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異世界落語  作者: 朱雀新吾
踵裁き【天狗裁き】
86/128

踵裁き【天狗裁き】⑥

 とある長屋で女房と、その旦那が話をしている。

『ちょっとあんた。聞いたかい?路地裏のマタさんの話。ある夜、ドラゴン程の大きなゴールデンスライムの夢を見た途端、運が開眼した様に何でも上手くいくようになったってさ』

『ああ、そういえばマタさん、商売始めて、大当たりだって言ってたな。それに別嬪さんの嫁ももらって、確かに最近乗りに乗ってるよな』

『ちょっとさ、あんたもそれに見習って、良い夢を見てよ』

 女房がすがる様に言うと、旦那は困惑した様に答える。

『いや、良い夢で何でも上手くいくとは限らねえだろうよ。ちょっと極端過ぎるぞそれは……』

『まあまあ、ものは試しだよ。今日はもう仕事はいいからさ。奥で寝てきてごらん』

『「仕事はいいから寝てきて」って、女房の言う事じゃないと思うけどな……』


「ぶつぶつ言いながらも、寝ていいと言われて断る理由もない旦那は、ベッドへ行き、眠りに落ちます。そして、しばらくしますと女房の呼ぶ声で目を覚まします」


 ネタに入り、九楽は幾分落ち着いている様に見受けられた。台詞も違和感なく発している。



『…………んた。あんた、起きて。起きてってば』

『え?』

 旦那が起きると、女房は笑顔で訊ねてきた。

『あんた、随分楽しそうな顔して寝ていたけどさ、どんな夢見てたんだい?』

 期待に満ちた眼差しの女房に、旦那は困惑を隠せない。

『え?俺そんな顔していたか?いや……お前には悪いけど。夢なんて見てないぞ』

 それに対して女房は怪訝な表情を浮かべる。

『え?見てない?嘘だよ。だってあんなに幸せそうに笑っていたじゃないかい。絶対に見てたよ。それとも何だい?あたしに言えない夢でも見てたのかい?全くいやらしいねえこの人は』

 それには旦那も慌てて否定する。

『いやいや、本当に見てないんだよ。信じてくれよ』

『嘘ばっかり、言いなさいよ』

『いや、見てないんだって』

『見てた』

『見てないって』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』

『見てた』

『見てない』



「…………おい旦那。クラのヤツ、いくらなんでもくど過ぎじゃないか」

「……くど過ぎますね」

 いつまで経っても『見てた』『見てない』のやり取りの、先に続かない落語を眺めながら、ラッカが口を開く。

「台詞を忘れているのか?」

「うーん、忘れているというよりは、テンパってますね。初めての舞台ではよくある事ですけど。台詞が出て来なくなって止まってしまったり、同じフレーズを繰り返してしまうんですよ」

「……他人事みたいに言ってるけど、旦那がクラをあの場に上げたんだぜ。本当に大丈夫かい?」

「まあ、もう少し様子を見てみましょう」

 そう言う一福は至って冷静だった。



 自分の状態がおかしい事に、九楽も気がついていた。


 のぶをの踵魔法があってもこの様だ。

 つくづく落語とは、難しい。

 九楽は今、至って冷静に、混乱している自分を俯瞰で眺めている状態である。

 だが、どうする事も出来ない。

 いつの間にか『見てた』『見てない』のテンポが口をつき、そこから動き出せないでいた。

 分かっている事と実演する事の差がこれほどとは。

 次の流れは理解している。ここから女房との喧嘩がエスカレートしなくてはならないのだ。

 そこへ隣人の兄貴分が止めにくる。

 とにかく、そこまで繋げなくては。

 その為には、旦那と女房の喧嘩だ。


 旦那がガツンと言って、女房が逆上する。

 

――よし、やるぞ。次に進むぞ。『見てた』からの『だから……俺は見てないって言ってるだろう!』。そして、『何だいその言い方は。喧嘩しようってのかい』『ああ、やってやるよ。女だからって手加減しねえぞ』。うん、この流れだ。よし、いくぞ。

 次の段取りを瞬時に頭で整える。


 そして九楽は心で気合を入れ、すっかり心地よくなってしまったそのテンポの中に、割って入る。

 

『見てた』

『見てない』

『見てた』

――よし、今だ!

