ちりとてちん【ちりとてちん】⑤
「え?」
ダマヤは思わず間抜けな声を出してしまった。
――今、一福様は「ちりとてちん」と言わなかったか?
「なんじゃダマヤ。何が絶対『ヘキュホラプン』だ。『ちりとてちん』のままではないか」
心底軽蔑しきった表情の姫にダマヤは狼狽える。
「ああ、いえ、やあ、まあこれは。いや、あの……一福めが間違えたのでしょう。はっはっは!ヤツめ、姫様の前で緊張しておるわ。私の渡した台本通りにやれと、いつも口を酸っぱくして言っているんですがね。いやあ、これは後でダメ出しですな。はっはっは!」
「…………」
必死に取り繕うダマヤを姫は猜疑心に溢れた目つきでじっとりと見つめていた。
背筋が凍り、妙な汗が滴り落ちる。
――どういう事だ、一福様。
ダマヤの困惑を他所に、当の一福は涼しい顔で落語を始めていた。
『こんにちは旦さん』
『おお、誰かと思ったら喜さん、お前さんかい。まあ、こっちに上がりなさいな』
『へい、上がらして頂きます』
喜さんと呼ばれた男、喜六は近所に住む旦那の家を訪ねてきていた。
『いえ、なんでも今日は旦さんのお誕生日だそうで。おめでとうございます!』
喜六にそう言われ、旦那は恥ずかしそうに頭を掻く。
『ああ、ありがとう。いや、だがこの歳になって誕生日だって言ってもな、別にめでたくもないんだがなあ』
『いえいえ、いくつになっても誕生日というのは、めでたいものですから。それで旦さん。おいくつになられたんですか?』
喜六の問いに、旦那が答える。
『ああ、五十六歳だ』
『へー、五十六歳ですか?いやあ!それは実際よりも随分若く見えますね。どこをどう見ても五十五歳にしか見えませんよ』
『一つしか変わらんではないか。馬鹿な事を言うんじゃないよ喜さん』
ちょっとしたくすぐりで、会場には笑いが起きる。
サブリミナル姫は何が面白いのか分からないと言った表情で、ムッとしたままだ。
そして、ダマヤは違和感を感じていた。
――何だ?この落語は、何かがおかしい。いや、何かがおかしくない?
違和感の理由を、ダマヤは理解出来なかった。
だが、客の反応は今の所、上々である。
……まあ、いいかと、ダマヤは考えるのをやめた。
『ちょうど今、軽く酒や料理で祝っていたんだが、どうだ、お前さんも呼ばれるか?』
『ああ、そうですか?いいんですか?それじゃあ、是非頂いていきます』
嬉しそうに喜六は頷いた。
『喜さん、酒は好きだよな。実は、良い酒が手に入ってな……』
「姫様!」
そこで、ダマヤがここぞとばかりに姫に話しかける。
「なんじゃ騒々しい……」
「この噺の前半は、今登場している旦那から、喜六という男に、次々に酒や料理が振る舞われ、喜六が飛び跳ねんばかりに喜んで飲み食いするという筋なのですが……」
「うむ」
「まず最初に振る舞われるもの、ここは本来でしたら『白菊』という日本酒、まあ、つまり異世界のお酒なのです。ですが、ここはターミナルに合わせて『上級酒ドラゴンキラー』に変えさせたんですよ。ええ、勿論私がです」
自信満々にダマヤは言う。
「こちらの世界で『日本酒の白菊』と言われても訳が分かりませんからね。その点『ドラゴンキラー』はこちらでも上等の酒。その方がこちらの世界では分かりやすい。つまり、これぞ『異世界落語』なのです」
「ふん。……本当かのう」
先程の件もあり、サブリミナル姫から疑りの冷たい視線がダマヤに突き刺さる。
「まあ、見ていて下され。ダマヤは嘘をつきませんから」
――姫が!この生意気姫が!!姫が!!吠え面をかかせてやるからな。姫が!!
