相互確認
* * * * *
人間のグループを壊滅させた後。
ベイジルに報告の連絡を入れて、自宅へ帰る。
……今日は嫌な気分だ……。
潰した人間のグループには小さな子供がいた。
恐らく、デイヴィットが研究所に捕獲された時と同じくらいの年頃だったと思う。
殺したくなかったが殺すしかなかった。
大人の人間を殺し、そして子供も殺した。
生かしておいても子供だけでは生き残れない。
そうでなくとも、生かしておけば、いつかは大人になって新人類の敵となる。
今は戦う力がなかったとしても放ってはおけない。
だから殺すのは当然だった。
当然だが、何も感じないわけではない。
……子供は弱い。
いつも子供は殺す必要がないのではと感じる。
だけどベイジルも他の新人類も「見逃せばいつか敵になって向かってくる」と言うのだ。
確かにそうだと思うところもある。
自宅の地下駐車場にバイクを乗り入れる。
エンジンを切り、エレベーターへ向かう。
△ボタンを押してエレベーターを呼び寄せ、それに乗って上階へ行く。
ホールで一度降りて、受付でカードキーを受け取ってから、もう一度エレベーターに乗って部屋へ戻る。
エレベーターを降り、自宅の部屋のドアにカードキーを当てて鍵を開ける。
ドアを開けるためにドアノブを掴んで、そこでぬるりとした感触にようやく血塗れであることにデイヴィットは気が付いた。
振り向けば床に点々と足跡が残っている。
……怖がられる?
だが、もうドアノブを掴んでしまった。
血の汚れに関しては清掃員が片付けてくれる。
でもこのままではリノが困るかもしれない。
……どうしよう。
とりあえずドアを開けて玄関に入る。
そして、ふと玄関の棚にタオルが置いてあることに気が付いた。
……これ、リノが……?
ふわふわとしたタオルを掴むと血で汚れてしまったが、このままだと部屋全体を汚してしまう。
今まではそんなこと、考えていなかった。
血塗れでも構わず行動していた。
しかし、今はリノがいる。
そこら中を汚すのは良くないかもしれない。
掴んだタオルで髪や手などについた血を拭く。
それから靴を脱いで、靴下も脱いで、汚れていない素足でリビングへ向かう。
リビングの扉を開けて中を覗く。
……いない?
寝室で寝てるのかと思っていると、聞き覚えのある曲が鳴った。浴槽に湯が溜まった時の音だ。
ひょこ、とソファーから黒い頭が起き上がった。
リノはソファーにいたらしく、起き上がるとキョトンとした顔でデイヴィットを見た。
「あ、お帰り」
立ち上がるとデイヴィットの側にやって来る。
「怪我してない?」
デイヴィットは問われて頷いた。
リノがデイヴィットの手を取った。
「やっぱり血だらけだね。お風呂沸かしておいたから、ほら、入っておいでよ」
手を引かれて廊下に出て、洗面所へ連れて行かれる。
……血だらけなのにいつもと同じだ。
驚くデイヴィットを洗面所に置いてリノは出て行ってしまった。
しばしそこで突っ立っていたデイヴィットだった。
* * * * *
アッシュが帰って来た。
思った通り血だらけで、用意しておいたタオルを使っていたけれど、拭い切れていない。
だからとりあえず洗面所へ連れて行った。
手を繋いだ時に、わたしの手に血がついた。
キッチンでそれを洗い流してソファーで待つ。
この部屋は常に換気がされているので血の臭いもそのうち消えるだろう。
ウトウトしていれば、手に何かが触れる感触があった。
……お風呂出たのかな?
重い瞼を何とか持ち上げて目を開ける。
「……綺麗になったね」
お風呂から上がったばかりなのか、アッシュは首にタオルをかけていた。
服もハーフパンツにティーシャツというラフな格好で、足元を見ると素足だった。
「ん、まだ髪濡れてる?」
ソファーの前に座っているアッシュの頭に手を伸ばせば、髪はまだ濡れていた。
首にかけっぱなしになっていたタオルを手に取り、それをアッシュの頭に乗せて、わしゃわしゃと拭く。
アッシュはされるがままだ。
……本当に大型犬みたいだなあ。
素直にわたしに髪を拭かれている。
「お疲れ様」
こくん、とアッシュが頷く。
アイスブルーの瞳がわたしを見た。
ジッとわたしを見つめた後、小首を傾げる。
「なぁに?」
アッシュは何も言わない。
……?
