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04.エリオンのココロ


 剣闘会を終えて城に招かれた僕はココロと合流し、勇者同伴の元、その国の王と謁見した。そこで勇者の一団に加わるよう誘われ、首を縦に振る。


「そうか、よくぞ引き受けてくれた。お主のような強者を迎え入れることが出来て嬉しく思う。さて、剣闘会優勝の褒美と合わせて、魔王討伐に加わる褒美についてだが……」


 そして王から褒美を問われた際、ある一つのことを願い出た。


「王様、お心遣い感謝いたします。ですが、僕に褒美は要りません。その代り、戦争の間は彼女を城に匿って欲しいんです」


 背後に控えていたココロの方を見ると、彼女は驚いた顔をしていた。僕は意外そうな顔をしている王に視線を戻すと、ここに来た経緯などを多少偽って説明した。


 また迷ったものの、ココロの正体についても明かした。


「ココロの母親は……魔女でした」


 後になって何らかの形で正体が露見するよりも、栄えある場で先に明かしてしまった方が賢明だと判断したためだ。ココロの心的負担もその方が少ない。


「そして彼女も、魔女として生きています」


 ――魔女。


 僕の口から出た言葉に、王様は体を固くした。

 傍に控える勇者は、「へぇ」と唇を曲げる。

 

「ココロの母親は、流行り病に犯された村を薬で救い……それが教会の目に止まり、殺されました。幼い彼女の前で火刑に処され、それがきっかけで……彼女は声も失ってしまいました」


 王様は僕の話を聞くと、悲愴な、何かに打たれたような表情になった。

 やがてじっと考え込むような姿勢を取り、傍らにいた勇者に視線を送った。


 勇者は白い歯をこぼして、屈託や含みのない笑みを見せた。

 そこで王様は正面に向き直り小刻みに何度か頷くと、「分かった」と言った。


「お主の望むようにしよう。戦争が始まれば、人々の不安や鬱憤を解消するために、教会は魔女狩りを頻繁に行うだろう……だが、お主が戦争に赴いている間は、ワシが責任を持って彼女を城に匿おう」


 僕は深い安堵の息をこぼすと、王に向けて深々とお辞儀をした。


「本当に、本当に有難う御座います」


 顔を上げると、勇者が片頬を窪ませて笑いながら僕を見ていた。


 それから僕とココロは城の部屋をそれぞれあてがわれ、滞在することになった。生活に不便がないようにと、迷路のような城内を城の人間に案内される。


 僕は戦争が始まるまで、勇者たちと訓練を積んだ。


 その国の将軍という人間が説明するところによると、勇者の一団とは、少数精鋭の魔王討伐部隊だという。その部隊に入るには、各国の将軍と同等かそれ以上の強さが求められるとも。


「俺はアスラだ。えっと、それでお前は……」

「エリオン」


「エリオンか。よしっ、覚えたぜ!」


 勇者の一団は勇者アスラを含め、全部で五人。


 僕とアスラが最年少で、他の三人は壮年の、各国に名を轟かせた武人だった。彼らとの連携を図りながら、教会が魔族との戦争を宣言するまで力を蓄える。


 ココロが魔女であることは城では伏せられていた。また、彼女は来賓扱いにも関わらず、城の掃除係を買って出て、朝早くから懸命に働いていた。


『え? ぜ、全然そんなことないよ。私は自分が出来ることを、一生懸命やろうとしてるだけだから』


 ココロが母親の手伝いをしていた頃の、それを褒めた際のことを思い出す。辛い経験をしながらも、そうやって真っすぐな彼女の存在を僕は眩しく思う。 


 ――なぜ、こうも彼女は歪んでいないのだろう。


 同時にそう考えもした。


 魔女の娘に生まれ、魔女として生きざるを得ない彼女。目にしたことはないが、村人との付き合いの中で疎まれることも、軽んじられることもあっただろう。


 ――なのに、どうして……。


『誰かにされたら傷つくようなことを、相手にしちゃ駄目だよって。その代わり、誰かにされて自分が嬉しい優しさは、ずっと覚えていなさいって。そうやって生きていけば、世界は沢山の優しさで溢れ返るって』