ダマヤは心の中で姫に雄々しく、猛々しく啖呵を切るのであった。
『旦さん、で、そのお酒というのは、なんていう酒なんですか?早く教えて下さい』
喜六が興味津々といった表情で訊ねると、旦那は嬉しそうに笑いながら、答えた。
『ああ、その名はな、京は伏見の酒「白菊」と言うのじゃ』
『「白菊」ですか?それは初めてのお酒です!』
喜六は身を乗り出すと目を剥いて驚いた。
『ほう喜さん、「白菊」は初めてか?』
『いえ旦さん。「白菊」という大層なお酒がこの世の中にある!というのは聞いた事があるんですよ。何でも御殿様や御武家様が嗜む様な、わたしらが普段お目にかかれない、素晴らしいお酒でございましょう?いや、ですから当然、そんなものを頂くのは初めてです、という事でして。へえー「白菊」ですか?へえー!!凄いですねえ』
「なんだとおおおおおおおおお!!??」
その展開にダマヤは衝撃を隠し切れず、目を剥いて驚愕し、叫び声を上げた。
――何故だ!!何故ドラゴンキラーではないのだ!!
何故、異世界落語にしない。
「何故だ。これは、明らかにおかしいぞ。何故『白菊』……?」
激しく狼狽するダマヤ。その隣からは痛い程の視線を向けられている。サブリミナル姫である。
「おいおいダマヤ、どうしたのじゃ。随分と吠え面をかいておるな。一体この有様はなんじゃ。またしてもお主の言った通りにはならんではないか。何が嘘はつかないじゃ、ふん」
姫がオーグの首を獲った様にダマヤを見下す。
「えへ……いや、あはは、あの、その、おかしいなあ」
笑いながら、しどろもどろに対応する。
「ま、全く、一福のヤツめが。姫様の前で相当緊張していると見えますな。本当に、しょうがないヤツです。あ!いえいえ、姫様。そう彼を責めないであげて下され。私めが、このダマヤめがしっかり言っておきますゆえ。ですからどうか彼を責めないであげて下され。へえ、どうかどうか……」
「…………」
ダマヤは全てを一福の所為にしたて上げる事で、その場はなんとか誤魔化す事に成功した(していない )。
だが、それでもやはり、歯がゆい思いが残る。
――おのれ一福様。一体どうしたのだ。
ダマヤが読ませてもらった「ヘキュホラプン」の台本にははっきりと「上級酒ドラゴンキラー」と記してあったのだ。
それが何故……。
今、この極楽酒場で「白菊」で演じて受ける訳がない。
一福自身、身をもってその事を痛感している筈だ。
ターミナルに来た当初、異世界落語に改編せずにそのまま落語を演じた事があった。
後に「ソードほめ」と名と筋を変えた「こほめ」である。
一福が「こほめ」をそのまま演じた時、客の受けは芳しくなかった。
その為、ダマヤやクランエも知恵を出し合い、ターミナル版「こほめ」を考える事となった。
そこで一福が得た結論は「ターミナルにはターミナルの文化があり、いくら異世界の落語が面白くても、郷に入っては郷に従う」という事である。その地に則った噺をかけなくては、通用する訳がないのだ。
「白菊」が受ける筈がないというのは、つまりそういう意味である。
聞いた事のない世界の聞いた事のない酒では、観客は感情移入出来ない。
馴染みのある酒でなくては、ダメなのだ。
「うどん」ではなく「チンチローネ」。
「平林」ではなく「アマテラス」。
「白菊」ではなく「ドラゴンキラー」。
その為の変換。
その為の、異世界落語ではないか。
――これは、私が苦し紛れに言った事が当たっているのやもしれんぞ。姫様の前で、流石の一福様も、舞い上がってしまっているのだ。
まったく、こんな、一番大切な時に……。
ダマヤは絶望的な気分になった。
『どれ、喜さん、注ごうかの』
『あ、ありがとうございます。……あ、もうその程度で……ああ、そんな満杯にまで……ありがとうございます』
喜六の持っている器に「白菊」が注がれる。
『それじゃあ、有難く頂戴いたします』
喜六は口を器に近づけた。
『ゴクゴクゴク……』
当然、実際には何も飲んでいないのだが、ゴクゴクゴクという力強い音が一福の喉から鳴る。
喜六は口を離すと、大きく息を吐いて叫んだ。
『プハーーー。いやあ、美味い!!こんな美味い酒は初めてです!!』
『そうか!そいつは良かった!』
一福の落語は続いている。だが、酒場の光景は異様だった。
普段ならクスクスと笑いが起き、喝采が響く落語。
それが現在、笑いは起こらず、客の反応は皆無であった。
思わずダマヤは目を覆ってしまう。
――ほれみろ!まったく受けていないではないか!
