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投票の日に

作者: 矢積 公樹

 この街に住んで何度目かの選挙が行われた。今までは土日に休めない仕事に就いていたので当日の投票に行くことは出来なかったが、無職というのはいろいろな機会を与えてくれるものだ。

 選挙の通知には歩いて3分ほどの小学校が会場とあったが、よく見ると学校の名の前に「もと」がついている。あれ、廃校になっていたのか。ここに引っ越した頃には児童もいて、運動会や文化祭のときにはそこそこ賑わっていたはずなのに。僕の部屋は校舎の最上階よりもう2階ほど高いところにあり、ベランダで洗濯物を干していると授業中の教室が見えたものだ。教育上よろしくないな、と昼間からベランダでビールを飲むのをやめ、裸で部屋をうろつかないようずっと気をつけていたのに、知らない間に校舎から子供は消えていたようだ。

 ほぼ夕方という時間になってようやく重い腰を上げる。小学校までの間に小さな公園があり、数人のグループがいくつか集まっている。花見である。普段は日暮れまでの数時間しか人の姿が無いこの公園も花見シーズンだけは昼間から大人が集まって酒宴を開く。窓を開けていると、炭が燃える濃い煙の匂いが僕の部屋にも流れ込んできて、キャンプ用だろう、グリルを持ち込んだ一団がバーベキューをしているのがはっきりと分かる。この時期をどう当て込んだのか、桜の季節が近づくとどこからともなく提灯のような照明がぐるりとめぐらされ、ささやかではあるが夜桜も眺められるようにしてある。提灯には提供の企業名などは見当たらないから、地元の有志によるものかと察せられるが、すくなくとも僕が住み始めた数年前からは毎年必ず設置されている。

 小学校の前には一車線の細い道路が走っているが、ちゃんと押しボタン式信号が設置されている。スクールゾーンを示す緑が道路にこってりと塗られ、あちこちに注意を喚起する標識が立っているし、他に見通しの良い道はいくらでもあるからきっとこの道はみな迂回していたに違いない。

 校舎に入る。子供もおらず近所づきあいのないオッサンが小学校を訪れることは、それこそ選挙の時しかなかった。しかも現在は廃校で、靴箱やロッカー等は残されているが、壁には掲示物が見当たらず、廊下から見える飼育小屋にはウサギの写真入りの看板が残っているものの実物が消え去っている。誰がいつ掃除しているのか埃も泥もなくきれいだが、その中を走り回っていた三百人の子供の体温や呼吸がまるまる欠落したコンクリートの建物は桜の季節とは思えないほど冷え冷えとしている。

 投票は体育館で行われた。迷いようがないほどきっちりと仕切られた順路を進めば、誰に投票するか考える時間を除けばものの3分で完了してしまう。誘導係の皆さんは男女ともきっちりとスーツを着込んでおり、むしろ立会人の席に退屈そうな顔で座り込んでいるご老体がだらしなく見えたぐらいだ。

 投票を終えて校門から外に出ようとしたとき、ふとエントランスを見上げた。そこにあったのはステンドグラスだった。あまり鮮やかな色味でもなく造形もさえないものだったが、小学校の、児童が毎日行きかうその頭上に殺風景なコンクリート壁でもあいまいな強化すりガラスでもなくステンドグラスを置いたのはこの校舎の設計者だろうか、それとも思わぬ額が集まった寄付金の使い方に困った同窓会だろうか。もしこの校舎を取り壊してしまうなら、このステンドグラスぐらいは統合先の校舎に移してもいいのではないか。ふとそんな考えが頭をよぎった。


 …僕の故郷はこの街から北を目指して3時間以上車を走らせた先にある農村だ。僕の生まれた頃から既に過疎という言葉は常に身近にあるような集落だったが、もちろん選挙はそんな小さな町にもやってきた。投票日は日曜だから僕も学校に行かずにその様子を眺めていたので憶えている。会場は近所の寺に併設された公園の小さなトレーニング場だった。といっても普段は卓球台が置かれただけで、なかば倉庫と化していた。折り畳みの机が用意されただけの投票所に、近隣の4つの集落から投票に集まっていた。

 今でも不思議なのだが、父も祖母も投票所には普段着ではなく身なりを整えて現れた。服装に無頓着で息子以上に面倒くさがりの父でさえ、むせかえるような真夏でもポロシャツと革靴で向かった。祖母にいたっては普段はモンペ姿に泥だらけの地下足袋なのに、見たこともない完全によそ行きの服を引っぱりだしてきて、軽く化粧すらしていたはずだ。投票所にはどれだけ遅くても9時までには行って投票を済ませる。その後、父はすぐに戻ってくるのだが祖母は公園で立ち話である。選挙とも関係のない話だったのだろうけど、飽きもせず何時間も話し込むのである。昼食の少し前ぐらいになってようやく戻ってくる。普段から顔を合わせているご近所さんだし、農作業の終わった夕方に電話すればいつでもつかまるだろうに、なにやらうれしげにずっと話していた…


 投票を済ませた人達が僕の前を行く。数歩前を歩くのはベビーカーを押した母親と、乳児を抱えた父親だった。母親は家にいるのと変わらない毛玉だらけのスウェットを、父親はそこそこ高価な国産のジーンズを履いていたが上はやはりスウェットパーカだった。革靴とはいかないまでも、やや強引に寝癖をととのえてチノクロスパンツを履いた僕がその後に続いた。僕はそのまま夕食の買い出しに近所のスーパーにむかったが、前を行く親子連れは子供に引きずられるように公園に駆けていった。桜の木の下で歓声が上がった。


散文詩として少しでもかたちになっていればと思いますが、分かりづらい表現や言い回しがあればどうぞご指摘のほどお願いいたします。参考にさせていただきます。

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