妖刀御世継ぎ殺し
噂というものは、往々にして思いもよらぬ早さで広まるもの。
特に、四郎兵衛と晴満という組み合わせがよくなかった。
噂に尾びれどころか、背びれ、胸びれもついてゆく。あのふたりが面白がって触れ回ったおかげで、夢見客人のもとに押しかけ女房が現われたという噂は、半日もしないうちに広まった。
決めた女はいないが売り文句だった遊び人、夢見客人もこうなっては形無しである。
普段なら、目にした途端駆け寄ってくる娘たちも、冷たい視線を送るばかり。
そんな具合なのだから、ここしばらく肩身が狭い。
かといって長屋に居着いていると、今度は千鶴と顔を合わせる。これも具合が悪い。
千鶴は、暇さえあれば客人に見惚れてばかりいる。
女に惚れられるのは星の数ほどだが、大名家の姫君が押しかけてくるとなると持て余す。
ほとんど使っていなかった竈を掃除し、飯を炊き、朝餉も用意してくれた。
汁物と茄子の浅漬がつく一汁一菜、晴満の忠告のとおりで客人の好みのあっさりとした味付けだった。
一体、どこでと思えるほどの家事の腕前だが、まるで祝言を上げたばかりの夫婦のようである。
仕方なく、用事を作って、ぶらり江戸を散策していたのだが。
――つけられている。
そう感じたのは、長屋を出て幾許もしないうちだった。
首筋に、ちりちりとした殺気を感じる。よほどの恨みを持った相手らしい。
裏家業に手を染めると、どこで恨みを買うかわかったものではない。
さらには諸々の事情で、客人は闇討ちや刺客に狙われることには慣れている。
わざわざ根津神社の境内に足を向けたのも、そうした不心得者を適当にあしらうためであった。
「そろそろ出てきたらどうか? こそこそつきまとわれるのは、あまりいい気分ではない」
答える声はないが、殺気が高まったのがわかる。
少々厄介かもしれぬと、並ならぬものを感じ、柄に手をかけた刹那であった。
ザッ――!!
玉砂利を蹴散らし、電光の疾さで影が迫った。
それは十分に修練を積んだ者にしかできない動き。
しかし、繰り出される刺突を、客人は抜刀せずに柄で払った。
「不意打ちとは感心せんな。一体誰に頼まれ――うっ」
客人が言葉を失ったのは、剣を向けている人物に覚えがあったからだ。
小袖に袴姿の、凛々しい女人剣客である。
彼女も暇人長屋の住人で、名を美鈴という。
縁日ともなれば女だてらに居合抜きの妙技を披露して生計を立てている。
人呼んで、抜刀小町。
「性根は腐り果てても、剣の腕は衰えていないようですね。夢見殿」
と、美鈴はにっこりと微笑んだ。
麗しいはずの笑顔が、何故だかとてもなく恐ろしく感じる。
「さて、美鈴殿にいきなり命を狙われる覚えはござらんが」
「しらばっくれるおつもりですか? とことん見下げ果てました、今日という今日は許しませぬ。天に代わって成敗いたしますっ!」
「せめて、斬られる事情くらい教えてもらえぬかな」
「黙りなさい! 年端もゆかぬ姫君を篭絡し、長屋に住まわせていると聞きました。前からだらしのない人だとは思っていましたが、そこまでとは思いませんだ。あなたは女の敵です」
「もうそのように噂されておるのか……」
ここまでくると、どうにでもなれという諦めの気持ちさえ湧いてくる。
さて、問題は美鈴をどうなだめるかだ。下手な言い訳はできない。
美鈴は田宮流抜刀術から富田流小太刀を修め、この前も手形まで用意して大和郡山藩の関口柔心を訪ねて柔の術を学びにいったばかりという凄腕だ。本気を出されれば客人とて危ない。
「さあ観念なさい! 今度生まれてくるときは、せいぜい女遊びは慎みなさいませ」
無茶苦茶である。
「言い訳くらいさせてもらえぬかな?」
「問答無用です!」
「千鶴姫が拙者のところに押しかけたのは事実だが……その、姫をたぶらかしているというのは真っ赤なでたらめ。大体、誰がそのようなことを」
「それは、公家殿が面白そうに言っているのを耳にして――」
「あの御仁の言葉を、鵜呑みにされたか。美鈴殿ともあろうお方が」
「あっ、う、それは、その……」