不思議に思いながらもアッシュの髪を拭う。
………………あ。
「もしかして、わたしが家にいたのが不思議だった?」
本来ならわたしはラッセルのところにいるはずなので、帰ったらわたしがいたから疑問に思ったのだろう。
アッシュがそうだという風に頷いた。
「ラッセルのところには行ったよ。でも、アッシュのこと考えたら帰りたくなっちゃった」
わしわしとアッシュの頭を拭く。
アッシュは何も言わずに黙っている。
「ここが一番安心する」
その言葉にアッシュが頷いた。
「……よし、こんなもんかな」
アッシュの髪に触って乾いたか確かめる。
すると、アッシュがわたしの手に頭を軽く擦り寄せてくるので、乱れた髪を直してやる。
まだ少し湿っているけれど、これくらいなら自然に乾くだろう。
ついでによしよしと頭を撫でる。
アッシュは頭の形が良いので撫で心地が好い。
その頭を撫でていると和む気がする。
……そうだ。
「ねえ、アッシュは『好き』って分かる?」
アッシュがわたしを見た。
「ラッセルにね、わたしはアッシュのことが好きなんじゃないかって言われたんだけど、好きっていうのがよく分からないの」
「アッシュは分かる?」と訊けば、アッシュはややあって小首を傾げた。
それがどういう意味なのかは分からない。
アッシュも好きという感情を知らないのか。
わたしがアッシュを好きだということについて、分からないのか。
それともわたしがこんなことを訊くのが疑問なのか。
小首を傾げたまま見上げられる。
「アッシュはわたしのこと、好き?」
アッシュは考えるように一度目を伏せた。
それから、一つこっくりと頷いた。
……まあ、それもそうか。
さすがに何とも思ってないなら、わたしにここまで良くしてはくれないだろう。
「じゃあ、好きってどんな感じ?」
アッシュが戸惑ったような、困ったような顔をする。
また考えるように小首を傾げた後、アッシュの腕が伸びて来て、ふわっと抱き締められた。
「アッシュ?」
膝立ちになったアッシュに抱き着かれている。
アッシュの体はひんやりしていて、鼓動も酷くゆっくりで、呼吸も深く穏やかだ。
……話すのが苦手だから体で示してくれてる?
そっと抱き締め返すと、少しだけ回された腕に力が入った。
アッシュなりに伝えてくれているのだろう。
……でもやっぱりよく分からないや。
「ありがとう、アッシュ」
好きという感情はやっぱりまだ分からないけれど、アッシュがわたしに好意的に感じてくれていることは理解出来た。
体を離してアッシュの顔を見る。
「好きって気持ち、まだよく分からないけど、アッシュがわたしを良く思ってくれてるのは分かったよ」
アッシュが二度大きく頷いた。
尻尾があったらブンブン振ってそうだ。
手を伸ばしてもう一度アッシュの頭を撫でる。
アッシュの手がわたしを指差し、そしてアッシュ自身を指し示した。
そして小首を傾げられる。
「うーん、アッシュのことは嫌いじゃないよ。一緒にいてもイヤじゃないし、安心する」
アッシュが同意するようにこっくりと頷いた。
「アッシュもそうなの?」
もう一度頷かれた。
……ちょっと機嫌がいい?
どことなくアッシュの雰囲気が明るい。
自分よりも大きな男性に思うことではないのかもしれないが、ちょっとかわいい、かもしれない。
「ちょっと早いけど、夕食にしよっか?」
アッシュが頷く。
わたしも頷き返してソファーから立ち上がった。
後ろをアッシュがついて来る。
キッチンに入り、冷蔵庫からお弁当を出して、電子レンジで温めている間、アッシュが飲み物を用意する。
これはなんとなく役割が決まっている。
アッシュがグラス片手に振り向いた。
「スムージーがいい、黄色のやつ」
そう言えばアッシュが頷いて、グラスを置くと、冷蔵庫から紙パックみたいなのを取り出して注いでいる。
いくつか飲み物があるけれど、わたしは大体スムージーだ。
赤と黄色と緑があって、どれも美味しい。
黄色はバナナがメインのやつだ。
赤はトマト、緑は野菜中心。
アッシュは大抵、炭酸水かミルク。
コーヒーや紅茶はあまり飲まないし、スムージーもそんなに口にせず、オレンジジュースやミルク、炭酸水を好む感じからしてお子様舌なのかもしれない。
……そういえばラッセルが来た時もカフェオレみたいな感じのやつだったっけ。
今回は炭酸水らしく、ペットボトルを出している。
チーンと音がして電子レンジが止まった。
「はい、アッシュの分。熱いから気を付けてね」
アッシュが頷き、お弁当の両端を摘んでダイニングテーブルへ運んでいく。
次にわたしの分を温める。
見たところ、今日はほうれん草か何かの野菜とベーコンを使ったクリームパスタとサラダだ。
……ここの食事って見た目も美味しそうだし、実際、味も結構美味しいんだよね。
これまで食べて来たものはどれも美味しかった。
お弁当についてきた使い捨てのフォークを戻ってきたアッシュへ渡せば、それを持って行ってくれる。
わたしも冷蔵庫からサラダを取り出し、ダイニングテーブルへ運ぶ。
チーンとまた音がして、キッチンへ戻り、先ほどのアッシュと同じくわたしもお弁当の端と端を指先で摘んでキッチンから出る。
……あちっ。
ダイニングテーブルのランチョンマットの上に、半ば放るように置く。
席に着き、両手を合わせる。
「いただきます」
アッシュが真似るように両手を合わせて頷く。
フタを開ければふわっとパスタのいい匂いが漂ってきて、使い捨てのフォークで一口、口には運ぶ。
……うん、美味しい。
パスタはほうれん草とベーコンで合っていたようで、たっぷりのクリーミーなソースが平らでやや幅のある麺によく絡んで美味しい。
ブラックペッパーが少しかけてあって、それがまた良い味を引き出している。
フォークの先でくるくると巻いて、熱いそれに息を吹きかけて冷ます。
目の前ではアッシュが湯気の立つそれを気にせず、パクパクと食べている。
「熱くない?」
思わず問うと、アッシュはこくりと頷いた。
……新人類は感覚が鈍くなるのかな?
