18、クエスト
ちゅんちゅんという鳥の鳴き声と、誰かの声。記憶にない声が脳をグルグルと揺らす。
(この声は誰?)
よく分からない声に違和感を抱いていれば、突如として視界が歪む。
分かりやすく言ってしまえば、視界に写る全てがぐるぐると回っている。
目眩や立ちくらみの時に起こるものとよく似ているが、目眩や立ちくらみじゃない。似ているけど全く違う。
言葉には上手く出来ないけど、多分その違いは感覚的なもので判別しているのだろう。
そこまで考えて、急に思考が働き始めた。先程とは違う新しい声が聞こえたからだ。
この声は私の大切な子の声。間違いなくこの声はアンジュの声だ。
何故かそう認識すれば、あのよく分からない声とは違い、先程までの知らない声がアンジュの声へと変わる。
まるで、私が望んだからアンジュの声になった、と言わんばかりに。
だけど何かが違う。
この声はアンジュの声。それは間違いない。だけど何かが違うのだ。何かが足りない。
何となく感じる違和感に、モヤモヤが増える。何かが違うのに、その何かが分からない。
分からないことはこんなにも気持ちの悪いものなのか。
だけど私はこの気持ち悪さを知っているはず。何故だか分からないが、知っているはずなのだ。
だって一度私は、これを──────。
「⋯⋯ん」
ちゅんちゅんと鳥の鳴き声が遠くから聞こえた。
それと共にパチパチという火の弾ける音がして、ジュー、という何かの焼ける音と香ばしい匂いがしてくる。そこでようやく私はさっきのが夢だと自覚した。
(凄くリアルな夢だったなぁ⋯。)
ジューという音と香ばしい良い匂いは、恐らくイアンくんが料理を作っている⋯というか、何かを焼いている為だ。
その匂いと音に釣られるようにして、身支度を軽く済ませてからテントを出る。そしたら案の定、イアンくんが焚き火の上に設置したコンロ携帯セットに置いてあるフライパンでお肉を焼いていた。
コンロ携帯セットは四足の丸椅子のような感じで、座る場所が網になっている。
なのでそのままバーベキューのように網で焼くことも出来るし、網の上に料理器具を置けば、普通に料理も出来るのだ。
もちろんコンロ携帯セットには丁度いい長さの足が着いているので、火を押し潰すことはないし、焚き火の周りに積み重ねてある木の枝を崩すこともない。
もちろんこのコンロ携帯セットは焚き火などの火を起こさないと使えない簡素なものなので、高さも無いし、サイズも小さい。
メリットは座って料理が出来ること。
ちなみに料理携帯セットは値段はかなり高くなるのだが、料理携帯セットに様々な魔石が組み込まれているため、火を着けるのも食器を洗うのもその他諸々ボタン一つで出来る便利機能付きだ。
冒険者は殆ど使い捨ての食器を使うことが多いが、アイテムボックスを持つものや、高位冒険者などは普通に食器を使うので、そういう人達は持っている人が多い。
あと料理携帯セットは、コンロ携帯セットの上位互換だ。
イアンくんはコンロ携帯セットの網に置かれているフライパンを火が常に当たるように調整しながら、フライパンの中に凄い量の肉を焼いていた。
多分、匂いからしてビッグボアのお肉。そしてイアンくんが今作っているのはリンナちゃんが好きな生姜焼きだろう。
コンロ携帯セットの隣にある、折りたたみテーブルに削った生姜があるから、多分間違いないと思う。
「あ、メル。おはよう。」
「おはよう、イアンくん」
イアンくんはテントから出てきた私に気付いたのか、焦げないように焼いている肉をひっくり返してから、私の方を見て笑った。
それに私も笑って挨拶を返し、テントを片付けてからイアンくんの斜め前に座る。
パチパチと火の弾ける音と食材の焼ける音を聞きながら、イアンくんの料理している姿を見ながらボーと考えに耽る。
あの夢は一体なんなのだろう? そして何故私は、あの夢に関してこんなにも真剣に悩んでいるのだろう?
不思議な夢で片付ければいいはずなのに、何故かそれが出来ない。いや、出来ないと言うより───してはいけない。
忘れちゃいけないと妙な予感が私に囁いて、傍を離れないのだ。
だから私はあの夢を忘れられない。あと多分、あの夢は絶対にただの夢じゃないやつだ。私の感がそう囁く。
そんなことを考えていたが答えが出ず、直ぐに今はいいか、と気持ちを切り替える。だって今考えていても分からないだろうから。
もしあの夢のどこかに分かるヒントがあったとしても私はイアンくんのように頭が良くないし、リンナちゃんのような直感に優れているわけでもない。
だからどっちにしろ今すぐは分からないのだから、考えるだけ無駄だ。
取り敢えず思考をリセットして、イアンくんを見る。
顔には特に疲労は見えないが、イアンくんは一体いつ寝ているんだろうか? 寝てたとしても一体いつ寝ているんだろう?