 ひょっとして、誰かにされて傷つくようなことが多かった彼女だからこそ……。


 また、中庭などで訓練の最中に視線を感じると、清掃婦の格好をしたココロが僕を見ていることが何度かあった。多分、休憩中にわざわざ見に来たんだろう。


「ココロ!」


 手を振ると、「あっ」と驚いた表情をした後、少し照れた顔で手を振り返してくれた。そんなことで、たまらなく満たされた気分になる。


 ココロもそれで満足したのか、その場から去った。


「おっ、なんだよエリオン。ニヤけた面しやがって」

「アスラ……ニケけてなんかないだろ」


「い~~や、いつも仏頂面なお前がニヤけてると直ぐに分かるぜ。って、ん? あの後ろ姿……。なんだ、あの女の子か。やっぱ、お前らはそういう」


「なんだよ、そういうって。別にそんなんじゃ」


 勇者とも気安い間柄になった。正確に言うならば、事あるごとにアスラが話しかけてくる内に、自然と打ち解けてしまったのだ。


 でも僕は出来るだけ、ココロと彼を対面させないようにした。僕と彼が仲良くしているところも、出来るだけ見せないようにも。それが彼女のためになると信じたからだ。 


 日々はそうやって過ぎる。戦争など遠い出来事のように感じながら。


 僕とココロの人生は、あらゆる過去や経歴を洗い流し、まるで奇麗な鉱石のように輝いていた。そんな日々が、ずっと続けば……戦争など訪れず、このまま……。


 情けなくも無情に、その日は訪れる。城に訪れてから、半年が過ぎた頃――


 教会が魔族との戦争を宣言し、歴史に任意の一行として刻まれる戦争が始まった。魔族による人間界への侵攻も、時を同じくして開始される。


 人間族の神、魔王。ジェルミラ大陸。

 二つの種族による壮大な、大陸に血と命を捧げる儀式のような戦争。


 少数精鋭の勇者の一団。僕らはいち早く、魔族の住む地に足を踏み入れた。あの森――僕とココロが幼い頃に遊んだ森を通じて。


『絶対に迎えに来るから、それまで待っていてね』


 心配そうな顔で僕を見送るココロにそう言って、城から旅立った。身を潜め、時に魔族と戦闘行為を繰り返しながら、大陸西北に位置する魔王の城を目指す。


 出来るだけ目立たぬよう、注意を払って進路を選択した。教会は前回の戦争が長引いた結果、国土を荒廃させた教訓を活かし、勇者に電撃作戦を命じていた。


 また、その戦いの途中、アスラは魔法と呼ばれる神の力を使わなかった。


「魔法に頼る者は、魔法によって滅ぶ。それにいくら魔族の世界とはいえ、火を生みだして一発ぶっぱなせば、確実に均衡を崩すことになるからな」


 尋ねる僕に、彼は遠くを見つめるような目でそう言った。 

 勇者アスラ――彼は僕にとって、全く新しい人間族だった。 

 

 当然ながら、彼にも醜い所や汚い所があると思う。僕がそうであるように。


 しかし彼は、そういった物を感じさせなかった。清濁を併せ呑むような性格で、いつも朗らかに、時に馬鹿笑いを響かせていた。


「エリオン、お前、あのココロちゃんとかいう娘に惚れてんだろ? な? な?」

「うるさいな、放っておいてくれよ」


「か~~~! ったく、エリオンは直ぐにこれだからよ」


 道中で叩かれるアスラの軽口は、僕たちを笑顔にした。一団の年長者たちも、過酷な旅の雰囲気を明るく保つ彼の性格に、一目置いているようだった。


 また厳しい戦いの中で、僕たちはより深く、静かにお互いを認め合っていった。


「エリオン、左だ!」

「分かってる! アスラ、そこっ!」


「あいよぉ!」


 精神年齢が近かったということもあるだろう。お互いの背中を任せられる仲。

 口に出しては言わないけど、そんな信頼感が二人の間に芽生えていた。


 そんな最中、僕はある瞬間に彼を、かけがえのない友人のように思っている自分を見つけた。だけどアスラは勇者で……僕は……。


 僕たちが魔王の城に侵攻している間にも、大陸のあちこちで、魔族と人間族の戦いが繰り広げられていた。


 数に勝り、巧みに軍隊を操る人間族。力に勝り、魔力と堅い皮膚を持つ魔族。

 戦況がどちらに有利なのか。情報が遮断されている僕らには、分からなかった。


 ただエリオンは「教会は今回の戦争で、魔族を根絶やしにしようと考えている」と言った。「だが……魔族の力は強大だ。一筋縄ではいかないだろう」とも。


 徐々に高まる緊張感。口数が減る仲間たち。威容を誇る、魔王の城が近づく。

 やがて僕らは魔王の居城へと辿り着き、ついに城内へと侵入を果たした。


 だが僕たちの行動は魔王側に筒抜けとなっていた。


 城内で分断される勇者の一団。

 それでも皆が、城の最上階にあると目される魔王の玉座を目指した。


 その道すがら、僕はある魔族と再会を果たすこととなる。

 魔王軍、四天王の一人……。


 城内の薄暗い大広間。石の床を叩く足音が、闇が敷かれた通路の向こう側から聞こえる。その先から姿を現したのは、一人の美しい女魔族。


 


「お久しぶりです。エリオン様」




 ――レイラと。




 * * *




 血の匂うような闘いが繰り広げられていた。


「はぁっ!――」


 変幻自在に伸縮する魔剣を、レイラは鞭のようにも剣のようにも扱った。何らかの骨を、幾つも積み重ねたかのような魔剣。剣の切っ先が、僕の喉元を狙う。


「――っ!」


 僕はそれを剣で弾いた。


 先程避けた際には剣先が軌道を変え、再度迫って来たという経緯があった。

 その為、一撃一撃を確実に捌く必要がある。


「はぁぁぁぁぁ!」


 レイラは最強の魔族の一人として、決して攻撃の手を緩めない。距離を置いて剣を操りながら、僕の隙を突いて暗黒の波動を手から放出してくる。


「くっ――」


 僕もそれに対抗すべく、手から魔力の奔流を迸らせた。二人の中間距離でぶつかった魔力は相殺され、その先に、満足そうに微笑むレイラの顔が見えた。


「強くなりましたね、エリオン様」


 僕はそれに薄い笑みで応じると、また同じことを尋ねた。


「どうしても、戦わなくてはいけないの?」


 レイラは小さく頷く。


「エリオン様が魔王候補生として、或いは、勇者の仲間として遣って来たのであれ、私は四天王の一人としてあなた様と戦わなければなりません」


「そうか……やっぱり、そうだったんだね」


 魔王となる条件。

 それは……魔王候補生として城に訪れ、試練を突破し魔王を倒すこと。


 魔王候補生は、僕を含めて四人。魔王に仕える最強の魔族も四人。

 試練とは、それぞれの候補生の庇護者でもある四天王を倒すことだと気付く。


 俯いた後、師でもあり育ての親でもある女魔族を見た。彼女の強さは、ビリビリと空気を通じて伝わってくる。僕は泣きそうな顔で笑い、決意を研ぎ澄ませた。


 そして――


「レイラ、これが……全力の僕だよ」


 久しぶりに僕は、本来の姿に、魔族の姿へと戻った。

 

 バチバチと音を立てて塵が弾け、姿が瞬時に塗り替わる。

 途端に体が軽くなり、小指の先まで魔力の充実を実感した。


 レイラとの訓練を通じ、また勇者と共に魔族と戦う中で、倒した魔族の力を密かに吸収していた僕の魔力は、生まれた頃に比べ格段に高まっていた。


 魔力を少し解放すると、僕を中心として風が生まれた。


 レイラはそんな僕の姿を、感慨深そうに眺めていた。

 だが次の瞬間には顔を引き締め、鋭い声で僕の名を呼んだ。



「来なさい! 魔王様の敵たる勇者の仲間にして、魔王候補生、エリオン!」



 僕はさよならを言うように、ゆっくりと頷いた。多分、後になってこの時のことを何度も思い出すだろう。そんな悲痛に近い予感を抱きながら。


 翼をはためかせ、放たれた弓矢のようにレイラへと向かう。その際、ココロと旅をしていた時に酒場で聞いた、吟遊詩人の詩が脳裏を過った。


 ――たたかいの手記がたたかいなら、きみは沈黙せ。(*)