 だが、そこで九楽は気合が入り過ぎてしまい、つい口が滑ってしまった。

『だから……私は見てないと言ってるだろう、ミヤビ!!』


 女房との会話だという意識が、無意識にミヤビとの会話に繋がってしまったのだろう。

 しまった!と思った時には遅かった。

 九楽の顔がみるみる熱く、赤くなる。


――大失態だ。最悪だ。これでは、誰も笑ってはくれない。

 九楽は絶望した。


……だが、その明らかに狼狽える九楽のリアクションに、客は本物の「ハプニング感」を見出した。


「はっはっはっは!あいつ今、間違って自分の恋人の名前を言ったんじゃねえか!?」

「ミヤビだってさ」

 からかい半分で客が笑う。

 客席で観ていたミヤビの顔が真っ赤になる。

 だが、それは非難の声ではない。

 どちらかというと、客の雰囲気が好意に傾いていたのだ。


「いやあ、あいつ。百年に一人の天才召喚師って聞いていたけど、案外面白い奴だな!」

 戦士が痛快に笑うと、隣にいた魔法使いが意地悪そうな笑みを浮かべて言う。

「そういうお前だって戦士学校時代、座学で先生の事を間違えて『ゴブリンキング!』って呼んだ事があったらしいじゃないか」

「それはその先生のあだ名が『ゴブリンキング』だったからだよ!」

「胸を張って言う事かよ。それなら尚更怒られただろう」

「ああ、対ゴブリン100匹の模擬戦をやらされたよ」

 思い出すのも嫌だと言わんばかりに顔をしかめる戦士に、パーティーと思われる周りの仲間が大笑いする。


――これは、思いのほか、盛り上がっている?

 間違いや失敗で笑われるのは本位ではないが、今はそんな事を言ってられない。これを起爆剤にしなくては。

 九楽はすぐに続きを演じる。

――喧嘩だ。喧嘩。


『あたしに言えない夢だってのかい?』

『ああ、見てないものを見たと言える訳がないだろうが!この分からず屋!』

『何だって!?何だよその言い方は。もう怒ったよ。ウインドウインダーウインデスト……』

『おいお前……何をいきなり呪文の詠唱を始めてんだよ……』

 突然の女房の行動に明らかに狼狽える旦那。

『……風属性魔法「ワイルドウインド」』

『うわあああああ!!!!』


 咄嗟に、台本にはない部分を付け足す。

 風魔法で吹き飛ばされるのは、九楽自身も以前に経験しているので演りやすい。


 夫婦喧嘩で魔法まで飛び出したものだから、これには思わず客からも笑いが起きる。

――よし。

 九楽は心でガッツポーズを取った。


『おい、お前達何やってんだよ。ミヤビも、夫婦喧嘩で魔法なんて使ってんじゃねえよ』

 いよいよ規模の大きくなった喧嘩に、隣の家の住人が止めに入ってきた。


『おいおい、止めろよ。夫婦喧嘩なんかしたら駄目だって。ミヤビ、お前は少し落ち着きな。俺の家で女房がパイを焼いてんだ。それでも食べてきな。頭冷やしてきなよ』

 隣人の男になだめられ、ミヤビはぶつぶつと文句を言いながらも従って、隣の家へと入っていった。


『まあ、話は何となく聞かせてもらったよ。まったく、夢を見たの見てないのって、何をそんな事で喧嘩してんだよ』

『いえ、私は覚えてなくてですね』

『ああ、分かってるよ。可哀相にな。そんな事言われても仕方ないじゃねえかよな?ミヤビも夢ぐらいで何をムキになってんだか』

『ええ、分かってくれて嬉しいです。助かりました』

『ああ、任せろよ。俺はお前の兄貴分だからな。なんせ昔からの付き合いだ。ガキの頃からの付き合いだからな』

『ええ、その通りです』

 男は頼もしそうに兄貴分を見つめる。

 そこで兄貴分は周りを見渡し、誰もいない事を確認すると、含み笑いを浮かべながら声を潜めて言った。


『……だからさ、かみさんには言えないかもしれねえけど……俺には教えられるよな?』


『え?何をです?』

『何をって……おいおい、お前が見た夢だよ。な、俺にだけこっそり教えてくれよ』

 兄貴分の申し出に、男は困惑した表情を浮かべる。

『え、いや、だから。夢は見てないんですって』

『いやいや、そうは言っても……見てるんだろう?かみさんには言えなくても、兄貴分の俺には言えるだろう。どんな楽しい夢だったんだ?心配すんなって、誰にも言いやしねえからさ。なあ、教えてくれよ』