客は完全にしらけてしまっている。
当然だ。「白菊」で受ける筈がないのだ。
この落語は――――――失敗だ。
『ゴクゴクゴク……ああ、美味い!!いやあ、凄いですね。まったりとしていてコクもあり、飲みやすい。まるで天使が喉を優しく撫でていってくれているような至福の喉越し……』
『あはは、何を解説してんだ。いや、でも、そんなに美味しそうに飲んでくれるとこちらも振る舞い甲斐があるね。さあ、どんどんやっておくれ』
そう言うと、旦那はおかわりを注ぐ。
『あ、ありがとうございます。頂きます!ゴクゴクゴクゴクゴク…………プハーー!!!本当に美味いですな。手に持っている器を動かすより先に、口が勝手に器の方に向かってしまいます。本当に美味い酒ってのは、口が迎えに行くもんなんですね!!』
喜六は心底幸せそうに「白菊」を飲む。
ターミナルには存在しない、異世界の酒「白菊」を……。
そんな一福の落語を眺めながら、常連のドワーフとエルフが、会話をする。
「……美味そうに、飲むな」
「……ああ、まったくだ。それにしても……シラギクとは、何なんだ」
そこには何もないのに、彼が何を飲んでいるのかが、分かる。
それは酒だ。最高級の酒である。
それを目の前の彼は、本当に美味しそうに飲むのだ。
嬉しそうに。幸せそうに。満足そうに。
そう――場は決してしらけてなどいなかった。
皆は、一福の酒を飲む振りを、固唾をのんで見つめていたのだ。
何度目のおかわりの時だろうか、誰かが思い出した様にパチパチと、拍手をし始めた。それを見た周りの人々も「ああ、そうだった。忘れていた……」とばかりに追随して手を叩く。
手を叩いている内に目の前の落語に対する、想いが、熱量が、無意識に溢れだす。
「あれ?手が痛いな?」と感じている自分を俯瞰で意識する様な、奇妙な感覚を観客達は覚える。
心の奥底から、自然と湧き上がる想いに、身体が支配されていく。
気が付くと、静寂から数十秒のブランクを経て、会場内には大きな拍手が巻き起こっていた。
「おい店主、酒のおかわりだ!」
「俺も!」
「俺も!!」
「俺も!!!」
そして客は、次々と飲んでいる酒をおかわりし始めたのだ。
「シラギク」というものが何なのか、酒場にいる者には一切分からない。
だが、それでもターミナルの人々は理解した。
――あれは、最高に上等の酒なのだと。
一福と共に酒を飲み交わしたい気持ちが、観客のおかわりを呼んだ。
ダマヤは口をあんぐりと開け、信じられないと言った表情でその光景を眺めている。
受けている。それもかなり、今までに無いぐらい。
最高に受けているのだ。
――「白菊」はターミナルにはない、誰も知らない酒なのだぞ。それが、一体どういう事だ。
その理由が、ダマヤには理解出来ない。
――まあ良い、よく分からないが、とにかく助かった。
ここはなんとかなった。ただ、偶然に助けられただけだ。
多分「酒」という共通点だけで救われたのだろう。
だが、ビギナーズラックは何度も続かない。次からはしっかりと台本通り演じてもらわなくては。
――まったく、頼みましたぞ、一福様。
気を取り直してダマヤは再びサブリミナル姫に話しかける。
「姫様。次はですね、旦那が喜六に御馳走を振る舞うのですが。『七面獣のポワレ』が出てきます」
「ほう『七面獣のポワレ』か。あれは美味いものだな」
