の分を与えることは、それだけ、自分の活動の妨げとなる。
場合によっては命に関わることもある。
人間のリノは違うのかもしれないが、それでも、デイヴィットにとっては大きな出来事だ。
きちんとリノが食事をしていることに安心する。
リノは朝も食べないし、食事量も多くないので、昼食も抜くのは良くない。
そうしているとチャイムが鳴った。
リノが一瞬、眉を寄せた。
デイヴィットがモニターで確認すると、玄関先にいたのはベイジルだった。
食事をしているリノを残して玄関へ向かった。
扉を開ければベイジルが立っていた。
「リノさんにご説明しておこうと思いまして」
……説明?
「あなたのファンの件ですよ。あなたはそういうことは言わないでしょうけど、伝えておかないと、リノさんを不安にさせてしまいますよ」
リノを不安にさせるのは良くない。
横にずれて室内へベイジルを招き入れる。
ベイジルは慣れた様子で廊下を抜けてリビングへ入り、その後をデイヴィットも追った。
「おや、お食事中でしたか」
もぐもぐとリノが食べながら頷いた。
新人類は食事を何よりも優先するので、この時間に食べていることにベイジルは少し驚いたのだろう。
リノと暮らして、デイヴィットも最初は驚いた。
いくら一日中寝ていても消費は行われている。
それなのにリノは一日一度しか食事をしないことも珍しくないため、いつもデイヴィットはリノが活動出来なくなるのではないかと心配になる。
……それが人間との違いかもしれない。
チク、と胸が痛んだ。
「……?」
その痛みに思わず胸に手を当ててしまう。
それは、今まで感じていた苦しみは痛みとは違う気がした。
視線を戻せば、リノの向かいに座ってベイジルがあれこれと説明を初めていた。