押しかけ姫
「――さて、面倒とはどのようなことでおじゃるか?」
闖入者である。
長屋暮らしにしては珍しい小道服姿で顔を見せた。
この男、客人の隣人で名は芦屋晴満。
言いも言ったり、名流の公家の出を自称している。
変人揃いの暇人長屋の中でも、極めつけの部類に入る男だ。
まあ、怪しい公家言葉は別として、言われてみれば雅な顔立ちに見えなくもない。
京から凋落して江戸に流れてくる公家の話も聞くから、案外本当なのかもしれないが、氏素性を詮索しないというのが暇人長屋の流儀である。
だが、しかし――。
その、何にでも首を突っ込みたがる好奇心の塊のような性格が問題なのだ。
今日もまた、面白そうな話を聞きつけて、首を突っ込みにやってきている。
「ああ、いや。たいしたことではござらん」
「おや、隠し事でおじゃるか? なんとも切ないのう。麿と夢見殿の仲でおじゃろう」
とはいうものの、すでに話の半分は聞いているに違いないのだ。
長屋の壁というものは非常に薄く、とても個人の秘密など望むべくもない。
「いや、公家殿が絡むと話が厄介になるのでな」
思わず本音が出てしまった。
「むう、人をまるで蔓か何かのように。まあ、その話はまたあとにするとして、四郎兵衛がきたということはお手当てがあったのでおじゃろう。夢見殿、実は品川で評判の料亭に目をつけておいでおじゃるが、いかがか?」
晴満は、客人に負けず劣らず根っからのお祭り好きだ。しかも、一旦使うとなれば一晩で一両が軽く飛ぶような豪遊をする。そしてこの費用の捻出は、大抵客人が請け負う。
客人は大口の仕事を請け負うわりには金銭に執着が薄い。晴満が仕切る宴会にも、惜しみなく軍資金を投入する。当人が気にかけていないのだから文句を言う筋合いはないが、それを気の毒がる者は多い。
「それがだ、公家殿。どこぞの悪徳金貸しのせいで、拙者は日干し同然でな。とても遊興に浸ることはできぬよ」
客人が、ちらりと四郎兵衛に視線を送ったのだが――。
「おい夢さんよ、おいらのほかに金策してるのかい? よくねえなあ。巷の金貸しってやつぁ、儲けることしか考えてねえからな。何だったら、おいらが用立ててやってもいいぜ」
四郎兵衛は、間違いなく本気で言っている。この性格が、用心棒専門の口入れ屋などというおよそ堅気ではない商売を続ける秘訣らしい。
「ところで夢見殿、長屋の入り口で妙齢の女性が夢見殿を捜しておるようだったが、今度は何に関わったのでおじゃる?」
「どうして拙者を捜しているとわかる?」
疑問に答える晴満の答えは明快だった。
「恋に焦がれる目をしておじゃった」
「ああ、そりゃ夢さん目当てだな」
四郎兵衛も、その言葉でだいたいの事情を察したようだ。
「身なりは町人らしくしておられたが、おそらくはどこぞの高貴な生まれの姫君でおじゃろう。身についた気品というものは隠しおおせるものではなし。お、噂をすれば影――」
晴満の言葉どおりに、すぐにそのような娘が訊ねてきた。
「あ、あのっ……こちらに、夢見客人様はおいでですか」
なるほど、その瞳には客人しか入っていない。
町娘風の装いをしているものの、江戸の庶民とはどこか様子が違う。
俗世の汚れとは無縁な、汚れを知らぬ無垢な少女そのままに見えた。
人を疑うことを知らず、まるで無防備なその表情。
咲き始めた花、羽化し始めた蝶のような瑞々しい美しさに恵まれている。
客人は、その娘に覚えがあった。
身分を隠すような格好をしているが、先日逆卍党の手から助け出した某藩の姫君だ。
客人と目が合うと、熱っぽい表情で一礼する。
「……その、先日は危ないところを助けていただきまして。何とお礼を言ってよいものやら。わたくし、千鶴と申します」
「いや、礼など結構。拙者、すでにご当家より十分な謝礼を受け取ってござる」
十分な額だったが先ほどあっという間に目減りした、とはさすがに言わない。
「そのような。金品だけでは感謝の気持ちを表せません。夢見様は、そのう……おひとりの身であられると伺いしましたが?」
「確かにそうだが……」
先ほどからいやな予感がしている。そしてその予感は、得てして的中してしまうもの。
客人の答えを聞くと、千鶴の顔がぱあっと明るくなった。
「そのっ、おひとりの身では色々とご不自由が多いと思いましたので、ご恩返しのためにも……身の回りのお世話をさせていただければと」
「な、なに?」
四郎兵衛と晴満が、傍らで必死で笑いを堪えている。
つまり、これは押しかけ女房というやつだ。
大名家の姫君が甲斐甲斐しくも恩返しに身の回りの世話をしてくれるというのだ、相当な思い切りと覚悟のうえの行動であろう。が、客人にとってこれほど迷惑な話もない。
「……いや、待たれよ。ご当家の者はこのことを存じておるのか? 大名家の姫君が、かような粗末なところに出入りするなど許すはずもなかろう」
「置き手紙を置いてまいりました。家中の者が心配するようなことはありません」
「ほ~う、それはまた思い切ったことを」
無責任にも感心の声を上げたのは晴満。
確かに、さまざまな意味で思い切ったことではある。
「それでは家出同然ではないか。今頃、心配して姫様を探しておろう。せっかく、無事帰ってきたというのに」
「それでも、わたくしの気持ちは変わりません。わたくし自身の手で、助けられたご恩を返したいのです」
「しかし、だな――」
「あの、ご迷惑でしたか、やっぱり……」
しゅん、と落ち込んで顔を伏せる。これが今にも泣き出しそうなのだ。
「ああ、いや。迷惑だとかそういうことではなく――」
何だか、自分が悪いことをしているような気分になる。こう見えて、客人は女の涙にはとことん弱いという損な性格をしている。
「では、よろしいのですねっ!」
現金なもので、その言葉を聞いた途端、千鶴の表情はすぐにあかるくなった。
「……何とか言ってもらえぬか?」
と、客人は晴満にすがるような目線を向けるが。
「千鶴姫、夢見殿はわりとあっさりした味付けが好みでな」
「はあ、あっさりですか?」
「朝餉には茄子の漬け物などつけるのがよろしかろう。忘れぬようにな」
「はい、ありがとうございます!」
真剣に耳を傾ける千鶴に、晴満は客人の好みを説いている。
「……公家殿よ。そんなに拙者を困らせるのが楽しいのか?」
「それはもう」
憎らしいことに晴満は扇子で口元を覆い、本当に楽しそうに笑っている。
こうして、夢見客人は大名家の姫君を押しかけ女房として抱えることになったのである。