『いや、だから見てないものを言えはしませんから』

 その言葉を兄貴分は信じない。

『いや、見てるんだろう?』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』

『見てる』

『見てません』



「あはは、クラの野郎。これはわざとやってんなあ」

「ええ、そうですね」

 ラッカの言葉に一福が笑って頷く。

「さっきの自分の失敗を逆手に取ってやがる」

 最初は硬かった客も、いつの間にかニヤニヤと、楽しそうに高座の九楽を眺めていた。


「クランエ様。凄いです」

 その瞬間毎に落語がアレンジされていく光景を眺めて、一番驚愕している者がいた。

 イヘブコである。

 そこには、彼にだけ分かる凄さがあった。

 それは笑いに対する嗅覚と瞬発力。更には失敗でも笑いを取れる、天然の素質まである。

 人物も荒削りだが、きちんと分けられている。

 いや、変に声色を変えようとせずに、今の自分に出来る範囲で、物語の負担にならないだけの芝居しかやろうとしていないのだ。

 それが一番難しいのだと、イヘブコは一福から聞いた事があった。


「いや、だけどさ。元々異世界落語の台本だろう?基本暗記じゃねえの?」

 ラッカの言葉にイヘブコは大きく首を振る。

「ラッカ様は誤解されております。あの台本は一福様から私に渡されたのですよ。つまり、まだ異世界落語になる前の原典。普通の落語『天狗裁き』なのです」

 それにはラッカも驚きの声を上げる。

「ええ?つまり、それって……」


 そこで一福が言葉を受け継ぎ、言った。

「ええ、今クランエ師匠は、初めて落語を演じながら、同時に異世界落語『踵裁き』を作っているのです」



『いえ、ですから、何度も言いますけど、私は夢など見ていないのです』

 男がいつまで経っても夢を教えようとしない為、とうとう兄貴分も、先ほどの女房と同じく、怒り出した。

『何だ何だその態度は!俺は勇者だぞ!サイトピアの平和を守る、超格好良い、絶対勇者ラッカ=シンサ様だぞ!』

 大声で名を名乗り、扇子を魔剣に見立てて上段に構える。


「今度はラッカだってよ!!」

「よ!クラク!いいぞ!」

 それには客も大喜びである。


「今度は俺かよ!」

 ラッカは自分の顔を指差し、突っ込んだ。



『俺様に夢の話をしないとは、この漆黒に輝く魔剣の、あ!錆にしてくれるわあああああ!!』

 大見得を切る九楽に、会場から拍手が巻き起こる。



「誰だよそいつは……。全く、ノリノリじゃねえかよ。真面目なクランエが聞いて呆れらあ」

 ラッカが目を丸くして、今まで見たことのない弟分の新たな一面を発見する。

「真面目だからこそですよ。真面目だから、今その場で自分が何をすべきなのか、真剣に考え、出した答えからは逃げない。最良だと思われる選択をする」

「それが、身内を出すって事かい?」

 一福は首を横に振る。

「何が正解なのかが問題なのではありません。今の師匠の何が凄いのか。それは数ある選択肢の中から『最良を選ぶ』のではなく『迷いなく決断する』事です。客の反応を見ながら筋を考えるなんて、普通なら迷いが生じますし、そもそも怖くて出来ませんよ。ですが、その遅れは高座に於いて致命的なのです。それを師匠は心得て、毎回、清水の舞台から飛び降りる様な気持ちで、決定していっているのです」


