19、ギルドマスター
「リ、リンナちゃん⋯⋯こ、これ何⋯?」
しばらくして思考停止という呪いが解けた私は、自分の震える声を無視してリンナちゃんに紙に書いている内容を聞いた。
意味がわからない。紙に書いてある内容をあまりにも理解出来ない。⋯いや、もしこれが本当ならば、リンナちゃんは一体何をしたのか。
嘘であって欲しい。嘘であってくれ。
多分今、私とイアンくんの気持ちは一致してる。イアンくんは思考停止してまだ固まっているけど。
そんな私とイアンくんの気持ちに、気付いているのか気付いていないのかは分からないが、リンナちゃんがニッコー、と、とても輝かしい笑顔を浮かべて私達に向けたのを見て、察した。
これは嘘では無いのだ。じゃあここに書かれていることは全部───。
「──本当。」
「イ、イアンくん⋯⋯っ」
「うん、大丈夫、そう、大丈夫。」
「おはよーイアン。」
「あぁうん、おはよう」
ようやく思考停止から戻ってきたイアンくんは、震えた声でイアンくんを呼ぶ私に頷き、自分を納得させるように言葉を繰り返す。
そしてそんな私達のことを不思議そうに見ながらも、リンナちゃんはイアンくんにキラキラな笑顔のまま声を掛ける。
だって、こんなのは例外中の例外だろう。なんならこれからも起きるかどうかも分からない。
これがゲームなら、都市伝説レベルのあるかどうかすら分からない、というぐらいのレアイベントだ。一体どんなことを起こせばこのイベントが発生するのか。
こんな──『Bランク昇級試験』&『レッドドラゴン討伐』なんて。
「さぁ冒険者ギルドへ、しゅっぱーつ!」
今だけは、こんなことが書かれていても何とも思ってなさそうなリンナちゃんの事が憎らしい。
◇◇◇◇◇
「はい、確認しました。どうぞ。」
門番さんに身分証──ギルドカードを見せ、街の中へと入る。
つい先日までは、街に入ればワクワクとした楽しい気分になれたのに、今はもうそんな気分にはなれず、気分は沈む。
しかも冒険者ギルドが近くなればなるほど、様々な面倒事を色々思い浮かべるということをしてしまい、自分じゃどうにも出来ないほどに気分はどんどんと沈んでいく。
イアンくんも同様に先程から溜め息ばかり吐き、表情は暗い。
恐らく私と同じ状態になっている。なんなら私より酷い状態かもしれない。
だってイアンくんは私達よりも頭が良い。だからきっと私よりももっと様々な状況──むしろ最悪な状況を率先して何度もシュミレーションしている。
きっと私の比じゃない程のシュミレーションを行っているから、疲れやすくなるのは当たり前だろう。
しかもその疲れがある状態で、これから起こる面倒事を味わないといけないという、嫌な連鎖。
(やっぱり、頭が良いのも一概に良い事だとは言えないなぁ⋯。)
この頃リンナちゃんの面倒事がなかったから、油断していた。
リンナちゃんは時折こういう、面倒臭いことを持ってくる。
しかもそれが簡単、難しい、なんて分かりやすいものじゃない。面倒臭い、ただその一言。
簡単でも難しくても、ただただ面倒なこと──というか、複雑な事が起きるのだ。
多分これも、リンナちゃんが〈勇者の乙女〉であることも関係しているんだろうなと思う。
面倒事に巻き込まれやすいというリンナちゃんもある意味被害者だが、喜んで面倒事に突っ込んでいくので、被害者でもあるけど加害者寄りでもあるのだ。
気分を上げて面倒事を解決しようとするのはまだいい。面倒事は気分を上げないとやってられないだろう。
だけど嬉々として面倒事に首を突っ込むのは止めて欲しい。
面倒事を楽しく思えるのは今の所、リンナちゃんだけだから。
今だって、冒険者ギルドに近付いて行くに連れて、どんどんとイアンくんの目が死んでいく。
「あ、もうすぐ着くよー。」
「⋯⋯」
「⋯⋯はい」
とても楽しそうに言うリンナちゃんに、イアンくんが「もうどうにでもなれ」という完全に全てを諦めた顔になった。
私は何とも言えない感情を持ちながらも返事をするが、内心酷く焦る。
イアンくんは、面倒事の数回に一回はこういう思考停止状態になるのだ。
こうなった以上、イアンくんは本当に動かない。
勿論何かを聞いたりすれば、答えてくれるし相談にも乗ってくれる。だが絶対に自ら動こうとしない。流されるがままになるのだ。