美鈴とて、暇人長屋で暮らす者のひとり。芦屋晴満がいかなる人物なのかは十分知っている。
だとしても、冷静になれないこともある。
夢見客人が関わったことであれば、特に――。
「だ、大体の事情は呑み込めました」
照れたように咳払いをひとつして、さっと刀を納めた。
まずは一安心と言ったところだろうか。
「いや、美鈴殿に焼き餅を焼いてもらえるのは満更でもないが」
「誰があなたなどに……! 大体、夢見殿がいけないのです。普段からふらふらしているから、無用な誤解を招くのです」
「やれやれ、とんだ薮蛇だ」
とはいえ、美鈴のこうしたところは嫌いではない。
頬が緩むところだが、ふと客人の表情が鋭さを増した。
途端に研ぎ澄まされた刃のような光が、その目に宿る。
「ところで美鈴殿。旅の途中、つれなくあしらった男なぞおらなんだか」
「いえ、とんと覚えはありませぬが」
「ふうむ、ならば拙者の客か――」
客人は、ふたたび柄に手をかける。
つけられていると感じた気配は、美鈴のような感情を露わにしたものとは違っていた。極力気配を押し殺し、じっとこちらの隙を覗う、蛇のような殺気――。
ひとつふたつ三つ……その数、七人。
ゆらりと現れたのは、全員が紋なしの二重と深編笠という、恐ろしく没個性な集団だ。
じりりっ、と客人は間合いを取った。
「これは、少々まずいことになった」
客人は、思わず舌打ちした。
思った以上にたちの悪い集団である。
「夢見殿、これは?」
「刺客でござる。美鈴殿はこの場から離れた方がいい」
「相手は七人です。およばずながらご助勢いたします」
「いや、美鈴殿はかかわってはならぬ」
「ですが……」
「早くっ!」
いつになく、客人は真剣な表情だった。
頬を伝うのは、冷や汗だろうか。
「わかりました、すぐに人を呼んできます!」
美鈴は刺客たちから十分に距離を取ると、背を向けて駆け出した。
刺客たちはあくまでも客人が狙いであるのか、あえて追おうとはしない。
心配そうに一度だけ振り返る美鈴に、客人は大丈夫だと頷いてみせる。
やがて美鈴が見えなくなると、刺客のひとりが誰何してきた。
「素浪人、夢見客人に相違ないな?」
「いかにも」
客人が答えると、刺客たちは次々に無言で抜刀し、構えた。
「柳生新陰流、公儀隠密か」
「…………ッ!?」
客人は刺客たちの構え――柳生新陰流では位と呼ぶが――から、彼らの流儀と正体を見破った。
将軍家指南役、柳生新陰流には#裏__・__#の顔があると言われている。
江戸柳生の総帥、|柳生但馬守宗矩《やぎゅう たじまのかみ むねのり》は剣術だけではなく政治にもその才能を発揮し、反幕府勢力や諸大名の監視、諜報活動を統べる大目付に就任した。
柳生家はその功績により一万石を超える禄高を得て、晴れて大名となる。
宗矩は天下の御留流という威光を利用して高弟たちを指南役として各地に派遣し、諸大名の動向を探っているという。
この刺客たちも、そうした裏の道に従事しているに違いない。
並の剣士とは殺気の質が違う。ただ人を斬るという手段のために研ぎ澄まされ、純粋化された殺気だ。
美鈴に場を去るように言ったのも、彼らのような者に関わらせたくないという、客人の配慮だった。
「さて、御公儀が拙者のような浪人者に何のご用向きか?」
「抜け―――」
客人の問いには答えず、刺客はただそれだけを言った。
問答無用、それが彼らの流儀。
「断わる、と言ったら?」
「ならば抜かせるまで!」
即座にひとりが仕掛ける。
迫るは柳生新陰流、飛燕の太刀。
十分に鋭い斬撃だったが、客人の音無しの居合いによってあっけなく斬骸と化す。
しかし、刺客たちの目はその剣技ではなく、抜かれた刃に釘付けとなった。
妖しい光を放つその刃紋の冴え。互の目を交えた湾たれ調が表裏に揃った箱乱刃は、まさしく――
「やはり村正! “御世継殺し”村正!」
伊勢千子村正――。
村正は、室町期の名匠で伊勢国桑名で千子派を旗揚げした。その作刀は名高く、斬れ味は抜群。なれど徳川将軍家に祟るとして知られる妖刀である。