「ええ、私も一度宮廷の晩餐会で食べた事があります。ほっぺがとろけ落ちそうになりましたよ。あれは、庶民が食べられるものではありませんからね。喜六という男はさぞ驚く事でしょう」
……そもそも喜六。そうだ。まずここからおかしかった。
「喜六」というのは古典落語、上方落語に於けるお馴染みキャラクターである。一福の世界でいう「ドラ〇もん」の野比の〇太、「まじかる☆タ〇るートくん」の江〇城本丸的立ち位置に当たる、主役級の登場人物である。
これまで、一福の異世界落語に「喜六」が登場した事等ない。
これでは、落語そのものだ。
もしや、キャラクターの名前すら変える余裕がないのか。
今日の楽々亭一福は明らかにおかしかった。
だが次は、次こそは「七面獣のポワレ」に決まっている。
ダマヤは確信を持っていた。
台本に、そう明らかに書かれていたからだ。
それに理由は、まだある。
実際の「ちりとてちん」で次に登場するのは「鯛の刺身」である。
旦那は自分の誕生祝いで用意されていた料理をこれから喜六に次々と振る舞っていく。
「酒」「刺身」「茶碗蒸し」「鰻」という順番だ。
それを喜六はどれも初めてだと言って喜ぶというのが、前半の流れである。
先程は「ドラゴンキラー」ではなく「白菊」のままだったが、これはまだ酒という共通点があったからなんとかなったが、次はそうはいかない。
それは何故か。
ターミナルには、生で魚を食べる文化がないからである。
生の魚を食べる事に、ターミナルの人間が嫌悪感を覚えてしまう可能性は高い。
食に対する拒否感は、感情に直接働きかけるものである。
異世界の異文化を嫌でも意識させてしまうに違いない。
そうなったら客は笑う所ではなくなる。ブーイングの嵐。高座に物が飛んでくるかもしれない。
だから、ここは絶対に変えなくてはならない部分なのである。
魚に拘る必要は一切ない。普通に美味しい料理に変えてしまえば良いのだ。
そして一福とイヘブコは、ここを台本で「七面獣のポワレ」に変換させていた。
幾ら一福が舞い上がっているからといって、自ら火中に飛び込むような事をする筈がないだろう。
――今度は頼みましたぞ、一福様。
ダマヤは一福を信じて、後を託した。
酒を何杯もおかわりした喜六に、旦那が言う。
『喜さんや、白菊も良いが、酒のつまみもなくてはいかんな』
『え、何かあるんですか?』
喜六が驚いて顔を上げる。
『ああ、勿論だとも。ここにな――』
――七面獣のポワレ七面獣のポワレ七面獣のポワレ…………。
ダマヤは心の底から七面獣のポワレの登場を祈った。
だが、旦那が喜六に出したのは、七面獣のポワレではなかった。
『――鯛の刺身があるんだがな』
『刺身?初めてです!』
喜六が感動に震える。
『いや、私もね、鯛の刺身という食べ物がこの世に存在する、という事は知っています。でも、食べた事はなかったんです。それはそうですよ。刺身なんて豪華なもの!いやあ、これでいつ死んでも構いません』
『ハッハッハ。そうかそうか。それは良い冥土の土産が出来たものだ。さあ、たんとお食べなさい』
『はい!』
「何だとぎょええええええええええええええええええええええええええ!!??」
ダマヤは再び大声を張り上げた。
「一福様……何故刺身を出したのだ。何故『七面獣のポワレ』にしないのだ。……駄目なのに!刺身は絶対に駄目なのに!!」