多分、ストレスが限界を迎えてしまったからそうなるのだろう。
イアンくんが限界を迎える度に、やっぱりストレスは溜めるのは良くないと思い直す。
(私も、ストレスを溜めないように気をつけないと⋯。)
イアンくんのストレスがある程度、又は完全に無くなるまでは、その状態が続く。
イアンくんはこの状態が一番厄介なのだ。何せどんな無理なことを言われても否定せず、更に面倒臭いことを招いたりするから。
せめて、イアンくんが流されるままに更に大変なことを受け入れないように祈るばかりだ。あとは、私の努力。
「着いたよ、二人共! 楽しみだねぇ。」
「そッ⋯⋯⋯っ」
「⋯⋯⋯。」
そんなこんなで、とうとう冒険者ギルドに着いてしまった。
ニコニコと楽しそうに笑うリンナちゃん。楽しくないと否定したいが、それはリンナちゃんが傷付くと考えてしまいハッキリと否定出来ない私。
そして死んだ目でにこぉ、と綺麗な笑みを浮かべて、何も言わないイアンくん。
あまりにもカオスな状況がここにあった。
まぁ、そのカオスな状況を作っているのは主にリンナちゃんなのだが。
でもイアンくんも私も、そのカオスを形作る要因の一人なのだから、笑えない。
そんな間にもリンナちゃんは冒険者ギルドへと入り、私達もそれに大人しく着いていく。
だが次の瞬間、空気がピリリ、と歪む。
「⋯⋯⋯っ!」
反射的に、思わず表に出さない程度に構えてしまった。私の中にいるアンジュも一瞬反応したが、何故かすぐに眠りにつく。
空気が歪んだのは、冒険者ギルドに入った瞬間に私達を認識した冒険者達が一気に気を引き締めたからだ。
冒険者達の目には、沢山の感情が浮かんでいた。
恐怖、困惑、疑惑、不審、敵意、警戒、蔑み、歓喜。中には殺意のようなものを飛ばしてくる冒険者もいるにはいるのだが、二人は何も気にしていない。
ただ少し、負の感情に敏感なアンジュも反応はするにはするけど、動く気配が無いのが気になる。
リンナちゃんもイアンくんもその空気に、そして殺意に気付いているはずだ。なのになんてことなさそうに歩いている。戦闘力の高さはこういう場面でも使えるのか。
流石だなぁと思いながら、私も少しの警戒心を抱きながら冒険者ギルド内を進む。
あと何か、一人だけ私達を探るような目でこっちを見ている人がいる。
他の人達のようなものとは違って、一つの情報も逃がさない、とでも言わんばかりの視線。
私達の些細な情報でさえ価値がある、とでも言わんばかりの雰囲気なのに、何の感情も感じさせないその視線に、私は反射的にそちらを見てしまった。
その先にいたのは───いや、あったのは、影。そう、ただの影だ。入口近くにいる冒険者の影。
なのにその影から人の気配がするし、何故がその影と目が合った気がした。
その瞬間、足元から這い上がってくるような寒気。
思わずひっ、と小さく悲鳴を上げて、目線を逸らす。
二人しか聞こえない───二人がようやく聞こえるぐらいの小ささの悲鳴だが、確実に二人には聞こえていたはずだ。
多分、今二人は私が見ていた方向へと意識を寄せている。
そんな二人を認識しながらも、私は影と目が合った方向に意識も目も向けないよう気を付けた。だってあまりにもホラー過ぎる。
私はホラーとかは別に嫌いじゃないし、苦手じゃないのだ。好きでもないけど。でも特別に抱く感情というのはあまりない。
二人がいるし、二人はいざという絶対に守ってくれるという安心感があるからなのかもしれないけど、夜の森や廃墟、墓とかのホラーの定番とも言える場所に行っても、別に怖くない。
いや多少は怖いが、それも普通程度の怖さだ。ホラーが苦手な人のような、とてつもない恐怖では無い。
だけど、あれは無理。ホラーに対してあまり恐怖を抱かない私が、影と目が合った瞬間、感じたことの無い恐怖を感じた。
何かもうあの恐怖は、無理。本当に無理。何かもうここまで恐怖がくると、ホラーの恐怖じゃなくて、命の危機に対する恐怖な気がしてくる。
あまりの恐怖に、くっつくと言っても過言じゃないほど二人に近付く。そして私の手は、二人の背中の服を固く掴んだ。
これなら何かあったとしても二人と離れる心配はない。というかここまで近かったら、何か起きる前にリンナちゃんとイアンくんが動く。