村正の妖刀伝説は、家康の祖父松平清康が臣下の阿部弥七郎に討たれるところから始まる。このとき用いられたのが、村正の刀であった。
また、家康の父松平広忠も近臣の岩松八弥の脇差によって股を斬られるが、この脇差も村正。
さらには家康の嫡男であった信康が織田信長に武田家との内通を疑われ、切腹に追い込まれるがこのときの介錯刀も村正であった。
家康自身も、村正の槍で指を斬ったこともある。
次々と徳川家に起こる村正の不吉な凶事を祟りと恐れ、家康は家中の者に村正の廃棄を命じた。
以来、村正を佩刀とすることは徳川家への叛意と見なされ、暗黙のうちに禁じられている。
さて、刺客のひとりは客人の佩刀を御世継ぎ殺し――すなわち信康の介錯刀であると叫んだ。
それは数ある村正の中で、もっとも忌み嫌われるものであるはず。
何ゆえ、夢見客人はこのような忌み刀を持つのか? しばらく謎としておこう。
「村正の所持は謀反も同様。神妙に縛につけい!」
「拙者に謀反の嫌疑あるならば刺客なぞ送らず、正々堂々としょっ引けばよかろう。それとも、一介の浪人者を大っぴらに引っ張れぬ理由でもおありか」
「ぬ……」
「そうか、但馬守殿は謀反人の証、御世継殺しをご所望か」
「黙れ、浪人風情が何をほざく!」
刺客のひとりが吐き捨てると、一斉に動いた。
怒涛のような刃の連携を、客人は最小限の動きで躱してゆく。
そして、一瞬の隙を見極めて刃を跳ね上げてひとり、返す刀でふたり目、続けざまに三人目を斬った。
あっという間に囲みを破り、客人はそのまま雑木林に駆け込む。
障害物が多ければ、多方向からの攻撃を制限できる。
「追えっ! 逃すな!」
玉砂利を蹴散らし、刺客たちは客人を追う。
ひとりが後ろから追い、残るふたりが左右に別れて行く手を塞ぐ。
「さすがに、簡単には逃がしてはくれんか」
客人は苦々しく呟き、足を止めた。
そして大木を影にするように、正眼に構えて待ちうける。
その瞬間、左右から間合いを詰めた刺客が同時に迫る。大上段からの袈裟斬りと、胸への突き。幾度も鍛錬し、絶対に躱せぬ必殺の連係に仕上げられた斬撃だった。
だが、仕掛けたふたりの方が絶命した。
一方の諸手突きが届く前に籠手ごと斬り落し、その切っ先をま止めずに頸動脈を断つ、そしてもう一方の突きを体裁きで躱すとともに延髄を斬る。
連の動作は流れるように無駄がない。
無駄のない自然な動きこそ剣術の理想だが、その通りに身体を動かせるものではない。
自然な動作というが、人間の身体は不自然に動いてしまうもの。
意識せねば理にかなわぬものとなり、意識すればその動きは不自然なものとなる。
意識せずに理になかった動きをする、これこそが武術の目指すべき自然な動きだ。
そのためには、並外れた修練、そして天賦の才を必要とする。
夢見客人の業は、まさにその理想の境地にあった。
あっという間に六人を斬り伏せ、残る刺客はただひとり。
だが、そのただひとりは只者ではなかった。
「あと一太刀あればどうなっていたかわからぬものを、何故だ?」
客人はそのひとりに問うた。
この刺客、あえて連携に加わらず仲間を見殺しにしたのだ。
「貴殿と、手合わせしてみたく――」
刺客の答えは、恐ろしく豪胆なものであった。
つまりは客人の絶技を目の当たりにし、立ち会いたくなったというのだ。
深網笠を脱ぎ捨てると、猛禽類のような鋭い眼光が露わになる。
人を殺すことを生業にしてきた者しか持ちえぬものだ。
「柳生新陰流は天下の御流儀、他流仕合は禁じられていよう」
「表のことは知らぬ。それに“死合”となれば話は別よ」
覆面で覆った口元が、確かに笑ったようだった。
「恐ろしいことを言う」
「柳生新陰流、斎藤丈之介」
刺客――斎藤丈之介は名乗った。
刺客が名乗るということ、それは必ずこの場で抹殺するという意思の現れである。
「素浪人、夢見客人。流儀は……」
客人は改めて名乗り、下段に構える。
そして静かな声でその流名を明かした。
「――轟天流」と。




