4、勇者の乙女
ボス部屋の扉を開けた瞬間、私達の目に飛び込んで来たのは、広い空間の中に、ぽつんと置かれている一つの祭壇だった。
ぽつんと置かれているその祭壇は、様々な色を含んでいる不思議な色合いで、祭壇の上に乗っている丸い水晶がリンナちゃんの顔を写しては消し、かと思えばまたリンナちゃんの顔を写して、と不思議な点滅を繰り返していた。
まるでリンナちゃんを呼ぶかのようなその不思議な点滅に、私とリンナちゃんは先程より警戒心を強めた。
それと同時に、私は今起こっているこの出来事に既視感を覚え、無意識の内にリンナちゃんより一歩前に出た。
リンナちゃんを守る為に前に出たのだが、正直に言えばリンナちゃんの方が強いので私の存在はリンナちゃんにとって足でまといにしかならない。
だが、今の私にはそんな事を考えている余裕はなかった。水晶のする点滅は明らかにリンナちゃんを狙っている動きだから。
「ねぇ、メル。これってさぁ…」
「うん…、リンナちゃんを狙ってるね…」
「あー…、やっぱり?」
自分が狙われているのはリンナちゃんも分かっていたらしく、どんな攻撃が来ようとすぐ反撃が出来るようにと腰に差した剣を握り、戦闘準備に入っていた。
戦うのを少し楽しみにしていたリンナちゃんでも、流石に謎の水晶に狙われているなんて思わなかったらしく、ほんの少しの困惑を残しながらも謎の水晶をじぃ、と少しの行動も逃さない、と言わんばかりに水晶を凝視する。
当たり前だ。どんな考えをすれば、水晶に狙われる、なんて考えに辿り着くと言うのだ。
「にしても何かあの水晶、最初の時より点滅が早くなってない?」
「え…? …ぁ…っ! 本当だ…!」
リンナちゃんに点滅が早くなっていると言われ、改めて水晶を見ると、リンナちゃんが言った通り水晶は確かに点滅が早くなっていた。
点滅の早さは分かりやすい、とは言わないけど、分かりにくい、と言うわけではなく、水晶に注目していれば、すぐに分かるぐらいの変わりようなのに、私は水晶の点滅が早くなっていた事をリンナちゃんに言われるまで気付かなかった。
いや、気付けなかった、と言った方が正しい気がする。
リンナちゃんに言われて初めて私は水晶の点滅が早くなっている事に気付いた。油断していたわけでも、水晶から気を逸らしたわけでもないのに、水晶の点滅が早くなっている事に私は気付かなかった。
気が付かないようにしていた、と言ってもいいかもしれない。
リンナちゃんに言われるまで、水晶の事を詳しく見ていなかった。見ないようにしていた。あれだけ警戒していたのにも関わらず。
今だって気を抜くと何故か水晶から注意を逸らしそうになる。無駄に気が抜けやすくなるし、頭が上手く働かなくなっていくような感覚がする。
この何かに支配されそうなこの感覚は、多分魔法の何かだと思う。
前に似たような感覚の魔法に当たった事がある。確か、リンナちゃんと戦っていたイアンくんの魔法の流れ弾に当たった時の魔法の感覚によく似ている。
あれは確か、精神魔法…だった、気がする。
「メル!」
「っ!」
思考している最中に、リンナちゃんに叫ぶように名前を呼ばれ、思わず体をビクつかせた。慌てたような声で私を呼ぶリンナちゃんに驚きながらもリンナちゃんの方を見れば、リンナちゃんは、険しいような、焦ったような顔で私を見ていた。
だけどリンナちゃんの視線は、私を見ているようで私の背後を睨んでいた。そんなリンナちゃんを不思議に思いながらもリンナちゃんを見つめ返すと、リンナちゃんはもう一度静かに私を呼んだ。
「メル」
「え、あ、な、なぁに?」
滅多に見せないリンナちゃんの凛々しい姿と圧倒的な雰囲気に驚いて言葉が辿々しくなった私を、リンナちゃんは優しく微笑んで何かを考え始めた。
時折チラリと私に視線を向けては、また何かを考え出すリンナちゃんをどうしたんだろう、と不思議に思いながら見ていると、リンナちゃんが「うん」と一度だけ頷き、物凄い早さで点滅する水晶へと近付いて行った。
「リ、リンナちゃんっ!?」
まるで何でもないかのように水晶へと近付いて行くリンナちゃんに、驚きながらリンナちゃんを止めようと手を伸ばすと、体が急に重くなりその場に座り込んでしまった。
重くなった、というより体の力が抜けた感じに近い。