イアンくんはいつも、私が起きる頃にはもう既に起きている。なんならもう朝ごはんの用意をしていることが多い。
(そういえば、旅に出てからイアンくんの寝ている姿を見たことないなぁ⋯)
旅に出てからそれほど長くはないけど、短いと言うにはかなりの日数が経っている。
だけどその中でも、イアンくんの寝ている姿を見たのは片手で数えられる数しか無いのだ。
しかもその少ない数の中でも寝てはいてもほぼ仮眠状態に近く、意識は半分くらいは起きてたと思う。だから熟睡して、本気で寝ている姿を見たのは三回くらいだろう。
多分、今まで寝ていないと言われても納得出来るほど寝ている姿を見た回数が少ない。
「ふふふ、そんなに百面相してどうしたの?」
そんなことを考えながら唸っていれば、イアンくんがくすりと笑った声が聞こえた。
思わずその声に導かれて顔を上げてイアンくんを見ると、どこに笑う要素があったのか分からないが、イアンくんが笑みを浮かべながら私を見ていた。
どうやら自分が思ってたよりも私はイアンくんを凝視していたようで、イアンくんは頬をほんのりと染めながらくすくすと擽ったそうに笑っている。
もちろん、イアンくんのその手は止まることなく動き続けているが。
くすくすと笑うイアンくんと、真剣にイアンくんを凝視する私。多分傍から見たら困惑するような光景だろう。
今はいないリンナちゃんも今の光景を見たら、爆笑するか、疑問符を浮かべるかのどちらかだ。でも多分、高確率で爆笑する。
「ふっはっ!! 二人して何見つめ合ってんのっ!?」
「っ!」
こんな風に。
急に聞こえてきた聞き覚えのある笑いを含んだその声に、私は反射的にその声が聞こえてきた方向へと振り向いた。
「リンナちゃん! おかえりなさい!」
「リンナ、おかえり。」
「ただいま〜〜っっ」
するとやっぱりそこにいたのは、昨日の夜街で別れた時と何ら変わらない姿のリンナちゃんだった。
リンナちゃんは、いっひっひ、という不思議な笑い方で爆笑しながらも、律儀に返事を返す。
その手にはリンナちゃんの身長の半分はありそうな大きな紙袋を持っており、紙袋の中から湯気と共にいい匂いがしてくる。イアンくんの料理も相まってお腹がとても空いてきた。
それにリンナちゃんの笑いながらも待ちきれないという少しソワソワとした反応に、恐らく以前リンナちゃんが食べたいと言っていた〝甘露煮〟という食べ物を買ってきたのだろう。
確か、牛乳に砂糖と蜂蜜を入れて掻き混ぜながら温め、温まったらそれに大雑把に切った林檎を入れて煮込むおやつらしい。
その甘露煮に新しく食材を足す人も、甘さを控えめにする人もいるらしいから、多分甘露煮はこの街のご当地グルメなのだろう。
それにしても未だに笑いが治まらないリンナちゃんがそろそろ心配になってきた。未だにヒーヒーと言いながら笑い続けている。笑いすぎて過呼吸になりそうで心配。
笑いの止まらないリンナちゃんを見ていると徐々に私も笑いが込み上げてくるが、帰りが随分遅くなったリンナちゃんをちゃんと出迎えなければいけない。なので笑いは必死に我慢する。
一応我慢してはいるのだが、多分直ぐに笑ってしまうだろう。そんな気がする。
今だって、笑い声が漏れないように必死に閉じてる口や、顔の筋肉がピクピクと痙攣しているからだ。顔は何とか我慢出来ているが、体はもう既にプルプルと震えて笑っている。
既にかなり限界が近い私の顔は、ほんの少しの刺激や衝撃も耐えきれない。もしそれらが来てしまったら私の我慢はすぐに決壊する。
そんな私に気付いたイアンくんは苦笑しながらも、リンナちゃんに「近くにある湖で顔を洗っておいで」と言って遠ざけてくれ、リンナちゃんも私の我慢に気付いているから、返事をして大人しく湖に向かってくれた。
リンナちゃんはたまに、悪戯癖という癖が発動してしまう。しかも重大なものや、重大な時に限って発動するのだ。その度に私やイアンくんが慌ててフォローをしたりする。
昔も〈フェアリードック〉というモンスターと戦っている最中に、何故かは分からないけど急に魔法で攻撃し始めたり、〈フェアリードック〉の目の前で罠を張り始めたりした。
