救護室勤務
あれから二週間が過ぎたが、エクトーレからのお咎めはなかった。
むしろ彼が寝入る間際に願った通り、数日に一回の頻度で執務室へハーブティーを届けるようになっていた。ハーブティーが気に入ったらしい。
合間にお互いのことを話すようにもなった。
総務課の主な仕事や、現在抱えている愚痴などは聞いているだけで勉強になる。新人がなかなか仕事を覚えないという点は非常に共感した。
今まではリオルディスのおかげで騎士団について学ぶ機会が多かったけれど、エクトーレと知り合えたことで文官についても詳しくなった気がする。
横の繋がりが広がれば、もっと効率よく仕事ができるはず。そう思えば、エクトーレとの出会いは本当にありがたかった。
今日のナナセの職場は、救護室だ。
第一から第三まである騎士団の合同演習が行われる日なので、怪我人が来た時医師の補助に入れるよう待機している。
怪我人が来なければ暇だし、来たとしても騎士とお近づきになれるチャンスがある。
それなのになぜ救護室待機が侍女達に不人気なのかというと、責任者を務める医師にある。
腕はいいが偏屈で頑固。その上無口な老医師と待機をし続けることに、耐えられないのだという。
言葉数は少ないが仕事をきっちりこなすタイプなので、個人的には付き合いやすい部類なのだが。
少しの怪我くらいはあっても重傷者はほとんど出ないので、のんびりと構えていた。
暇すぎて床磨きに手を出していたが、それも終わってしまった。次は何をしようか考えていると、老医師が立ち上がった。
「……行ってくる」
「あぁ、遅い昼食ですね。万が一対応しきれない患者がおりましたらすぐに連絡いたしますので、ごゆっくりどうぞ」
笑顔で送り出せば、彼はこっくり頷いた。
静かになった救護室で手を洗っていると、蹴破る勢いで背後の扉が開いた。
「すまん、おっさん! 匿ってくれ!」
飛び込んで来たのは、以前話しかけてきた赤毛の騎士、ゼファルだった。
小さなかすり傷は無数にあるが、見るからに元気が有り余っている様子だ。
「あれ、あんたか。何かどこにでもいるな。そんでおっさんは?」
それはこっちの台詞だと言いたいところだが、ナナセは事務的に答える。
「先生は昼食に向かいました」
「じゃああんたでも……ってそういや、まだお互い名乗ってなかったよな。俺はゼファルだ」
「ゼファル様。ご丁寧にどうも」
許可をするより早く椅子に座った彼に礼を返しつつ、せっせとかすり傷の治療をはじめる。
砂埃を落とすために清潔なタオルで全身を拭っていくと、ゼファルが吠えた。
「いや名乗り返せよ! 礼儀だろ!」
「申し訳ございません。あなたと知り合いになりたくなかったもので」
「理由も失礼だなオイ!」
逐一突っ込まずにいられない性分なのだろう。ゼファルはここに来る前より疲れた顔をしていた。
「もういい。ナナセ・シドーってのは分かってるからな。ナナセって呼ぶぞ」
「せめてシドーでお願いできますでしょうか?」
「本当微塵も距離を縮めるつもりねぇな!」
「興奮すると傷に障りますよ」
「させてんのあんただから!」
ゼファルの突っ込みは気にしないことにして、ナナセは治療を続ける。軽傷者の治療ならば老医師にしっかり叩き込まれていた。
消毒を浸した脱脂綿を頬の傷にあてる。しみて痛がるだろうと思っていたのに、彼はすっかりしょぼくれていた。
「何でそんな冷たいんだよ……」
理由ならば挙げていけばきりがない。
侍女はみんな結婚相手を捜している、という勘違い。自分達は品定めをする側という傲慢な態度。
全てが苦手だったが、さすがにそれをぶつけるのもまた傲慢というものだろう。
なのでナナセは、無難な理由を口にした。
「私が生まれた地には、年の功という言葉がありました。ざっくり説明いたしますと、歳上を敬えという意味合いです」
要は、人として尊重してくれているかどうかだ。
理解できたのか、彼はおずおずと口を開く。
「じゃあ、ナナセさん。それならいいだろ?」
「…………はい」