魔力がなくなっていくにつれて、体に力が入らなくなっていくあの感じに。
「メル、気付いてる?」
そう言われてやっと、自分が無闇矢鱈に魔力を放出していたのに気付いた。魔力を使って魔力が消費されるのじゃなくて、ただ無駄に魔力を放出しているだけ。
魔力というのは少なからず体を動かす原動力と言ってもいいようなもので、魔力が無くなると体を動かしずらくなる。
体力が体を動かすための生命力なら、魔力は体を動かすための原動力だ。
要するに体力が多い者は、体力が減った場合生命力がなくなっていくので苦しくなって動きにくくなる。
魔力が多い者は、魔力が減った場合体を動かすための原動力がなくなっていくので、体から力が抜けていき思うように動かせなくて、体を動かしにくくなる。
だから今の今まで魔力を無駄に放出していた私が、体に力が入らなくなったのは当たり前だ。
リンナちゃんが叫ぶような声で私の名前も呼んだのも、急に体に力が入らなくなったのも、私が気付かぬ間に魔力を放出していたからだったのだろう。
慌てて魔力を放出するのを止め、顔を上げてリンナちゃんを見れば、リンナちゃんは「うん、やっと気付いたね」、と安心したように笑って、水晶を睨みつけながら祭壇の前に立った。
「ま、待って…っ、リンナちゃ…っ」
「メル」
リンナちゃんが祭壇の前に立った瞬間、何故かリンナちゃんのその姿に恐怖を覚え、リンナちゃんを止めようと、慌てて力が抜けている体に力を入れれば、リンナちゃんの優しい声が、私の行動を止めた。
私の名前を呼ぶリンナちゃんのその声は、まるで「大丈夫だよ」と言っているような穏やかな声で、背中しか見えていないはずなのにリンナちゃんが楽しそうに笑っている気がして、思わずその場に座り込んだ。
するとリンナちゃんも私の方も見えてないはずなのに、私が座り込んだタイミングで点滅するのが早くなった水晶に触れた。
「うわっ!!」
「わ…っ!」
その瞬間、水晶は凄まじい光を放ちで、部屋を埋めつくした。
━━━ようこそ、愛し子よ━━━
その光によって気を失う直前、男性とも女性とも言えない謎の声が聞こえた気がした。
頭を優しく撫でられる感覚に目を覚まし、反射的にその手を払って後方へと飛び跳ねた。さっきまで私がいた場所に目を向ければ、そこに一人の女性らしき人が膝枕をするようにその場に座り込んでいた。
恐らく私はあの女性の足に頭を預けていたのだろう。
たった今目覚めるまで、この人に今まで手は出されてはいないが、だからと言って信用出来るかと、これから手を出されないかと言われれば、そこは否だ。
故にその女性から更に距離をとり、警戒するかのように剣に手をかけ構えて見せれば、その女性はニッコリと、可愛らしいものを見るように微笑んで立ち上がった。
『勇敢な方ですね。』
脳に直接響く揶揄うような女性の声に、思わず顔を顰めると女は『ふふ』と上品に笑い、いつの間にかその手に握られていた剣を、緩やかに構えて見せた。
警戒しながらもそれを不思議に思って見ていれば、女性はいつぞやの身勝手な二人組と同じ事を言い出した。
『どうぞ、貴方のお力をお見せ下さい』
「……っ!」
その言葉にあの二人組を連想させられ、思わず女性に殺気をぶつけてしまった。
無意識とはいえ喧嘩を買うような事をしてしまい、しまったと思ったが、この女性は私の殺気を感じてもニコニコと微笑んでいるだけで、特に何にもしてこない。どうやらあの二人組とは違い問答無用で斬りかかって来るわけではないらしい。律儀に私が斬り掛かるのを待っている。
どうやらあの女性を倒さない限り、この何もない場所から出る事も、先に進む事も出来ないみたいだ。
あの女性を警戒しながら、あの女性をどうやって倒そうか悩んでいると、突如女が聞き捨てならない事を言った。
あの二人組が言った、私の神経を逆撫でする、私の嫌いなあの言葉。
『“メルル・ハニーライト”、死亡。』
「は?」
女がその言葉を口に出した時、私は生まれて初めてありとあらゆる負の感情を交ぜた殺気を女に放ち、この女を殺したいと思うほどの憎悪を溶け込ませた目で女を睨んだ。
私をやる気にさせる為だとしてもそれは笑えない。その言葉は冗談では済まされない。
あの二人組も同じ事を言っていたし、この女も言いやがって。あの二人組といい、この女といい…。ほんと何なんだ?