ちらりと二人を見ると、二人もこちらを見ていた。二人のその目は、そうだよ、と言っているように見えて、その目を見て私はようやくホッ、と一息吐いた。
するとスーと、まるで溶けるように恐怖は消えていった。
やっぱり私にとって、二人の存在自体が心の支えなんだ。
多分二人がいない状態であの影と目が合っていたら、私は考える暇なく反射的にあの影に攻撃を繰り出していたと思う。
二人がいて良かったと安心しながら、体から力を抜く。一応何か合ってもすぐに動けるように警戒はしながら。
「すみませーん」
そんな私に意識を向けているリンナちゃんは、私を気にしながらも受付嬢さんに紙を渡す。
リンナちゃんのあまりにも何ともなさそうなその普通の態度に一瞬忘れてしまったが、あの紙に書かれているのはよく分からないクエストと依頼だったのを思い出した。
(いや⋯今改めて考えても本当に意味が分からない。)
もしかして誰かがリンナちゃんに間違えて渡しちゃったのかもしれない。
そんな微かな希望に縋り、受付嬢さんを見る。
だが受付嬢さんがその紙を見てキリリと顔を引き締め、そして一つ頷いて二階へと手を向けたのを見て、微かな希望は一蹴された。
思わず出そうになった溜め息を慌てて抑え込み、気分を切り替える。
だって、受付嬢さんがあの紙の内容を知らないはずがない。きっとあのクエストや依頼が来たら、まず一番にギルドマスターと受付嬢、そして従業員が知るはずだ。
クエストや依頼などは、冒険者ギルドの従業員総出で整理しているのだ。
報酬とクエスト内容が釣り合わない事もあり、それを捌くためにやっているのだと言う。
なんでも冒険者を無駄に失わないようにするためだとか。
まぁその辺は冒険者初心者の私が知るはずも無く、小説に書かれていた設定以外分からないから、そこまで詳しくは知らないけど。
そんなこんなで私達が二階に上がると、二階の端の方、ギルドマスター室に繋がる廊下の前で、ベータさんが立っていた。
その緩やかな灰色の髪は前とは違いキッチリとセットされ、その緑の目は何故かこちら──と言うより、私を警戒していた。
まるで、知られたくないことを知られないようにしているかのように。
「お、ベータだ。」
「こんにちは、お三方。」
リンナちゃんは廊下の前に立つベータさんに気付いて挨拶と共に手を上げれば、ベータさんはリンナちゃんに返すようにニコ、と控えめに笑って、挨拶と共に頭を下げた。
私とイアンくんも挨拶をしながらベータさんの元へと歩いて行く。
リンナちゃんが「なんでベータがここに?」と不思議そうに顔で聞くが、ベータさんはそれに苦笑いしながらもリンナちゃんのその質問に答えず、「案内します」と言って、廊下を歩いて行ってしまった。
リンナちゃんは不思議そうな表情で首を傾げながらも、ベータさんの後を付いて行き、私達もワンテンポ遅れながらも付いて行った。
ベータさんの表面上は至って普通だ。前会った時と何も変わらない。態度も、仕草も──体の動かし方も。それら全てが前のまま。あまりにも変わらなさ過ぎる。
人というのは短期間の間にほんの少しだが、態度や仕草、考え方が変わる。
逆に言えば本質やその軸など、本人の大部分は変わらないのだが、小さくて変わっても問題ない場所は本人も気付かないぐらいに、小さいが結構な頻度で変わる。
なのに対して、ベータさんは何も変わらない。まるでベータさんという人物を演じているかのように、たった一つも。
そこでハッキリとした。ベータさんは私のこれに気付いている。⋯⋯いや、気付いているというよりは、知っているの方が正しいかも。
私は既に初めて会った時からベータさんが隠しがっている秘密を何となく気付いてしまっているから、何も知らないとは言えない。
だけどベータさんは表面上に出さないけど、こちらを警戒している。それも何故か急に。
私はこれは、知る事が出来るんじゃなくて、知ってしまうのだ。
私の意思関係なく、一定の情報を、私の観察眼と脳が勝手に拾って情報を勝手に予測、整理してしまう。
もちろん自分の意思で情報を得ようとすれば、今とは比べ程にもならない程の精度を誇り、尚且つ更に膨大な情報が入ってくる。
だけど普通にしてたら負担が大きくなってしまう。
だから私は常に意識しながらこれを封じているのだが、封じていてようやくここまで収まっているのだ。
封じていてこの凄まじさ。