わたしが冷まして食べているのを、アッシュが物珍しそうに見てくる。
それから真似してパスタに息を吹きかけ、食べて、よく分からないという風に首を傾げた。
「火傷とか、しない?」
アッシュが頷いた。
……いいなあ、と思う。
わたしは猫舌なので熱いものは苦手だ。
「真似しなくてもいいよ」
不思議そうにしながらもわたしの真似をするアッシュに言えば、一つ頷き、またパクパクと食べ始めた。
それをぼんやり見ながら思う。
……好きってやっぱり謎だ。
でもアッシュに好かれているのは分かる。
それがどういう好きにせよ、好意的に思われているのは確かである。
……今度ラッセルに話してみよう。
多分、彼ならば何だかんだ言いながらも話を聞いてくれるだろうという確信があった。
* * * * *
食後、デイヴィットがゴミを片付けている間にリノはソファーで眠ってしまった。
……よく寝るな。
飲みかけの炭酸水の入ったボトルを片手に、アッシュはソファーの空いている部分、リノの頭の方にそっと腰掛けた。
リノは本当によく眠る女の子だ。
起きている時間の方が短いかもしれない。
こんなに寝ているのに、リノの目元にはいつもクマがあり、どう見ても寝不足に見える。
最近は研究所でもらった薬が効いているのか、夜や早朝に起きる回数は減った。
同じベッドで寝ているので、リノが起きるとデイヴィットもなんとなく気配を感じて起きるのだ。
それでもデイヴィットは寝不足にはならない。
眠るリノの顔を見る。
初めて会った時より、少しクマが薄くなったような気がする。
無意識に手を伸ばしてリノの頬に触れた。
……柔らかい。
つい、ふにふにと触ってしまう。
「んん……」
リノが嫌そうに顔を動かしたのでやめる。
でも、触れた感触が思っていたよりも心地好くて、また触りたいと思う。
……ダメだ、多分リノは起きる。
触りたいけれどデイヴィットは我慢した。
……小さいな。
何度見ても、リノの小ささには驚いてしまう。
デイヴィットにも子供の頃はあったが、その頃のことは嫌な記憶しかない。
先ほどリノを抱き締めた時に思ったけれど、リノは本当に小さくて、細くて、薄くて、脆そうだった。
でも、腕の中にぴったり収まる丁度いい大きさだ。
デイヴィットは自分の手を見下ろした。
リノを抱き締めた時、不思議な気持ちがした。
嬉しいような、落ち着かないような、困ったような、でも嫌ではない。
むしろずっとそうしていたい。
……そうだ。
手を繋いでいる時もそんな感じなのだ。
……好き、か。
好きか嫌いかで言えば、デイヴィットはリノが好きだ。
一緒にいると苦しさや痛み、今までの嫌な気持ちを感じないし、優しい声で話しかけてくれる。
アッシュが勝手に手を握っても怒らない。
優しく目を細めて好きにさせてくれる。
だから好きか嫌いかで言えば好きだ。
……リノはどうなんだろう。
嫌いじゃないと言われたものの、それは好きという言葉ではないことくらいは分かる。
……リノも俺を好きだったらいいのに。
どうしてか、そんな風に思ってしまう。
何故だろうと考えてもよく分からない。
……ラッセルにきいてみるか。
弟はデイヴィットよりも色々と知っていることが多いから、多分、この不思議な気持ちについても教えてくれるだろう。
デイヴィットはそれからしばらく、ぼうっとリノの寝顔を見て過ごしたのだった。