 客を弄ってでも、身内を出してでも笑いを取る。

 それが今、自分が一番笑いを取れる方法だと、九楽は決定した。

 いつの間にか主人公の男の人格も、九楽寄りになっている。だが、それも仕方ないと瞬時に割り切る。

 自分が今演っているものを落語と呼べるのかどうかは分からないが、自分は今、楽々亭を名乗っているのだ。

 突然の初舞台だろうが、一度上がった高座である。

 無様なものは見せられない。なりふりを構ってはいられない。



 兄貴分との喧嘩に、今度は宮廷の先輩が仲裁に入る。

『勇者ラッカには話せなくとも、最年少視聴者たるこの私、ダマヤには話せるだろう。ほれ、夢の話を聞かせてくれ』

『いえ、ですから見てない夢の話をする事は出来ません……』

『何をおおおお!?』



 宮廷の先輩との喧嘩に、大臣の仲裁が入る。

『ダマヤに話せなくても、この国の最高権力者の大臣である私には話せるだろう。ほら、夢の話を……』

『いえ、ですから…………』

『何だとおおおお!!?』


 

 仲裁に入ってきた人物が、次から次へと手のひらを返し、夢の話を聞いてくる。

 九楽はダマヤを出し、更には大臣まで出し、その度に笑いを取っていった。



『いえ、ですから見ていない夢の話は出来ないと申しておるのです』

 どれだけ頼まれても男は大臣に夢を話そうとはしない。

『ええい、貴様、大臣に逆らうのか!だったら牢屋に閉じ込め、拷問にかけてくれるわ!!』

『ええ!?そんな無茶苦茶な!』


 九楽の悲鳴に近い声に、客は大喜びである。


 自分で言いながら、九楽は己の境遇としてはあながち間違ってはいない筋だと、皮肉にも思った。そう思えるだけの余裕が、のぶをの魔法のおかげで生まれていたのだ。

 この度胸すら自分のものではない。

 だが、九楽は胸を張って、客の前で落語を演じる。


「さあ、見てもいない夢の所為で拷問を受ける事となった可哀想なこの男。それはあんまりだと、見るに見かねましたのが踵の精霊のぶを様。のぶをは踵属性魔法を使って男を助け出してくれます。突然、男の踵から羽が生え、舞い上がったかと思いますと、牢獄の壁をぶち破り、そのまま飛んでいったのです」


――何とかここまでやりきる事が出来た。


 周りに人のいない山で降ろしてもらった男は、目の前に立っている顎のしゃくれた老人に頭を下げる。

『私を助けて下さった貴方様は、ひょっとして……踵の精霊のぶを様ではございませんか?!』


――さあ、のぶを様、出番です。どうぞ。

《九楽様……あんた、たいしたもんたい。礼ば言うばい。ありがとう》

 そして、九楽は次の台詞を自分に乗り移っているのぶをに譲った。


 自然と九楽の顎がしゃくれ出し、勝手に口が動き始める。

『ああ、その通りばい。あたしが踵の精霊のぶをばい。あんさんちかっぱ危なかったねえ。いやあ、夢ば教えろ夢ば教えろって、ほんなこつどいつもこいつもやおいかんだめしかのぼせもんばっかやったもんね。あんさん大丈夫とね?どっこも怪我とかしとらん?』