 レイラが剣を構える。僕も飛びながら剣を構えた。


 ――勇気はいつも辛くて、うめきに似ていたから。(*)


 二人の距離が近づく。


 ――きみはただ、沈黙せ。(*)


 レイラの顔がそこで、優しく、微笑んで……。


 ――きみの孤独な陣地に、春がめぐって来るまで。(*)











「……お見事です……エリオン様」













 

 僕へと向って伸びるレイラの剣を避けた僕は、彼女の懐に剣を沈めていた。魔族特有の鋼のような皮膚を突き破り。体の中心にある魔魂(まこん)を貫いて。


 顔を上げると、レイラは慈愛の灯った眼で僕を眺めていた。


「レイラ……」

 

 笑みを深める彼女。吐き出される紫色の血。

 僕は剣の柄から手を離し、彼女と対面した。


 誰よりも長い間、僕の傍に居続けてくれた彼女。

 無表情で無口で、厳しくて……。


『エリオン様』


 でも本当はとても優しい、僕の……レイラ……。


「いつの間にか、私よりも身長が高くなっていらっしゃったのですね」


 胸に剣を生やし、口元から血を滴らせながらレイラがそう言うと、僕はたまらない気持ちになった。瞳の奥が熱くなり……でも僕は、自分でこの道を選んだんだ。


 彼女はそこで下を向き、苦笑し、迷っているような気弱な光を目に籠らせた。やがて静かに言う。


「私にも……子供がおりました」

「え?」


 突然の告白に、僕は現実を見失いそうになった。

 彼女は顔を上げ、過去を懐かしむような、惜しむような表情で続ける。


「しかし、馬鹿ですよね……」

「レ、レイラ?」


「彼が四天王となることに期待をかけた私は、魔力を増大させるため、厳しい訓練を課し……その訓練の最中、彼は命を落としました。私はそのことを、ずっと、悔いていた……私は息子の成長を見守ることが……出来なかった。でも、私は……エリオン様と出会い……」