「その間とすんごいため息がめちゃくちゃ心を抉るんだけど。俺はただ、あんたの黒い髪と目が綺麗だから、話しかけてみたかっただけなのに」
こちらの世界でも黒髪や黒い瞳の人間はいるらしいが、ディンメル王国では珍しい。
起伏の乏しい顔立ちも稀少なので、悪目立ちをしている自覚はある。その上二十歳を過ぎても独身の嫁き遅れという物珍しさから、面白がって声をかけてくる騎士達が多かった。
辟易としていたのだが、ゼファルは今までの男性達とは少々違うようだ。
ずっと素っ気ない態度を続けていれば、不快げに捨て台詞を残して去っていく者ばかりだったのに。
ゼファルの落ち込んだ様子に、段々自分の方が大人げなく思えてくる。
「……申し訳ございません、ゼファル様。どうぞナナセとお呼びください」
そこからは、先ほどまでより丁寧に傷口の消毒を施していく。
一つ一つは大した怪我ではないが、かなり数が多い。今までの合同演習では見たことのない傷の付き方だ。まるで、いたぶられてでもいるような。
「そういえば、先ほど匿ってくれと言ってましたね。なぜか聞いても?」
少しくだけた口調で問いかけると、彼は少し嬉しそうにはにかんだ。
「心配してくれんだな。いやぁ、俺もよく分かんねぇんだけどさ、何か副団長にめっちゃしごかれて」
嫌われるようなことしちゃったのかもなぁ、と頭を掻くゼファルに、ナナセは首を傾げた。
「え? リオルディス様が?」
「ん? あんた副団長と知り合い?」
「ええ。リオルディス様は、ある方から私の様子を見るように頼まれているので、定期的に食事の席を準備してくださるんです」
首肯を返しながらも、彼に執拗な指導が入った理由を考える。
「あの方が好悪で嫌がらせをするとは思えないので、もうすぐご来訪される隣国の王子殿下の警備を強化しようという狙いがあったんじゃ?」
若手筆頭の彼が王子殿下の護衛に回される話は、リオルディスから聞いていた。
仮説を口にしながら顔を上げると、なぜかゼファルは驚愕の表情を貼り付けて固まっていた。
「……もしかして、あんた……副団長と食事してる時に、俺のこと話したりした?」
「情報の共有は大切ですから」
ゼファルの顔が一瞬にして青ざめる。
「マジかよ……そういうことか……?」
「顔色が悪いですけど、大丈夫ですか? 横になって休みましょうか?」
大量の冷や汗まで掻きはじめている。
もしや熱があるのではとナナセが額に触れようとしたところで、彼は慌てて後ずさった。
「いや、すみません! 自分は大丈夫っす!」
「何で急に敬語?」
「お気遣いなく!」
「いえ、気遣っているわけじゃ……」
これでは、初めて出会った時と会話が逆転しているではないか。
まだ全ての手当てが済んでいないというのに、ゼファルは全速力で逃げていく。
取り残されたナナセは、こてりと首を傾げた。
◇ ◆ ◇
ディンメル王国とディシェンド王国は、二つ合わせるとリボンに似た形をしている。
元々一つの国家であったかのようだが、真実そうだったと聞いた時、ナナセはひどく驚いたものだ。
ディンメル王国は、多神教国家。
この世に存在するあらゆるものに神が宿っているという、ナナセにも馴染みのある思想だ。
一方ディシェンド王国は、一神教国家。
元々多神教だったのだが、ある女神の信仰が爆発的に流行ったことがあったのだという。
その人数がちょうど国内人口の半数程度になった頃、時の国王陛下の弟、王弟殿下も女神教を信仰するようになった。
彼の信仰心は根強かった。元々は仲のよい兄弟であったのに、信仰するものが異なるというだけで相容れない存在となる。
このままでは異教徒間で対立し、宗教戦争でも起きかねない状況だった。
国王陛下は苦肉の策として、女神教を信仰する民との住み分けを図った。彼らの頂点には、王弟殿下を据えて。
土地を与え自治を認める代わりに、宗主国であるディンメル王国を尊重すること、不可侵、内政不干渉を約束させた。
そのため習慣や言語、特産品もほとんど変わらないはずの両国は、微妙な緊張関係にあるらしい。
そんなディシェンド王国から、ついにヴァンルートス第三王子殿下がやって来た。