踵裁き【天狗裁き】①
その日は数日ぶりの晴天で、絶好の洗濯日和だった。
小春は洗濯機から洗濯物を取り出すと、縁側から外の物干し竿へと歩く。
にゃおんと声が聞こえ、軒下を覗いてみると、猫がのんびりあくびをしていたので、エプロンの前ポケットに常に入れてある削り節を取って、猫の見える場所に置いた。
猫が気にしていない振りをしながら、目の端にそれを確認したのを見ると、小春は微笑みながら物干し竿に洗濯物を干していく。
肩までで切った髪の毛が暖かな風になびき、春の訪れを告げる。
天気は申し分なく最高だが、小春の気分は晴れなかった。
毎日の様にふとした瞬間にため息がこぼれてしまう。
常に不安が胸を締め付けている。
それは小春の父も同じだろう。
理由は分かっている。
息子同然の一番弟子が突然行方不明になったのだ。
小春にとっては兄同然の幼馴染が、である。
連絡もつかない。
警察に連絡して、捜索願も出したが、一向に見つかる気配はない。
父は小春の縁談が原因だと、冗談にならない冗談を言うが、本当にそうなのだとしたら、喜べば良いのか悲しめば良いのか、複雑な気持ちである。
いや、それが本当なら、一番に小春は怒りを覚えるだろう。
――いくじなし。私が勇気を振り絞って言った言葉は無碍にして、自分はあっさり逃げ出すなんて。
門下の弟子達も心配している。
多良福なんかは、ストレスで3キロも太ったと言っている。
元々105キロなのが108キロになり、煩悩と肩を並べたとマクラで述べている始末だ。
父親の七福に関しては、小春は本気で心配していた。
彼が失踪してから、七福は酒を断ったのだ。
大酒飲みの父親が酒をやめるというのは、小春にとっては酒に狂うよりも恐ろしい出来事であった。
「芝浜」に真似て願をかけているのか、別に思う所があっての事なのか、いくら聞いても父は答えようとしない。
それでいて口を開けば俺は心配していない。あんな奴はふらっとまたヘラヘラ笑いながら帰ってくるだろうと言って聞かない。それが強がりである事は、誰の目から見ても明らかであった。
今回の件で、小春は思い知った。
彼は正真正銘、家族だったのだと。
兄妹同然に育ってきた存在。
いつしかその想いは兄妹を越え、かけがえのない存在へと変わっていった。
彼も気持ちは同じだったと、今でも信じている。
だが、もう何も望まない。
ただ、帰ってきて欲しい。
元気な顔が見たい。
張り裂けそうな思いを抱えて、小春は空を見上げる。
そこには小春の気持ちなど一切考慮してくれない、忌々しいまでに晴れ渡る青空が広がっていた。
居間では、七福がちゃぶ台の前に座って、お茶を飲んでいる。
そのありきたりな光景を見ると、すぐにでも彼の声が聞こえてきそうである。
――師匠、お嬢さん。お久しぶりです、と。
「…………あれ?」
今、小春の耳に、本当に誰かの声が聞こえた気がした。
どこからか、彼の声が。
空から……ではない、
だが、小春があたりを見回しても、誰もいない。
「…………」
気のせいか……。
小春は落胆のため息をついた。
疲れているのかもしれない。
何の手がかりもなく、小春は毎日空に向かって語りかける事しか出来なかった。
――もう、イチさん。一体どこで何をやっているのよ……。