 驚愕に目を見開いた僕は、その先の言葉を悟り、胃が痙攣するような嗚咽を呑みこんだ。顔が哀惜に歪み、うめきが漏れそうになる。


 でも、別れに際してそんな態度は相応しくない。そう思い、無理に微笑んでみせた。レイラの自慢の息子の一人として、彼女の最期を看取るために。


 レイラは口角を上げて満足そうに頷くと、持っていた剣を僕に差し出した。


「魔剣……ドライセル。私と共に生まれた魔剣です……エリオン様なら……使いこなせるはずです。どうか、これをお持ちになって下さい」


 僕を躊躇うことなく、剣に手を伸ばした。

 ずっしりとした重さ。柄は無骨な魔族の手にもしっかりと馴染む。


 ドライセルを構えてみせると、レイラは目を細めた。


「よく……お似合いですよ」


 そして僕がお礼の言葉を述べようとすると、 


「レイラ……ありが――」


 僕の言葉を待たず、レイラは闇の粒子になって弾けた。

 でも最後の瞬間には、あの無表情を忘れ、嬉しそうに微笑んでいたんだ。


 僕は魔剣を手に、体をブルブルと震わせた。


「レイラ……ありがとう」


 暗黒の粒子が僕を包む。それを吸収すると、魔力は更に高まった。

 僕は自分の剣を床に突き刺すと、人間の姿に変わり、その場を後にした。


 一度だけ振り返ったが、そこには当然のように誰もいなかった。

 人間族のいう墓標のような剣が一本、無機質に光っているだけで。




 * * *




 僕が城の最上階に位置する玉座の間に駆けつけると、既に戦闘が始まっていた。

 余人の介入を許さない凄絶な死闘。一種、美しくも見える光景。


 ――魔王と勇者の戦いであった。


 長い黒髪に、黒光りした角。強靭な魔族の肉体。

 恐ろしい程に蓄えられた魔力を持つ、漆黒の翼の主――魔王。


 二人の激しいぶつかり合いに、その空間は悲鳴を上げていた。


「ちっ、さすが……何百年も前から、魔王をやってるだけのことはあるな」

「貴様こそ、ただの小僧ではないらしいな」


 接近していた二人が離れ、一呼吸を行う間が挟まれる。

 僕は機を逸さずに、アスラの傍に駆けつけた。


「んだよ、遅いじゃねぇかエリオン」

「これでも他の人たちと比べて、随分早いと思うんだけどね」


 僕が彼の軽口に応じると、魔王が怪訝な表情となった。


「エリオン……? それに、この魔力の波動は……」


 僕は魔王に魔剣ドライセルを構える。

 アスラが視界の端で、物珍しそうな目で剣を見ていた。


「お前、その剣は?」

「あぁ、四天王の一人を倒して手に入れたんだ」


 平静を装い、何でもない風に応えた。

 すると彼は「すげぇな」と朗らかに笑い、魔王は「ほぉ」と口の端を歪めた。


 魔王の微笑の中に、全てを理解した含みがちらとひらめく。


「レイラの魔剣を……そうか、そういうことか……ふ、ふはははははは!」


 得心した表情で笑い始めた魔王に向け、アスラが言ってのける。


「おっ、ついに観念する気になったのかい? 魔王さんよ!」

「いや、何でもない……では来るがいい、勇者たちよ!」


「言われるまでもねぇ、いくぜ相棒!」

「あぁ」


 そうして僕たちは、魔王との最終決戦に臨んだ。


 アスラは戦いの最中、初めて魔法を使った。焔を吐く、燃え盛る紅蓮の火を両手に生みだし、大気を震わせる一撃を魔王へと放つ。


「うりゃぁぁっぁあ!」


 放たれた火は標的へと向かう途中で合流し、より大きな炎となって魔王を包む。


「へへっ、どうだ……なっ!?」


 骨すらも溶かすと思われる、灼熱の一撃。


「ふっ、これが人間族の神から託された魔法の力か……温いな」


 だが魔王は身に纏わり付いた炎を魔力で吹き飛ばし、まるで何もなかったかのような顔で微笑む。「野郎」と勇者が苦々しく笑う。


 僕は魔力を攻撃手段としない代わりに、肉体の強化に充てた。

 それと共にドライセルに魔力を通わせて、鞭のように操る。


「はぁぁぁあぁぁ!」


 その一撃は、魔王の鋭い爪によって簡単に弾かれる。


「ふっ、レイラのドライセルならば、もっと魅力的な動きを見せたぞ?」


 魔王の力は凄まじく、簡単には息の根を止めることが出来なかった。


 肉体と精神を、限界まで酷使する。

 生命という根源的な単位を差し出しながら、僕らは魔王と争った。


 一人ではおそらく……魔王を倒すことは出来なかっただろう。

 惨めな屍を晒す、一人の魔王候補生の姿が容易に想像出来た。


 ひょっとすると、アスラも同じようなことを考えているのではないかと思った。


 しかし、僕らは一人じゃなかった。お互いの存在がお互いを鼓舞し、勇気付け、一人なら発揮できないような力を与える。


 戦闘は初めて数十分も経つと、徐々に僕らが優勢を占めるようになってきた。


 魔王から放たれる魔力の波動は、僕が前に出て、魔剣を盾にして防ぐ。

 肉体と精神の双方に沁み入るような、重量感を与える衝撃が僕を襲う。


「く……防いでくれ! ドライセル!」

「ちっ、押しきれんか」


 僕と魔王の視線がぶつかり合う。


 その隙を逃さず、アスラが僕の肩を踏み台にして高く飛んだ。

 左手で火炎弾を降らせながら、右手の剣で魔王に斬りかかる。


「だっぁぁっりゃぁぁあ!」

「何っ!?」


 魔王がその一撃を腕で防ぎ、その腕を大きくなぎ払ってアスラを退けた。

 今度はその隙を僕が突き、肉薄しながら魔剣を振るう。


「そこっ――!」

「くっ!?」


 息の合った僕とアスラの連携に、魔王は押され始めた。

 そして、ついにその瞬間がやって来る。


 ドライセルが軋む音。魔王が全力で放った魔力の奔流を防ぎきれず、僕は剣を盾にした格好で後方に吹き飛ばされた。


 壁に激突する事態を避けるべく、何とか宙に浮いた足を床に着け、滑るようにして踏み留まる。靴と床が擦れる耳障りな音を、安堵しながら聞く。


「はぁ、こ、こうも、私を手こずらせるとは……」


 魔王が荒い息を吐きながら、そう独り言をこぼす。

 

 ――それが彼の命取りとなった。


 横から回り込んだアスラが、魔王の視界の端から躍りかかる。


「おっっりゃぁぁぁぁぁあ!」


 銀の輝きが閃光のように生まれ、線となって走る。

 人間族の勇者が剣を振り下し、渾身の一撃を魔族の王に見舞った。


「くっ――、ば、馬鹿な!?」


 態勢を崩す魔王。


「へっ!」 


 笑みを深めるアスラ。


 彼が剣を構え直し、最後の一撃を加えるその間際――。


「はぁぁぁあぁぁぁぁああ!」


 僕は真の姿を現し、魔剣を構えたまま魔王に向かって飛んだ。

 そして、ひび割れた剣に魔力を込め、鋭い切っ先を蛇の舌のように伸ばした。 


 一刹那が刻まれた後、魔王は僕に微笑みかけた。






「……やるな、魔王……候補、生……エリオンよ……」





 