「……………………!!」

「……………………!!」

「……………………!!」

「……………………!!」

「……………………!!」

 突如現れたその強烈なキャラクターに、客は衝撃を受ける。

 そして、直ぐにその衝撃は店内全体を包み込む大爆笑へと変貌を遂げ、人々は歓声を上げる。

「ははははははははははは!!」

「のぶをきたああああああああ!!!」

「いいぞ、クラク!!!」

「なんだこれ、すげえ!!面白い!!」

「はっはっはっはっはっはっは!!!!」


 皆が、笑ってくれている。

 それは、のぶをがずっと待ち望んでいたものであった。

 のぶをの感動に溢れる気持ちが九楽にも共有される。

 感無量とはまさにこの事であった。

――のぶを様、続きを……。

《ああ、まかせんしゃい》

 続きを促す九楽に、のぶをは胸を張って答える。


『本当、人間はだめしかねー。夢の話ば聞きたいけんって魔法使ったり、剣で脅したり、拷問したり……つまらーん。そんなこつしてまで聞きたい事かいな』

『いやあ、全くのぶを様の仰る通りでございます』

『そうやろ?可哀相やもん、やけん助けてやったとよ』

『本当に助かりました。ありがとうございます』

 のぶをの台詞はのぶをが、主人公の男(ほぼ九楽自身)の台詞は九楽が担当する。

 それは言うなれば二人の会話劇であった。


「のぶをって、本当にあんな喋り方なのかよ?新人だからって滅茶苦茶するよな。あー、でもおかしい」

 馴染みのドワーフが腹を抱えて笑いながら言う。


 本当なのだから仕方がない。

 九楽とのぶをは精神世界で笑いあった。


『聞きたくなかー。あたしは精霊ばい?そんな人間風情の見た夢の話げな、いっちょん聞きたくなか!!』

『いやあ、流石は精霊様。他のヤツ等とは人間が……いや、精霊が違う!』

『いやあ、そんな褒めんしゃんな!』

 落語でも、男(九楽)とのぶをは、二人で笑い合う。


『でもね……』

 そして、そこでのぶをの笑いは含み笑いに変わり、声は潜めた響きとなった。


 そう言って間を溜めるだけで、客席からは既にクスクス笑いが漏れてくる。

 九楽は、その前までの幾度もの流れで、ここで声を潜めれば笑いが起きる事を学んでいた。


――これがテンドンと言う技法か……。


『全然聞きたくなかばってん…………あんさんがどうしても!!言いたいっていうとなら……聞いてやってもよかばってん?』


『…………いえ、あの、本当に見てませんから』


『…………』


 男とのぶをはしばらく向かいあい、見つめあっていたが、次の瞬間、のぶをの態度が一転する。


『夢ば見てないとか、あんさんなんば言いよっとね。ほんとだめしかー』

『いやいや、本当に見てないんですよ。さっきまでの流れ、見てらしたでしょ?夢を見ていたなら、女房の時に言ってますから』

『嘘ばついたらいかんばい』

『いや、嘘じゃないんですよ』

『教えんしゃい』

『だから、見てないんです』

 男の態度にいよいよのぶをも怒りを露わにする。

『はあー、だめしかー。精霊に向かってその態度。あんさんね、そげんこつ言いよったらもう知らんばい?あんさんの踵の角質ば十億倍にするばい。ばい(・・)だけに十億ばい(・・)に……』

『いや、見てませんから。あと、変なアドリブ入れるの止めてもらえますか?』

 そこで九楽は思わず自分の中にいる、のぶを自身に突っ込んだ。


 次の瞬間――爆発の様な笑いが起こった。


 何が起きたのか分からない。自分の言った言葉によって生み出された笑いが衝撃波となり、一瞬で自らに返ってくる。

 それは九楽とのぶをの中に、とてつもない快感として流れ込んできた。


 これが落語。

《これが落語とね……たまらんねえ》


 お互い、全くの同感であった。 


 今、これだけ笑いを取れているのは、自分の実力ではない。

 それを忘れてはいけない。のぶをが乗り移って、魔法でステータスを調整してくれているからなのだ。

 九楽はその事実を肝に命じた。


 それでも、この感覚は、忘れる事は出来ないだろう。


「その後はこの男、隙をついて踵の精霊のぶをから伝説の『天空の踵装備』を奪い、空を飛んで逃走。隠れる為に忍び込んだ館ではなんと、黒竜餅をお嬢さんが喉に詰まらせ死にかけており、家中が大騒ぎになっていました。これは危ないと男が伝説の踵シューズでお嬢さんの後頭部に踵落としを食らわせますと、餅が口からコロン。お嬢さんは一命をとりとめます。『貴方は娘の命の恩人です!ありがとうございます!』と男は館の御主人から褒美として一生遊んで暮らせる程の金銀財宝をたっぷり頂きます。これには男も大喜び」

 

『やった!こいつはめでたい!ばんざーい!ばんざーい!!ばんざーい!!!』



 万歳する男。そこへ、どこか遠くから呼ぶ声が聞こえる。


『…………んた。あんた、起きて。起きてってば』


『え?』

 男が目を開けると、目の前には見慣れた女房の顔が。

『あんた、随分楽しそうに寝てたけど、どうしたの?』


 男は頭を掻きながら辺りを見渡し、言った。

『あー……なんだ、夢か』


 そして九楽とのぶをは、ゆっくりと客に向かって頭を下げる。

 次の瞬間、二人を暖かい拍手が包み込んだ。


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