「おいおいダマヤよ。お主、また外したのう……。視聴者の実力とやらはどうしたのじゃ?これはお主が考えたラクゴなのだろう?」
「…………ウヌヌ」
サブリミナル姫の皮肉にうめき声を上げるダマヤ。
その時、姫の声が微妙に弾んでいる事を、ジンダ=スプリングは聞き逃さなかった
一福の落語は続く。
いや、もう終わった。
「刺身」等という、生で魚を食べる気持ちの悪い料理を出してしまって、客に受ける筈がない。
やはり一福は完全に舞い上がっているのだ。
このネタは破綻してしまった。
最悪の結末を迎えるに違いない。
だが、ここでもダマヤの予想は外れる事となる。
『ああ、美味しそうですね。刺身』
喜六は箸を割って刺身を一切れつかむ。醤油につけ、口へ運ぶ。
『モグモグモグモグ……ううん!美味い。いやあ、新鮮ですねこの魚は。いえ、わたしらが普段食べているような魚は、死んでどんだけ経ったか分からないってぐらいの、もう腐りかけのヤツですから。こんな、さっきまで生きてました!って感じの魚を捌いた、最高の刺身を食べられるなんて。ああ、口の中で、鯛が泳いでますよ』
『あっはっは!そんな事があるかい』
馬鹿馬鹿しいと突っ込みながらも、幸せそうに刺身を食べる喜六を見て、旦那はやはり嬉しそうである。
それからも喜六は刺身を美味しそうに食べ続けた。
常連のドワーフとエルフが会話をする。
「おい……『サシミ』ってのは何なんだよ……」
「いや、詳しくは分からんが。イップクの台詞から察するに、魚を生で捌いた料理なんだろうな」
「魚を生で!?」
ドワーフが思わず顔をしかめる。
「ゲテモノ料理か。魚を生でだと……信じられん」
「ああ。まさに異世界の文化だな」
「異世界ってのは何なんだ、悪魔でも住んでいるのか?」
ダマヤの予想通り、ターミナルの人間は刺身に嫌悪感を覚えた。
考えた事もない食の発想に怖れ慄き、目の前の男がそれを食べている姿を見て、背筋が震えた。
やはりイップクは遥か彼方の異世界の住人。自分達とは文化や価値観の違う、化け物なのだ。
その事実をまじまじと見せつけられた。
客の気持ちは一気に離れていくに違いない。
ダマヤはそう確信した。
だが、観客は立ち上がってブーイングをする訳でもなく、物を投げつける訳でもなく、店を出ていく訳でもない。ただ、喜六が刺身を食べる姿を眺めていた。
『モグモグモグモグ……いやあ!!!美味い!本当!あまりに美味すぎて、鼻がツーンとして、涙が出てきますね!』
『それはお前さん、山葵が効いているんだよ。ははは、大袈裟な事を言って。でもそんなに喜んでくれて嬉しいよ、喜さん』
『いやあ美味しいですねえ!モグモグ……ガツガツ……ムグムグ……』
「……だが、なんだろうな……この気持ちは。そんなゲテモノ料理でも、目の前であんなに美味しそうに食べられると……私も一度食べてみたい、なんて思うんだよな」
「ああ、まったくだ」
「だって、イップクが食べているんだからな。彼は、悪魔じゃない。彼は最高の芸人であり、我々の良き友人だ。それに関しては、私達が一番よく知っているじゃないか」
「ああ、そうだな。その通りだ」
そこで思わず、ドワーフの喉がゴクリと鳴った。
その小さな音が、合図となり、酒場の人間はたまらず次々に声を上げ出した。