 魔剣ドライセルが、魔王の体を刺し貫いていた。

 魔王候補生が、現魔王を打倒した瞬間でもあった。


 激しい戦いの中で傷ついた魔剣が光の結晶となって弾け、その役目を終える。


 ――ドライセル……ありがとう。


「なっ!? 魔族!? いつの間に、それに……魔王をやるなんざ、どういう……」


 アスラが目を見開き、魔族の姿となった僕を見ていた。

 僕は彼に一瞥もくれぬまま、魔王に歩み寄る。


「魔王候補生エリオン、魔王となるべく参上しました」

「見事だ……さぁ我が蓄えた魔力、存分に食らうがいい」


 迷わなかったと言えば、嘘になる。


 ここで僕が魔王とならず、勇者に止めを刺させれば戦争は終わるかもしれない。

 或いは、残された魔族と人間族の熾烈な戦いが続くのかもしれない。


 不確かさに左右された運命を、死に行く魔王を通じて眺めた。


『エリオン様、今後、あなた様は存在の仕方なさに押し潰されそうになることが、あるやもしれません』


 僕はそこで、育ての親である女魔族の言葉を思い出した。


『しかし、自分が一体、何を大切にしたいのか。何を守りたいのか。それを常に思い出すようにして下さい』


 前髪に表情を隠し、ゆっくりと魔王に手をかざした。


『ふふふ。エリオン、いつもありがとう』


 過去の情景に思いを馳せ、あの日の感情を呼び起こす。

 意識に咲く、美しい花の名前を思い出そうと……。


 ――僕のココロ。


「ふっ、ふははははは! 新しい魔王の誕生だ!」


 魔王は笑いながら闇の粒子に次々と姿を変えると、僕の中に吸い込まれていった。やがて全てを吸収しつくすと、僕の体は闇色の光に包まれる。


 魔族の頂点。並居る魔族の王。

 ――魔王としての、魔力と肉体を得た。


「これが……魔王の力」


 呟き、自分の両手を眺める。全てが禍々しく変貌を遂げていた。体も大きくなり、絶大な魔力がぐろぐろと、体の中で噴火しそうな程に渦巻いている。


 思わず笑みを浮かべる程の、圧倒的な力だった。

 だが僕は……力を得たいがために、魔王となった訳じゃない。


 その考えが僕を冷静にさせた。


「エ、エリオン……お前……」


 愕然とした表情のアスラに顔だけを向ける。


「あぁ、僕は魔族だ。そして、魔王候補生として生まれたんだ」


 雷が落ちたような衝撃が、彼を襲っているようだった。は、ははは、という気の抜けた笑い声が、彼の口から壊れ物のような形で漏れる。


「でも……僕は、魔王になるつもりなんかなかった」

「何? どういう……」


「戦争が始まって、それで僕は、彼女が……ココロが悲しまない世界を作りたくて……」


 アスラは無言のまま、問いかけるような目で僕を見た。

 僕は体ごと彼に向け、口元を引き絞りながら言う。


「国王に話した通り、ココロは魔女の娘だ。僕と彼女は、あの魔族と人間族との境界にもなっている森で、小さい頃に出会ったんだ。でも母親が魔女狩りに遭い、目の前で殺され……ココロは声を失くしてしまった。彼女は一人になってからも、ひっそりと、でも一生懸命に生きてきた。魔女の娘に生まれてしまったが故に、人間族でありながらも、人間として生きられないココロ……。僕は人間族に化けて、そんな彼女に寄り添い続けていた」


「お前……」


 そこでアスラが、苦しげに眉根を寄せた。


 それでも僕の口は動き続ける。多分、友と呼べる人間に聞いて欲しかったんだと思う。自分の決意を、それを通じた、拙いなりの自身の在り方を。

 

「だけど、この戦争が始まってしまった。僕は僕なりに考えて、この戦争を終わらせようと思った。ココロに平和な日常を取り戻したかったんだ。そのためには……魔王になるのが一番だと思った。それに魔王となれば、戦争が終わった後、魔族の世界に彼女を連れてこられる。傍に置いて守ってやれる。人間族の世界で、悲しい思いをしなくてもよくなる」


 そう僕が言い終えると、アスラは頭を掻きながら、儘ならない人生を垣間見た人間の目で笑った。そうか、そうだったのか、と。


「うん、そうなんだ。それで……」

「ん?」


「僕は、魔族の王として、この戦争をお終いにしたいんだ」


 勇者の曇りなき眼を真っすぐに見つめながら、僕は言った。

 彼はそこで目を細め、両手を腰にやって地面を見ながら苦笑する。


「そうか。だがな……例えお前が魔王となって、戦争を望まないと言っても、俺はお前と戦わなくちゃならない」


 その一言は、とても悲しい響きを伴って僕に響いた。

 何処か憂いを秘めた彼の目と目が合い、無量の寂しさが身の内に渦巻く。


「どうして?」


 尋ねながらも、その実……何故だろう、答えを分かっているような気がした。

 そこでアスラが重々しく口を開く。



「それはな……俺が勇者で、お前が魔王だからだ」



 困ったな、と語りかけるように笑いながら彼が言う。


「俺は勇者候補生として生まれた後、勇者となるために色んなものを失った。俺が望んでそう生まれた訳じゃない。だが運命は、盲目の像みたいに沢山の物を踏み潰し、奪っていった。姉さん、村、両親……同じく勇者候補生だった友……」


 そこでアスラは言葉を詰まらせ、僕から視線を外して虚空を見た。


 彼も勇者候補生として生まれ、勇者になった男だ。表面通りの、呑気な男じゃないということは、強く察していた。彼には彼の物語があるということも。


 常にない表情で顔を強張らせるも、再び笑顔になってアスラは僕に視線を戻す。


「だから、俺は勇者になった時に誓ったんだ。失われたもののため、神のため、教会のため、何よりも俺自身の生涯のために……勇者の宿敵である魔王を倒すと。そして、勇者候補生として生まれた宿命にケリを着けると。俺にとってこの旅は、俺の宿命を終わらせる旅でもあるんだ」


 僕とアスラの悲しさは、少しだけ似ていた。

 困ったね、と応えるように、僕も苦笑う。


「そう……」

「あぁ」



 ――存在の仕方なさ。



 懐かしい言葉が、脳裏に浮かんだ。

 それはきっと、様々な形を取って、今日も世界の色々な所に溢れている。


「それじゃあ……戦おうか。勇者」


 僕は静かに、短い付き合いだが、確かに友と呼べる人間に呼びかけた。

 彼はそんな時でも清々しく笑い、軽口を絶やさなかった。


「あぁ、頑張れよ魔王。俺は強ぇぞ」


 それは僕の心の内に、懐かしい風を呼び起こした。


『さぁ、始めようか。言っとくが、俺は強いぜぇ』


 僕は目を伏せると言った。


「うん、知ってる」

「ははっ、うしっ! んじゃ始めっか。どっちが勝っても恨みっこは無しだぜ」


 アスラは僕に向かって剣を構える。

 僕も悠然とした構えで、勇者に対した。


 そうしてその日、僕は魔族の王たる魔王となった。

 そして魔王の宿敵であり、友でもあった勇者をその手で倒した。


 その戦いの凄絶さを物語るように、僕の左腕は肘から先を失い、角も片方が折れていた。しかし、それも魔力で回復を果たした。化け物じみた力だった。

 

 勇者を倒した後、レイラを除く四天王の三人が玉座の間へとやってきた。そこで、アスラと僕を除いた他の三人は、彼等によって葬られていたことが分かった。


「魔王様、ご誕生おめでとうございます」


 三人を代表し、巨獣を思わせる四天王が恭しく膝を床につけ挨拶をする。

 僕は表情を動かさずに、三人を黙って眺めた。 


「前魔王は僕が討ち……勇者も倒した。僕はここで、戦争を終わらせようと思う」


 僕の提案に、四天王は困惑することも反対することもなかった。


「全ては、魔王様のお心のままに」

「うん。それでは、欠けてしまった四天王の補てんと共に、人間族に戦いを仕掛けることがないよう号令を発してくれ。人間族の領地に進行している魔族も、急ぎ撤退するようにと」