そして何となくなのだが、これは多分お母さんの遺伝だと思う。
お母さんは昔から鋭い所があった。今の私より。
まるで未来でも見ているんじゃないかと言うぐらい、お母さんの言う通りに未来が進む事が多々あった。
これくらい沢山の情報があって、これが私の欲しい情報を逃がすわけが無い。
情報が足りなくて届かないことはあっても、間違えることは多分ないと思う。
だから多分私のこれは、お母さん由来のものなのだ。
これがお母さんの能力や素質によるものなのか、それともスキルによるものなのかは分からないけど、でも今のこれは、お母さんが持つ能力に似た効果を発揮してる。
私は観察力を上げるスキルを持っているけど、今の今までそのスキルを日常の観察力を上げるために使った覚えは無い。
ならばもうお母さんの能力と素質によるものなのだろう。
だから、多分これはお母さん譲りのものだ。
だけどそれはもちろんベータさんには言ってないし、道中だってそれを感じさせたことは無い。
もし感じさせたとしてもベータさんは二人の異常な程の強さを見ているから、見たとしても私の事はまだマシ、とでも思う筈だ。
実際ベータさんはそう思っていただろう。───冒険者ギルドで別れるまでは。
だけどここに来て急にベータさんは私を警戒しだした。
ならばもうそうさせたのは、一人しかない。今から向かう場所にいる人。
そう──ギルドマスターだ。
多分ギルドマスターはお母さんと関わりがある。もしかしたらお母さんだけじゃないかもしれないけど。
ベータさんからも私に対する悪感情は見えないし感じないので、ギルドマスターはお母さん、又はお母さん達に悪い感情は抱いてない。
だけど私のこれを知っているということは、お母さん──お母さん達とそれだけ深い交流があったということ。
でもお母さんは、ギルドマスターとはいえど対して付き合いの無い人に自分の情報を教えない。
お母さんは穏やかでふわふわしているように見えても、実は警戒心が高く、信用するに値する人をしっかりと見定めている。
だけどギルドマスターはこれを知っている。
もしくは深い交流はないが、お母さんの秘密に気付いてしまうほどに感が鋭いか、頭がお母さん以上に回るかのどちらかだ。
でもあのお母さんがそういうことで負けるという想像が出来ない。
願望なのかもしれないのだが、例えお母さんが幼い故にギルドマスターにしてやられたとしても、お母さんがただ転んでいるだけとはどうしても思えないのだ。
その二つの情報を合わせても考えても、やっぱり行き着く先が一つしかない。なんなら行き着く先が大体似ている。ならばもう一つだ。もしかしてお母さん達は────。
「ギルドマスター、〈勇者の乙女〉の皆様を連れてきました。」
ベータさんのその声に、ハッと我に返る。やばい。また観察モードになっていた。時折私はこうやって観察モードに入ることがある。
そうなる時は大体、物凄く気になる時や、知りたい情報がある時。そしてそれらが異常に抑えきれない時に無意識に入ってしまうのだ。
私にもどうにも出来ないから、普段はそういうことを深く考えないようにしている。
ギルドマスターと会うのに意識が乱れていたら不味いと、慌てて意識を整える。
今は取り敢えず考えないでおく。多分すぐに今考えていた事の答えが分かるはずだから。
「入れ。」
威圧感のある低い声。バリトンボイス、とでも言うのだろうか。とても低いのだが、その声には期待のような、不安のような感情が混じっている。
(あ───この人──)
多分この人は悪い人じゃない。顔も性格も分からないのに、何故か私はそう思った。声に含まれる感情に、少しの慈愛のようなものがあったのも多分そう思った原因の一つだろう。
何か村から出てきてから、これが進化しているような気がする。声だけでその人の感情が分かったのが進化してる証拠とも言えるが、もう気にしないでおく。
(何かもうここまでくると、お母さん譲りとは言えちょっと自分のこれが怖くなるなぁ⋯)
何とも言えない気持ちを抱きながらも気を張り直し、ギィ、という音を立ててベータさんが開けた扉の先を見る。
その先にいたのは、肩まである白髪に白い髭を生やした中年男性。
「よく来た。〈勇者の乙女〉よ。」
沢山の書類の山に囲まれたギルドマスターだった。