「おい、美味そうだぞ!!イップク!」
「ズルいぞお前だけ!!」
「何なんだそれは!!」
「一体『サシミ』とは何だ!?」
「俺達にも食わせろ!!」
『嫌ですよ!これは旦那からわたしが頂いたんだ。悔しかったらあんた達も異世界に召喚されてみるんだね』
そこで一福が……いや、喜六が客と当たり前の様に会話をする。
そのやり取りで、とてつもない大爆笑が巻き起こる。
手を叩き、腹を抱えて笑う人々。まさにそれは緊張と緩和の高低差の成せる業であった。
古典落語の名物キャラクター「喜六」とターミナルの住人が、世界の垣根を越えて、会話をした歴史的瞬間でもあった。
――これは一体、何が起きているのだ。
ダマヤはすっかり状況に置いていかれている。
それは二つの世界を知るダマヤ故の弊害とも言えた。
文化の違いを知り過ぎている彼には、ターミナルと異世界は、決して相容れないものだと決めつけていたのだ。
だが、人と人、文化と文化は混じりあい、重なり合い、繋がり合うものである。
一福の落語はドワーフとエルフを繋ぎ、技と魔法を繋ぎ、勇者と過去を繋いできた。
その絆が、影響が、今目の前にはっきりと具現化している事に、ダマヤは気が付けずにいた。
「のう、ダマヤ。次はなんじゃ。旦那はキロクに何の料理を御馳走するのじゃ。さあ、早くわらわに教えておくれ」
「え、ええ。次は……ですね……」
驚くべきことに、姫の方から次の筋を訊ねてきた。
だが、その声色には満面の意地悪な響きが詰まっている。
また恥をかかせるつもりであるのは火を見るより明らかである。
だが、ダマヤは受けて立つ他ない。
必死に次の流れについて考える。
実際の「ちりとてちん」では次に「茶碗蒸し」が出てくるのだが、ダマヤが読んだ異世界落語の台本では伝説の宮廷シェフの料理「セントラルスープ」となっていた。
「茶碗蒸し」か「セントラルスープ」か……。
先程からダマヤは一福に裏切られ続けている。
一体次はどうなるのか。どうすれば良いのか。何を信じれば良いのか。
「さあさあ、次は何が出るのか、わらわに教えておくれ」
「次は…………セントラルスープです!」
ダマヤは一福を信じ、断言した!だが直ぐに裏切られた!
『喜さん、茶碗蒸しがあるんだが。茶碗蒸し、食べるかい?』
『茶碗蒸し?初めてです!』
『あっはっは!何でも初めてだなあお前さんは。嬉しいねえ』
「ふんげえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!???!?!?」
椅子から引っくり返りふんげえという叫び声を上げながら地面に倒れるダマヤ。
それを見て心底嬉しそうなのはサブリミナル姫である。
「なんじゃなんじゃダマヤ。お主の言うことは最前から一度も当たっておらんな。うーん?どうしたのかのう?どうも王宮視聴者殿は調子が悪いようじゃ。宮廷を追い出されてからブランクがあるからかのう」
姫が美しい瞳を爛々と輝かせてダマヤを見下す。
フードから見え隠れするその麗しい表情を斜め後ろから見ていたナナセはハッと息を飲んだ。
だがダマヤにはそんな事を考える余裕はない。
――クソ!姫も一福様も私を馬鹿にしおって。
ターミナルに存在しない「茶碗蒸し」等という料理で、受ける筈がない。こうなったら滑れ!滑り倒せ!滑り死ね!!