リンナちゃんがよく分からない行動をし始めたその時は、本当に驚き過ぎて、イアンくんと共に大絶叫したのを覚えている。
ちなみにフェアリードックは、魔法に異常な程の耐性を持つ。なのでフェアリードックと戦う時は物理攻撃か、耐性を上回る程の魔法で攻撃しなければならないのだ。
Aランクのフェアリードックを前にしてのリンナちゃんのあの行動に、あの時は本当に命の危機を感じて、無我夢中でフェアリードックを攻撃してた。
あと不思議なのが、フェアリードックを倒した後我に返って周りを見渡してた時、リンナちゃんの張った罠が使用した後があったことだ。
最初はフェアリードックが嵌ったのかと思ったが、あんな目の前で罠を張られて嵌ることがあるのかなと、疑問に思った。
だがまぁそこは、リンナちゃんの運が関係しているのかもしれないしと、気にしないことにしたのを覚えている。
リンナちゃんの運の良さはよく知っているので。
「それにしても、リンナ遅かったね。」
イアンくんが肉を焼きながら、リンナちゃんに話しかける。顔はこちらを向いていないけど、意識はこちらに向いているのを分かっているので、リンナちゃんもなんてことなさそうに話す。
「うん。ちょっと探し物をね。それで遅くなっちゃった!」
「そっか」
「うん!」
楽しそうに話す二人だが、二人に少しの違和感を感じた。だがその違和感は何となく気付かない方がいいやつだと思ったので、その違和感を今は無視しておく。
というのも何となく二人に違和感を感じる時は、今は分からなくても後になって意味を知ることが出来るからだ。そういうことはよくあったから、そういう時の対処法はよく知っている。
だから私は、その違和感を無理に知ろうとすることはあまり無いのだ。まぁ、あまりないというだけで、全く無いというわけじゃないけど。
だって気になるものは気になる。
「あ、そうだ。そういえばね、冒険者ギルドで面白いクエスト見つけたんだ〜!」
突然アイテムボックスから一枚の紙を取り出す。何故か異常な程にニコニコしているリンナちゃんに、イアンくんは「クエスト?」と首を傾げた。
私も不思議に思いリンナちゃんの方を見るが、リンナちゃんは何も言わず、ニコニコと笑ってその紙をイアンくんに差し出している。
リンナちゃんの機嫌があまりにも良すぎる。それに少し嫌な予感がした。これから面倒なことが起きる、という嫌な予感が。
落ちそうになる気分を何とか持ち直し、これから起こることに備えて今持っているものや錬金出来るものを確かめていく。
石武器の予備もあるし、武器の素材もまだまだ残っている。戦闘になったとしても、傷薬、ポーション類は沢山あるから大丈夫。武器も沢山あるし素材もあるから、いざとなったら新しく作れば良い。
回復類等や武器類の素材は思っていたよりも溜まっていたから、負傷の具合などによって変わるけど、多分一ヶ月くらいは戦い続けられる。
場合によっては数週間程度は持つ。
出来れば面倒事じゃないといいけど、多分面倒事は起こるのだろう。
今までも、リンナちゃんの機嫌が良すぎる時は大抵面倒なことが起きたからだ。
あまりに機嫌の良いリンナちゃんにイアンくんも嫌な予感を感じたのか、リンナちゃんを訝しげに見ながらもリンナちゃんからその紙を受け取る。
その瞬間、イアンくんがまるで時が止まったかのようにピタッ、と固まった。
「っえ! イアンくんっ!?」
あまりにも急激なその固まり具合に、思わず私は驚愕の声を上げる。その紙に何か術が施されていたのかと思い、その紙に目を凝らしたが、何も無い。何の変哲もないただの紙だ。
だとすれば、イアンくんが固まったのはその紙に書かれていた何かが原因なのだろう。それしかイアンくんが固まってしまう原因がない。
というかイアンくんの急激な固まり具合は、魔法に掛かった時と同じ感じだった。それぐらいに異様な固まり方をしたのだ。
久しぶりに見たから忘れていたけど、リンナちゃんがとてつもないことをしようとしてる時にもあんな固まり方をする。ということは確実にこれから面倒事が起こる。
そろりと、イアンくんを刺激しないようにイアンくんが持つその紙を横から見る。そして「⋯え?」という言葉を最後に、私の思考も停止した。