「畏まりました。それで魔王様は……?」

「僕は、知っての通り勇者の仲間に化けていた。再び人間族に化け、勇者たちの亡骸を届けてくる。それで恐らく、戦争も自然に終わるだろう」


 僕は四天王たちに後のことを任せると、四つの棺を作らせ、それを引きずってココロが待つ城へと帰った。


 その道中、戦争が人間族の世界に残した傷痕を幾つも目にした。魔族が突然撤退したことに、人間族は戸惑いを覚えているようでもあった。


「勇者、他、私を含む四名。魔王の城で魔王と四天王と戦い、敗れました……」


 城に辿り着いて王にそう伝えると、彼は目を見開いて絶句した。重たい沈黙がその場に満ちる。王は項垂れたまま何度か頭を振ると、ようやく顔を上げた。


「ご苦労だったな、エリオンよ。このことは、急ぎ教会の本部に伝えよう。お前も長旅で疲れただろう? 今日はゆっくりと休め。そうだ、あの娘もお前の帰りを待っていた。顔を出してやれ」


 頭を下げて王の間から退出すると、僕は逸る心の儘にココロの部屋へと向かった。これで戦争が終わる。そして僕は、ココロと……。


「ココロ! 今、今……帰ったよ!」


 城の客室の扉を開き、今まで上げたことのない興奮した声を上げる。


 彼女は僕が城に到着したことを知っていたようで、そわそわとしながら待っていてくれた。僕の顔を視界に認めると、顔を輝かせ、小走りで駆け寄って来る。


「ココロ!」


 思わず駆けより、そのままココロを抱きしめた。そんな大胆なことをするのは初めだったが、それをごく自然な形で二人とも行えた。彼女が僕の腰に手を回す。


 抱きしめても抱きしめても足りない、不思議な心地好さ。

 熱い吐息が自然とこぼれ、凝り固まった体が安らぎを得る。


「待たせたね」


 そう言うと、彼女は僕の懐から顔を上げ柔らかく微笑んだ。


 ココロと別れたのは少し前のはずなのに、追憶の中でそれは遠い昔の出来事のように思えた。僅かな間に、多くのことがあり過ぎた。


 それでもそこには、変わらないココロの笑顔があった。


 だけど僕は……その笑顔を見ながら、喜びと共に、ある怯えを感じた。 

 彼女の背中に回した腕を、名残を惜しむように解く。


「……?」

「ココロ、もうじき戦争は終わるよ」


 ココロは瞬きを繰り返しながら、僕の顔を困惑交じりの目で見た。

 僕は口元に、自嘲の種のような笑みを浮かべる。


「勇者は、魔王によって討たれてしまった」


 目の前の心優しい少女が、息を抜かれたような表情となる。彼女は勇者アスラのことをあまり知らない。でもそこには、勇者に向けた悲哀と静かな追悼があった。


 僕は舌で唇を湿らせ、言葉を続ける。


「でも……戦争を望む魔王も、もういないんだ」


 彼女は「え?」とでも言うような表情となり、目でその理由を尋ねた。

 僕は苦笑しながら言う。


「ごめんね、ココロ。僕は君に嘘をついていたんだ」


 そこで僕は結晶が弾けるように人間族の姿を解き、本当の姿を現した。


 小さな頃に彼女と遊んだ姿ではなく、魔王として変貌を遂げた、人間からすると禍々しいと思われるであろう姿を。――魔王エリオンの姿を。


 ココロが驚愕に目を見開き、息を呑む様子が伝わってくる。怯えさせてしまっただろうかと心が冷えた。初めて会った時のように……。


『あ、ま、待って!』

『あ、あの……ありがとう! ありがとう、ございました!』


 過去の情景が、僕に勇気をくれる。一度目を強く瞑り、口を開く。


「ココロ、僕は……」


 それから僕は、これまでのことなどを話した。

 幸いだったのは、ココロが驚きこそすれ、怯えていなかったことだ。


「僕は戦争を終えたくて、魔王になった。勇者とは戦う道しかなかったけど……僕とアスラは自分の立場で、持てる力を全力でぶつけ合った。戦争も……これできっと終わる」


 一語一語、苦しい思いを吐き出すように言う。

 ココロは真剣な表情で、話に耳を傾けていた。


「それでココロ、君はこれからどう生きる? あの村は、魔族と人間族の境界に近い場所にあったから、たぶん、無事では済んでないと思う。だけど君が望むなら、戻って村の魔女として生きるのもいいと思う。でも、もし君が……」