そんなにメルルを殺したいのか?
多分この時の私は、私の1番嫌いな言葉と共にメルルの事を出されて冷静じゃなかったんだと思う。
「…ふざけやがって…」
過去最高とも言える程の殺気を女にぶつけ、この苛立ちをぶつけるように女へと斬り掛かる。
この時ばかりは冷静であれば分かることも考えられず、女に対する憎悪をぶつける事しか考えられなくなった。
フェイントをかけながら女へと斬り掛かり、それを防がれたら体術と魔法も合わせながら女と剣を交える。
一度防がれたら攻撃はしばらくはしない。一度防がれた攻撃はあらゆるものを交ぜ、別の攻撃に変化させながら隙を見せないように細心の注意を払い女へと斬りかかっていく。
真正面から斬りかかった際に、魔法で女と剣の間の水分を増やし、その水分が払われたのなら今度は、水分を払って剣の握りが緩い時に横に払う。
炎を自分の剣の刃の部分に炎を宿し、女の足元に水溜まりを作り、女を滑りやすくして、また斬り掛かる。
今の私はこの女を殺す事だけしか頭になかった。
正々堂々?
この女はメルルの死を言いやがった。こいつが言ったことを撤回させられるなら、そんなのどうでもいい。
卑怯?
メルルのためなら、卑怯でも何でもやってやる。
プライド?
メルルの死を話題に出した時点で私にあるのは女への憎悪だけだ。
冷静に?
今質問に対して答えているんだから冷静だろうが。
私はあの時メルルに救われてから、メルルのためならなんだってやってやるって決めた。だから、そんなメルルを殺そうとするあの女とあの二人組は絶対に地獄に落とす。
『ふふふ。流石です、リンナ。その能力値は今までの勇者達より圧倒的に高い。』
「気安く私の名前を呼ぶんじゃねぇよ」
この女に自分の名が呼ばれた瞬間、自分の名が酷く穢れたように感じた。自分が酷く気持ちの悪い存在のように思えてさらに感情が昂っていく。
この女のせいで昔の口調に戻りかけているし、本当にあの女は最悪。
メルルのために変えた自分が、この女に作り替えられていく感覚が気持ち悪い。
我慢しようとしても、メルルの死を話題に出されてしまうとどうにも我慢できない。
これ以上の憎悪を生み出さないように、ギリギリと歯を食いしばりなから女と剣を交えていると、女は急に嬉しそうに笑いだし、一瞬で遠くへと移動した。
『立派です! リンナ!』
「だからお前が私の名を呼ぶなよ。私の名前が汚れる。私の名前を呼ぶメルルに汚れがいくだろうが。」
遠くからあの女の不快な声が頭に入って来て、あまりのその不快感に顔を顰めながら、あの女のいるところに行こうと足に力を入れる瞬間。
迷ったような顔をしたあの女が一瞬で目の前に移動し、気が付くと私は地面に転がされ、剣を持っている手は何故か床にくっついたまま、そこから動かす事が出来なくなっていた。
しかも転がされている私のお腹の上には女の足が乗っかっていて、その足の重さが凄く不快で気持ち悪い。
「汚い足をどけろ。」
『嫌です。そうしたら斬りかかってくるでしょう?』
「当たり前だろ」
この足ごと叩き斬ってやろうか、なんて思いながら女に対して、何言ってんだこいつ、という顔で睨めば、女は少し困ったような顔をして、頭を下げた。
「は?」
『申し訳ございません。貴方をやる気にするための話題を間違えたようです。』
急な展開に困惑していると、女は私から足をどけてその場に座り込んだ。そして私が欲しかった情報を寄越した。
『お詫びにお話しましょう。メルル・ハニーライトが死ぬ時を。』
━━ご覚悟はよろしいですか、“勇者の乙女”よ。━━
“勇者の乙女”。
その言葉に何故か胸の辺りが熱くなった気がした。