踵裁き【天狗裁き】⑤
「おい……これは一体どういう事だ?」
極楽酒場で一福の落語を待ち望んでいた客は驚いた。
理由は一目瞭然。
そこには、いつもと違う真紅の着物を着た金髪の男が座っていたからだ。
そう、何もかもが違う。
「……あれは召喚師のクランエだぞ」
誰かがそう呟く。
「……イップクはどうした」
ざわめきが起き、場は騒然となっている。
……何故、こうなってしまったのだろうか。
それはクランエ当人にも、分からなかった。
―――――――――――――――
一福がどの属性にも属さないので、のぶをを憑かせる事が出来ない。
その理屈は直ぐに理解出来た。
だが、それを言うなら、そもそもクランエも踵属性ではない。
魔族の王族の血によって、ほぼ全属性に近い能力を持っているので、憑依させられない事はない。だが、それよりももっと相応しい人物がいるのだ。
純粋な踵属性の人間が。
「ダマヤ様はどうですか?踵属性ですよ?」
クランエが必死にダマヤを薦めても、のぶをはうーんと腕を組み、首を横に振った。
「駄目ですか?」
「いえね、あたしも便器ば舐めろち言われたら頑張って舐めますし、ウンコば舐めろち言われたら、まあ、そんなに抵抗なくいけるとですが……それが、あの人に乗り移るって事になりますと……それはちょっと勘弁しちゃって下さい」
「そんな……」
クランエは絶望的な声を出す。だが、ダマヤに憑依する事がウンコを舐めるよりも嫌だと言うのぶをに、それ以上頼む訳にもいかない。
ちなみにすっかり静かになったダマヤはというと、5億倍になった角質をやすりで必死に削っていた。
※この回のダマヤの出番はここで終了です。
「でしたら、ラッカ兄さんはどうですか?踵属性ですよ」
それものぶをはすぐに首を振って拒否する。
「ああ、あの方にはまた別のものが今とり憑いとりますばい。そういう人に憑くとはやおいかんとです」
「別のもの……?」
クランエはその言葉に懸念を覚えた。
それは多分、オクラホマスタンピードの事なのだろうが、最近のラッカの様子と関係がある事なのかもしれない。
ふと一福の方を見ると、大丈夫だと言う様に頷いてきた。
――何か一福様には心当たりがあるのだろうか。
「クランエ様?だめかいな?一緒に落語ば、やっちくれんかいな?」
「いや、えーと……」
ダマヤも駄目、ラッカも駄目となると、もうクランエしかいない。ちなみにナナセは風属性、イヘブコは土属性である。
それでも何故自分なのか。消去法なのは分かるが、やはり釈然としない。
――何故一福様は私を……。
どれだけ考えても答えは出ない。
だが、これだけ精霊に直々に頼まれては、断る訳にもいかない。
――仕方ない。やってみるか。
覚悟を決め、承諾する。
「……分かりました。頑張って、やってみます。一度だけで良いのなら」
「ありがとうございます!嬉しかー!たまらんごと嬉しかー!」
クランエの答えに、たちまちのぶをの顔が輝いた。
「では、早速今日の夜の部で演ってみましょうか。ちょうど先日、大司祭様に着物のストックを作ってもらっていたのです。師匠には……そうですね。これが良いかもしれません」
そう言って一福が持ってきたのは、目が痛くなる程の原色。真紅の着物だった。
「は、派手過ぎませんか?」
「いえいえ。クランエ師匠にはこれぐらい派手な方が似合いますよ」
「はあ……」
こうなったらもう腹をくくるしかない。
クランエはグッと気合を入れ、着物を一福から受け取った。
「一福様。お願いがあります」
「なんでしょう?」
「芸名を頂けないでしょうか。屋号は当然……楽々亭で」
クランエが言うと、一福はまるで以前から決めていたかの様に、直ぐにその名前を答えた。
「そうですね。楽々亭……なんて、いかがでしょう?」
―――――――――――――――
今まで下座で太鼓を叩きながら見ていた景色とは全く違う。
150モンチ×150モンチの赤い台の上に置かれた座布団。
それのなんと高く、狭い事か。
座るだけで、クランエはとてつもない息苦しさと孤独に苛まれる。
かと思い前方を見れば、まるでさらし者の様に、注目を浴びているという矛盾。
いや、同じ空間内で明らかに隔離されたこの状態こそが、孤独を深めている原因なのかもしれない。
――こんな視線だらけの場所で、今まで一福様は堂々と落語を演じておられたのか。
更に客から滲み出ている雰囲気は明らかに、クランエをお呼びではない空気。
今やサイトピア一の人気者である一福が出てくると思っていたのだから、当然である。
これは、初めて一福がこの場所で落語を演じた時以来の、微妙な空気だ。
まさかそれを自分が味わう事になろうとは、当然思ってもみなかった。
とにかく何かを言わなくては始まらない。
クランエはゴクリと唾を飲み込み、口を開く。
「ええー、どうも。今日は事情がありまして、普段とは違い、まして。私がお相手を務め……ます。ですね。苦楽を共にしようと……えー、ですね」