一福の失敗を神に祈る。だが、その身勝手な願いを神が聞き入れる筈もない。
「チャワンムシ?」
ターミナルでは聞きなれない単語に、始めは客も何の事か分からず困惑していた。
だがそれも喜六がチャワンムシを食べ出すまでの、ほんの少しの間の事だった。
『ほっほっほっ……、はふっ、ほっ、いやあ、ほの、ちゃわんむしは、熱いんですね。ほっふ……ムグムグムグ…………!!!いやあ、美味い!!!旦さん、こんな美味しいものは初めてです!!』
『そうかいそうかい。たんとお上がりなさいな』
なんとも熱そうに、そして美味しそうにチャワンムシを頬張る喜六。
『いやはあ、はふ、ほふ、ちや、わんむ、しはほふ……はっふ、ほっふ、へっふ、ちゃわんむしとほっふ、いうへっふ、ものがはっふ、あるとほっほ、いうのは、はっはっっほっほ、知ってましたはっふ、でも、食べるのはっふっほっふ……初めてへっふほっふ、でしてへっふ』
『喋らなくていいから、ゆっくり食べなさい』
旦那が笑いながら喜六を嗜める。
その光景を酒場の人々はただ、呆けたように眺めていた。
常連のドワーフとエルフの会話である。
ドワーフが瞬き一つせず、目の前の光景を見ながら口を開く。
「おい、エルフ」
「なんだよドワーフ」
「俺はその『チャワンムシ』というのが一体どういうものなのか、皆目見当もつかんのだが。そんな俺がこんな事を言ったら笑われるかもしれんが……」
「……笑わないから言ってみろ」
隣のエルフも、瞬き一つせず一福を見つめながら、促す。
「チャワンムシってのは、こう、手のひらサイズの円柱の器に入っていてよ。匙で掬って食べるんだ。だけど、スープとは違うんだな。なんだろうな?卵を溶いてダシと一緒に、器に入れて……」
「ああ……それで?」
「具は鳥肉だとか、魚介だとか山菜だとかを入れて、蒸すんだが」
「ああ」
「ああ、あと『ギンナン』は外せないな。……あれ?『ギンナン』ってなんだ?何で俺、今そんな単語が浮かんだんだ?あはは……わけわかんねえよ。でも……うん。『ギンナン』は、外せないんだ……」
「ああ……」
「でさ、そういう食べ物が……今俺の目の前に、見えているって言ったら……お前はやっぱり笑うよな?」
ドワーフは困惑した様に笑いながら、自分でもよく分からない事を口にする。
「笑わないさ……」
隣のエルフは穏やかな表情で首を横に振った。
「何故なら、私にもはっきり見えているんだからな。ああ……『ギンナン』は外せないよ」
「お前……」
ドワーフは隣のエルフを見る。
つい先日まで敵対していた種族である彼の横顔が、まるで旧知の友の様に思えた。
「そうか……茶碗蒸しか」
「茶碗蒸しだな……」
二人の友は、顔を見合わせ、笑いあった。
ターミナルではまだ誰も作った事のない、説明すらされていない異世界の料理が、一人の噺家の演じる落語によって、この瞬間理解された。
「茶碗蒸し!!」
「茶碗蒸し!!」
「茶碗蒸し!!」
「茶碗蒸し!!」
「茶碗蒸し!!」
「俺も食べたいぞ!!」
「店主!今すぐ作れないのか!!」
盛大な拍手と歓声と「茶碗蒸し」コールが一福を包み込む。
一福はその声にはふほふと茶碗蒸しを食べる振りで応えた。
大歓声の嵐が極楽酒場に巻き起こっている。
当然、店の外にもその騒ぎは伝わり、何事かと覗きこむ者が席につき、立ち見席が生まれ、あっという間に超満員。熱気が、共感が、感動が、その場を支配していた。
――なんだ……一体、何が起きているのだ。
ダマヤは目の前の光景が理解出来ないままである。
旦那はご満悦で更に喜六に食べ物を勧める。
『喜さん、茶碗蒸しもいいが、鰻が焼けたみたいでな。ご飯に乗せてうな丼にして食べないかい?』
『なんと!ご飯ですか!?初めてです!』
『嘘をつけ嘘を』
旦那が思わず突っ込む。
そこでは観客にも素直な爆笑が生まれる。
ご飯はターミナルにも存在するのだ。
「白菊」「刺身」「茶碗蒸し」と、聞いた事のない料理が連続で続いた後、ふいに現れたポピュラーな存在に、人々は皆、安心して笑う事が出来た。
飲む振り食べる振り美味しい振り喜ぶ振り。
決して本物ではない「振り」によって、人々の瞳に見た事もない異世界の料理を映し出す。
緊張と緩和の緩急を使い分け、人心を掴み、笑いを生み出す。
正にこれこそ匠の成せる業であった。