 僕はそこまで言うと、自然と俯いていた。強大な魔力を持った魔王。それでもココロの前では、無力な、純情なものを抱えた、頼りない存在になってしまう。


 しかし、いつまでも迷っている訳にはいかない。決心し、顔を上げる。


「嘘付きで、勇者を殺した僕でもよければ……僕は、君と……」


 慄きに似た感情に襲われ、怯えたように目を伏せる。情けないことに、それ以上は言葉にならなかった。もどかしさが凝固し、腹で熱を持つ。


「え……?」


 だが、僕の苦痛にも似た孤独は次の瞬間に癒された。

 切ないような、温かい感触。いつかと同じ、懐かしい滑らかさ。


 視線をゆっくりと、目の前の少女に向ける。


 そこでココロが困ったように、でも嬉しそうに笑って僕の手を取っていた。口元を優しく綻ばせながら首を横に振ると、僕の手の平に指で文字を書き始める。 



 ――気付いてた。



 彼女は白い指で、僕の禍々しい手にそう書いた。


「ココロ……?」


 僕は瞳を震わせながら、手の平から再び、ココロに視線を転じる。

 彼女は照れたように笑いながらも、続きを描き始めた。



 ――初めて見た時から、ずっと、ずっと。



「あ、あ……」





 ――エリオン、いつも私の傍にいてくれた。





 閃光のように、脳裏にある光景が甦る。雨の降る村の広場。ココロが母親を殺されたあの日。俯く彼女に声をかけると、彼女はパクパクと口を動かした。


 その動きが、今、意味となって開かれる。

 ココロは、あの時、こう言っていたんだ。




『エリオン……』と。




「コ、ココロ……」


 ココロは僕の問いかけに、こくりと頷いた。その瞬間、風に巻かれた木の葉のように、彼女と過ごした日々が、僕の中で渦を巻いて舞い上がった。


 そのどれもが愛おしく、そのどれもが大切だった。


 僕はそのとき、生まれて初めて涙を流した。魔王の大きな体を持て余したように、両膝を床につき、ココロを抱きしめる。


 彼女も黙ってそれに応えてくれた。ぎゅっと優しく……。


 その中で考えた。どうして僕には、こんなにも深い喜びが与えられているのだろう。眩しいような。一人、そう訝しんだ。


 僕は朝日の美しい輝きも、夕陽の切ない美しさも、あらゆる輝きを知っていると思っていた。しかしその時、より眩しい何かを感じたんだ。


 安心と呼べる場所。微笑と共に僕を包む、ココロから。


 長くも短い、自分自身の内側を旅するような旅が終わる。

 僕はそれから彼女と二人、城を抜け出して魔王の城へと帰った。



 ――ココロと二人、いつまでも、いつまでも……平和に暮らすために。



 これで、魔王候補生として生まれた僕の物語は終わりだ。本当は、それは正しくない。だが少なくとも、僕が語りたかったことは全て語った。



 翼を広げ、ココロを抱えて魔王の城に戻るとき、僕は満ち足りた想いに包まれていた。レイラもアスラもいない。でも、恐れるべきものは何もなかった。


 世界でたった一つの、美しい物を僕は知っていた。これから訪れる力強い世界の到来を、そうやって期待していたんだ。ココロの存在を、近くに感じながら。




 ――しかし、物語はまだ続く。




 全ての物語が創世で始まり、黙示で終わりを告げるように。一つの明確な、終焉に向かって。





 * * *





 人間族と魔族の戦争は、簡単には終わらなかった。人間族の教会は他の勇者候補を神に認めさせ、勇者に仕立てると……再度、魔族に戦いを挑んだ。


 アスラが語ったとおり、彼らは魔族を根絶やしにするつもりでいるようだった。魔族と人間族の均衡ではなく。人間族の間で、新たな均衡を作り出そうとして。


 また僕も魔王となった以上、それに抗戦しない訳にはいかなかった。


 一度は止んだ人間族の侵攻が再開され、魔族もそれに応じた。

 ジェルミラ大陸は血に染まり、悪夢のような時代が続くことになる。


 その戦争の最中、何度も考えた。

 ココロと二人、全てを捨てて逃げようかと。

 

 でも、それは出来なかった。魔王という存在に課せられた義務や宿命。そういったものを見ない振りすることも、或いは……強さなのかもしれない。

 