どういう事か、言葉が全く喉を通らない。こんな経験は初めてだ。最上級魔法の詠唱でもこんなに酷い事にはならない。
客の白けた視線が本物の矢の様に突き刺さる。
緊張感が大波の様に押し寄せ、クランエは押し潰されてしまいそうだった。
そんなクランエの様子を客席で見ながら、ラッカが言う。
「おい旦那、これはいくらなんでも無茶だぜ。何でクラにあんな事を……」
勇者の非難に、一福は特に心配した様子も見せずに、涼しい顔で答える。
「まあ、見ていて下さい。師匠は一人じゃありませんから」
《まあ、落ち着きんしゃい》
クランエの脳内に直接のぶをの声が響く。
既にのぶをはクランエに憑依していた。
《さあ、今から踵に力を授けるばい》
その瞬間、クランエの頭が一気にクリアになる。
《踵と脳は一番密接やけんね。ほれ、踵を冷やすと頭がシャキッとするとはそういう事くさ》
そんな豆知識は今まで一度も聞いた事はなかったが、確かにのぶをの魔法のおかげで気持ちが落ち着いたのは事実だ。
《更に踵のポテンシャルもマックスまで上げといたばい。これであんさんはドーピング状態。記憶力、集中力、度胸と、あらゆるステータスが急上昇しとる。これぐらいせんば、あたし達素人には、ラクゴは荷が重かろうもん》
――ありがとうございます。
クランエは心から直接のぶをに礼を述べた。
突然の初舞台。
出番まで時間がなかったので、特に一福から指南を受けてはいない。基本的な所作と、ネタをしっかり暗記しているかのチェックを受けた程度である。
当然、一福の様に上手くやれる筈はない。
だが、舞台に上がったからには言い訳は許されない。
自分なりの一生懸命を……見せるしかない。
クランエは袖を捲ると、長い金髪を後ろで括った。
「ええ、はは。初舞台で緊張しております。なのですが、まあここに初めて座りますと、お客様の顔がよく見えるもんですね。やはり時間帯が夜ですから、屈強な冒険者の方が多い様に思われます。こちらから、戦士、戦士、戦士、戦士、遊び人を挟んで戦士、戦士と……」
客の中の、少々お調子者そうな人間をターゲットに、クランエはそんな事を言った。
その周辺がほんの少しふふっと笑った気がした。
「はっ。客いじりかよ」
ラッカは呆れた様に苦笑する。
「良いんですよ。客いじりも立派な芸です。普段のクランエ師匠とのギャップが大きければ大きいほど、効く事になりますよ」
――やや受けか。まあ、そうだろうな。
クランエの口元に苦笑が浮かぶ。のぶをの魔法のおかげで、やや受けな事を意識出来るまでに視野が広くなっていた。だが、これに関しては分かった方が良いのか、知らない方が良いのか。
だが、そんな事を考えている間に、次の言葉を発さなくては。
たった一人。そう、独りでこの場を廻さなくてはならない。
クランエの時間は、今までの人生で一番早く流れていた。
「えー、夢というものは誰でも見るものでして。大まかに二つに分けられますね。それは寝て見る夢と、起きて見る夢です。ちなみに今から私が演るお噺は前者の夢でして、私が今ここに座っている理由というのが、後者の夢にあたります」
そこで――である。
「なんだクランエ!お前、ハナシカになるのが夢だったのかよ!」
馴染みのドワーフが大声で突っ込んた。
すると、場がドッと笑いに包まれる。
「…………ははは、ご冗談を」
独りだと思ったが、存外そうでもない様だ。それは大きな大きな、値千金の助け舟となった。
気持ちがグッと楽になる。
そして、ドワーフの隣にいる友のエルフは先程からずっと衝撃的な表情をしている。
――今までラクゴはイップクだけのものと思っていたが。違うのか……。学べば、誰でも習得出来るものなのか。
その考えが宿った時、エルフは胸のざわめきが止まらなくなった。
それは、新たな息吹が生まれた瞬間。
その種が芽吹くまでには、更に長い時間を要する事となる。
「夢、と言いますと色々ありますね。まあ、私の場合は誰かの夢を叶える為でもあるんですけどね。その方が性に合っているんだと、思います」
クランエはそう言って着物の懐より一福から預かった扇子を取り出す。
しばらく真剣に手元を見つめる。
――私がこれを地面に突いたからといって、一福様の様に世界が変わるだろうか。
不可能だ。
自分には無理だと分かっている。
だが、それでも、一度歩き出したからには、止まる事は許されない。
だから願いを込めて、クランエは進む。
――芸名を頂けないでしょうか。屋号は当然……楽々亭で。
――そうですね。楽々亭……なんて、いかがでしょう?
「申し遅れました。私、楽々亭一福の一番弟子、楽々亭九楽と申します。本日は『踵裁き』という一席で、お付き合い願います」
そう言って、九楽は扇子を地面にトンと突く。
さあ――世界を変えてみよう。