 だが僕は、魔王の存在の仕方なさに揺れ続けることになる。






 そして、僕が魔王となって数年後――






 前線での人間族との戦いを終えた僕は、城へと戻って来た。


 だがココロの姿は見当たらず、城の魔族に行方を聞くと、すぐ近くの草木が生い茂る平野にいると教えられた。僕は彼に礼を言い、そこに向かう。


 世界そのものが燃え上がっているような夕焼けを背景に、そこには誰のものともしれない墓があった。それと共に、緑色の三角帽子を被った魔女の姿が。 


 ココロは墓の前に跪き、深い祈りを捧げていた。


 彼女が作ったお墓。人間族のそれのように十字を模してはいない、木の杭を刺しただけの、誰も下に眠っていない墓標。


「また……ここにいたんだね、ココロ」


 僕は歩み寄りながら、ココロに声をかける。

 その声に気付いた彼女が、後ろから糸で引っ張られたように顔を上げた。


「ねぇココロ、君は誰に祈っているの? 人間族の神にかい?」


 魔族に祈るという習慣はない。僕の手が、ココロがしているように組み合わされることがないことを、無限に嬉しくも寂しく思いながら尋ねた。


 祈りを終えたココロが立ち上がって僕の方を向くと、微笑を口元に浮かべながら、首を横に振った。目には強い哀愁が漂っている。


「では、誰に祈っているの?」


 続けて尋ねると、ココロは少し困ったような気配を滲ませた。

 僕は「あっ」と、思わず口籠る。


「ごめん……その、困らせるつもりじゃなかったんだ」


 僕が気まずく思って視線を逸らすと、彼女は微笑み、僕の手を取った。

 そして手の平に指で、文字を書き始める。そこで彼女はこう書いた。



 ――ただ祈るの、と。



 寂しい風が、僕の心を上滑りするように吹き、虚空に消えた。


 一人、静かに空を仰ぐ。雲が徐々に藍色に染まり始め、夕焼けの色と混じり合って、幻想的な模様を浮かべていた。


 目を愛しい人に向け、口角をゆっくりと上げながら言う。


「ココロは……昔から変わらないね。優しいままだ」


 そのまま視線を墓に転じた。魔族は死んでも体は残らない。魔魂が崩壊すると、霧のように存在も霧散する。よって人間族がいう墓も存在しない。


 魔族が存在したという証拠は、どこにも残らないのだ。


 それでもココロは墓を作り、祈っている。祈りの対象は神ではない。

 戦争で死んでしまった魔族、人間族、双方の命のために、ただ祈っているのだ。


 視線を墓から外し、再び彼女に向けた。

 それに気づいたココロが、どうしたの? と首を傾げる。


 斜陽に燃える平野には、魔王と魔女。小さい頃から一緒だった、種族の違う二人。僕は少しだけ躊躇ったものの、ここ数年考えていたことを口にした。


「僕は……」

「……?」


「僕は、君が悲しまない世界を作りたかったんだ」


 ココロは眉を少しだけ上げて驚きを示したが、直後、優しく目を細めた。

 僕は自嘲に口の端を曲げる。


 ――どうして、こうなってしまったのか。


 物悲しい慰めのない感情が、僕の胸を押しつぶす。僕はただ、彼女が悲しまない世界を作りたかった。戦争が終われば、それが訪れると思った。


 だが僕の目論見は外れ、終わりの見えない戦争が新たに始まってしまった。


 ココロを魔族の世界に引き入れたことは……悔いてない。魔女の薬草の知識は、魔族の生活にも役立ち、彼女はそこに居場所を見つけ始めている。


 魔王の傍にいる威光だけではなく、純粋に彼女を慕っている魔族も多い。

 それはココロの人柄が成したものだろう。


「魔王になれば、君が悲しまない世界が作れると思った」


 しかし、そんな魔族もまた、戦争に参加して命を落とし……。

 僕もまた、種族だけはココロと同じ、人間族の兵士を殺し続けている。


 彼女は僕の、人間族の血に濡れた手を知っている。

 だらこそ、彼女は――ひっそりと、悲しんで……。



「でも……上手くできなくて、ごめん。君に悲しい思いをさせてばかりで……」



 僕は俯きながら、困ったように笑った。


 一陣の風が僕らに向かって吹き、平野の草を揺らす。大昔、初めての朝がこの世に訪れたときのように、静かな時間が訪れた。


 西へ落ちていく太陽は、まるで、世界の果てに刻々(こくこく)と落ちていく一粒の黄金のようだった。夕方独特の、切ない光が僕らを包む。


 僕の精神は、暗い水面のように黒々と静まり返っていた。光も届かず、波打ちすらせず、鈍く、深く、色もなく……。


 僕が孤独に甘えていると、その場の空気は震え、懐かしい声を吐き出した。



「……そん……な、こと……な……いよ」



 それは本当に、懐かしい声だった。


 忘れるはずもない。子供の時に楽しんだ日々は、あっという間に過ぎてしまったけど、巻き戻してみれば、いつも――そこにある声。


『エリオン!』


 僕は驚きに打たれ、ココロの顔をそっと見た。


「コ、ココロ?」


 彼女は茫然と口を開き、何かしらの衝撃に見舞われているようだった。震えた手を喉に添え、何かを恐れるように「あ……あ……」と、声を出す。


 そこでココロは口を戦慄かせながら、僕を見た。


「わ、……わた……し……」


 言い終えると、途端に顔はくしゃくしゃになり、嗚咽がその口から生まれる。それから声を上げて、彼女は泣いた。



「あっ……あぁ……あああああああぁあああぁああ!」



 その光景に僕は胸を貫かれた。彼女の名を叫び、視線を交錯させる。枯れることのない泉のように、あらゆる感情が目まぐるしく二人の間で湧き上がる。


 ココロを抱き寄せると、彼女は僕の胸でさめざめと涙にくれた。喜んでいるのか、それとも、溜めこんだ悲しみを吐き出しているのかは分からない。


 でもそんな中でも、彼女は言ったんだ。

 しゃくり上げながら、懐から顔を上げて。












「エ、リ……オン。あり、が……とう」














 ありがとう。あの日、初めて聞いた言葉を。

 森で狼を追い払った時に、勇気を奮って言ってくれた言葉を。


 淡い光のようになって、嬉しそうに、やっぱり悲しそうに笑いながら。

 その瞳に涙をためて……ココロは言ったんだ。
















 それから数ヶ月後、魔王エリオンは討たれた。

 人間族ではなく、彼と同時期に生まれた他の魔王候補生の手によって。


 それは一瞬のことだった。


 勇者との戦いで深い傷を負ったエリオンが、前線から城へと戻る。

 四天王の一人を倒した魔王候補生が玉座の裏に潜み、彼を待っていた。


 そこでエリオンは隙を突かれ、剣で刺し貫かれた。


 かつて彼が切実な思いを抱いて魔王となったように、その魔王候補生にもまた、何らかの理由があったのだろう。だが、その真相を知る者は少ない。


 エリオンが魔王となった理由を、多くの人が知らないように。


 こうして魔王エリオンは倒れ、新しい魔王が誕生する。戦争も続いた。

 人間族の歴史はただ、魔王エリオンの悪名と冷酷さを伝えているだけだ。


 人間に姿を変えて勇者の仲間となり、勇者の力を借りて魔王を倒した、魔王候補生。自らが魔王となった後は、その場で友人であった勇者を倒した最悪の魔族。


 ――血も涙も心もない、冷徹な魔王エリオン。


 それが人間族の歴史に残された、彼の名前。

 魔族もまた、先代の魔王を顧みることは殆どない。


 しかし、ただ一人、エリオンの本当の姿を知り、憶えている者がいた。


 魔王の城の近くの平原には、魔族の世界に似つかわしくない簡素な墓がある。そこには夕暮れ時になると、決まって一人の女性が訪れた。


 先代の魔王が人間族の世界から連れ去り、今は腕の良い魔女として慕われている人間族の女性。彼女はそこに訪れると、墓の前で生命に対して祈りを捧げる。


 存在の痕跡を残さない魔族に、祈るという習慣はない。だが、その敬虔な姿は魔族の心を打ち、彼らを厳粛な気持ちにさせる。


 自分が死んだ後のことを、思わず考えさせられるからだ。時折、彼らはそんな魔女の姿を遠く離れて見ている。自分もまた、その祈りに参加するように。


 彼女は今日も、戦争で亡くなった魔族と人間族の為に、深い祈りを捧げている。


 輝く鉱石のように美しい物も、ごみ屑のように汚い物も……慈しみも、憎しみも、全てを包む器。その名前を冠した魔女。


『でも、今は全然怖くないよ。魔族さんも私たちと同じだって分かったから。同じように笑ったり、多分泣いたり、苦しんだりするんだよね』


 魔王エリオンが生涯大切にし、彼と共に森を駆け、無邪気に遊んだかつての少女。彼女がそこにいることが、エリオンの生涯を表している。


『だって、私たちには同じ――』


 そんな……。















『心が、あるんだから』

















 ――エリオンのココロが。














挿絵(By みてみん)











(*)引用印


元:「吉本隆明全集4[1952‐1957](晶文社)」

著:吉本隆明

引用:「戦いの手記」より


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